98 小さな暴君
「それにしてもさ、貴族サマだよ! 貴族サマ! このあたしが貴族サマだなんてさ!」
何杯目かのグラスを空け、ジャネットが上機嫌で言う。こいつはあまり酒癖がよくないから、見ていて少々はらはらする。
「そうだろう、そうだろう。これからはお前も、少し淑女のたしなみというものを学ぶべきかもしれんな」
うなずきながら、サラも手にしたグラスを空ける。こいつも酒が入ると自制がきかなくなるタイプだからな。頼むから、祝いの席で決闘だけは勘弁してほしい。
「カナ、ひょっとすると次はあんたが貴族になる番かもね」
愉快そうに笑いながらジャネットがカナの頭をわしゃわしゃとなでる。
「残念だったな、ジャネット。カナは身分の上ではすでに貴族だ。リョータが保護者だからな」
「ありゃ、そうだったのかい? そうとは知らず、今まですいませんでしたね」
おどけた調子でジャネットが言うと、カナはよくわからないといった顔で俺の方を見る。
俺はカナに教えてやることにした。
「カナ、実はお前は、ジャネットより偉いんだぞ」
「カナ、偉い?」
「そうだ。言ってみれば、カナはお姫様だな。だから少しくらいジャネットにわがままを言ってもいいんだ」
「ちょっとリョータ、あんたカナに何を吹きこんでるのさ」
ふくれっ面でジャネットが抗議してくる。ちょっとおもしろそうだったから、つい、な。
だが、そこから思わぬ方向に話が流れ始めた。
「カナ、お姫様?」
「そうだ」
「お姫様、わがまま?」
「ああ、少しくらいならな」
理解した、といった顔でうなずくと、カナは俺に言った。
「カナの言うこと、聞く?」
「あ? ああ、別に構わないが、急にどうした?」
「カナ、あれ食べたい」
「ああ、どれどれ、今よそってやる」
俺が料理をよそっていると、カナはさらにテーブルの上を指さしながら言う。
「ジャネット、カナあれ飲みたい」
「え? あいよ、今注ぐから待ってな」
「カナ、急にどうしたんだ?」
俺の問いには答えず、カナはサラをじっと見つめる。
「お姫様、ドレス」
「どうした、このドレスが気に入ったのか?」
「うん」
うなずくと、料理を取り分けた俺に向かって言った。
「カナ、このドレスほしい」
「ん? いや、ほしいと言われても、これはサラのドレスだからな。サラ、そのドレス、どこかで手に入るか?」
「いや、これは特注だからな。すまんが他にはない」
「だそうだ。ドレスを着たいなら、今度買いにいくか」
話を聞いているのかどうなのか、サラのドレスをじっと見つめていたカナだったが、俺の顔を見上げて言った。
「リョータ、このドレス脱がせればいい」
「な――!?」
突然の危険球に、さすがの俺も呆然とする。それはサラも同様だったらしく、しばし固まっていた後、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ななな何を言うカナ!? 会の最中だぞ!? こんなに人目の多いところで、私がはははは裸など!」
いや、問題はそこではないというか、人目がなければ脱いでもいいのか?
それはさておき、なぜか絶好調のカナに聞いてみる。
「カナ、さっきからずいぶんとやりたい放題だが、急にどうしたんだ?」
俺の質問にきょとんとした顔をすると、カナは言った。
「カナ、お姫様。少しならわがまま言っていい。リョータ、そう言った」
何か問題でも、といった顔でカナが俺を見上げてくる。
そんなカナの様子に、たまらないといった様子でジャネットが笑い出した。
「あははははは! そうかい、カナはお姫様になってたのかい! そりゃ言うこと聞いてあげなきゃダメだよリョータ!」
「そういうことだったのか。さすがの私も驚いたぞ」
落ち着きを取り戻したサラがため息をつきながら言う。
「それにしても、とんでもない暴君だったな。リョータ、実は普段カナをしめつけすぎていたりしないだろうな?」
「そんなことはないさ。多分、俺にわがままになれと言われて、必死にわがままを言ってみたのだろう」
そのわりには、実にスムーズにおねだりされた気もするが。カナにそういう才能があるとはあまり思いたくないところだ。
「ところでリョータ」
「なんだ」
「仕事の話ですまんが、お前の叙任式の後、また頼みたい仕事がある。少人数での潜入調査だ。詳しくはまた話すが、そのつもりでいてくれ」
「ああ、わかった」
この前の邪教徒狩りみたいなものだろうか。覚えておくとしよう。この後はジャネットの竜退治もあるし、また忙しくなりそうだ。
ふと見ると、カナが不安そうな無表情で俺を見上げている。
「リョータ、わがまま、ダメ?」
「ああ、俺の言い方が悪かったな、すまん。わがままはちと困るが、何かしてほしいことがあったら遠慮なく言っていいからな」
俺の言葉に、カナの目がきらきらと輝いた。俺にはわかる。
「じゃあ、カナ、ドレス着たい」
「ああ、わかった。それじゃあ今度買いに行こうな」
「うん」
どうやら、俺の予定はさらに一つ増えたようだ。