227 授業開始
ラファーネがイアタークにやってきた。
サラたちも交えてイアタークへの到着祝いを行った後、さっそくカナの家庭教師が始まった。
今日も俺の執務室の一角では、ラファーネとカナが向かい合ってせっせと勉強をしている。
俺も自分の席からちらちらと二人の方を見ているのだが、カナは俺が今まで見たこともないような真剣な表情でラファーネに学んでいる。うむうむ、娘……ではないが、カナが勉学に励む姿は見ていてとても気分がいいものだ。
カナがあれほど一生懸命勉強しているのだ、俺も負けるわけにはいかない。仕事のペースを速め、書類に目を通しては必死に手を動かしていく。
しばらくすると、どうやら休憩時間になったらしい。二人が手を休めたので、俺もここらで少し休憩をとることにした。
椅子から立ち上がると、俺は二人が座るソファの方へと歩を進める。
それから、手元の書物を整理していたラファーネに声をかけた。
「先生、カナはどうですか」
「リョータさん、おつかれさまです」
やわらかく笑むと、ラファーネが続けた。
「すばらしいですよ。物事はすぐにおぼえますし、理解力も目をみはるものがあります。私も指導者冥利に尽きるというものです」
「そうですか、そうですか」
俺はうれしさのあまり思わず笑い声を上げた。まったく、最高の家庭教師を得ることができて俺は本当に幸せ者だ。
もっとも、ラファーネはカナの家庭教師になるためだけにイアタークに来たわけではない。俺にとってはそれで十分なのだが、それでは他の連中が納得しない。何せラファーネはミルネ王国が誇る大賢者なのだからな。
そんなわけで、ラファーネにはイアターク到着早々、魔界調査庁特別顧問なる役職が与えられることになった。魔界調査庁とは、その名の通り魔界を調査するために新たに設けられた機関だ。ちなみにその初代長官はサラである。
同時に、ラファーネは防衛軍筆頭魔術師の任にも就くことになった。表向きには、魔界との最前線で調査・防衛任務に就くという名目でラファーネはイアタークへとやってきたのだった。たしかにこれなら誰も異議を唱えることなどできはしまい。
まあ、俺にとってはそんなことはどうでもいいんだがな。むしろそんな余計な仕事など放っておいて、カナの家庭教師に専念してもらいたいところだ。
俺はカナにも聞いてみる。
「カナ、先生の授業はどうだ」
「わかりやすい。勉強になる。先生、すごい」
「そうだろうそうだろう。王国一の大賢者なのだからな。お前はその愛弟子なのだ。しっかり勉強するんだぞ」
上機嫌に俺がカナの頭をわしゃわしゃとなでていると、ジャネットが茶を持ってこちらへとやってきた。
「リョータ、あんた毎日毎日同じこと聞くんじゃないよ。カナはしっかり勉強してるし、先生の授業はいつもすごいじゃないのさ」
「うるさい。そんなことはわかっている」
「どうだかねえ……あ、先生、これどうぞ」
「ありがとうございます」
カップを受け取ると、ラファーネは上品にそれを口にする。ふむ、今度は礼儀作法もカナに指導してもらおうか。
カナはカップに少しだけ口をつけると、目の前の茶菓子をどんどん口へと放りこんでいく。ううむ、俺としては食いたいものをたらふく食わせてやりたいところだが、やはり少しは作法も教えておくべきなのだろうか。
と、そうだ、俺はラファーネに用事があるんだった。
「先生、少しいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「実はですね、先生に総督府の顧問をお願いできないかと思いまして」
「顧問、ですか?」
首をかしげるラファーネに、俺は説明する。
「はい。ラファーネ先生は魔界調査庁の特別顧問、今後は魔界にも詳しくなることでしょう。その力を、我々総督府にも貸していただきたいのです。もちろん我々も独自に魔界の調査を行いますし、そこで得られた情報は調査庁や防衛軍の方へと伝えてもらってかまいません」
「なるほど、そういうことですか」
「どうでしょう、考えてもらえませんか」
まあ、今言ったことはすべて口実に過ぎんのだがな。本当の狙いは、総督府でポストを与えることによってラファーネを確保しやすくすることにある。彼女が総督府の一員となれば、調査庁や防衛軍からラファーネに何か用事が来ても、総督府での仕事があるからと断りやすくなるからな。
ジャネットはといえば、少し離れたところからこちらをじっとニヤニヤと見つめている。俺が敬語を使っているのが珍しくてならないのだ。まったく、俺が敬語で話すことのどこがそんなにおもしろいというのか。
少し考えこんでいたラファーネだったが、顔を上げると笑顔でうなずいた。
「わかりました。前向きに検討させていただきます。殿下をはじめ、各方面との調整もありますのでお返事はそれからにさせてください」
「もちろんです。いい返事を期待してます」
よしよし、これでいい。ラファーネを総督府の要職に就けてしまえば、余計な仕事が来てもこちらの仕事を口実に突っぱねることができる。カナの家庭教師を雑事で妨げられることもなくなるというものだ。
「さて、俺もそろそろ仕事に戻らなければな。カナ、しっかり勉強するんだぞ」
「リョータに言われなくても、ちゃんとやる」
「そ、そうか。がんばるのだぞ」
カナの声に、微妙に「勉強勉強うるせえんだよ」的な空気を感じ、俺はその場からそそくさと離れた。た、たしかにいちいちそんなことを言われるのはうっとうしいかもしれんな。
席に戻った俺の肩を、ジャネットがぐいっと押す。
「リョータ、あんまり勉強勉強言うんじゃないよ。カナはがんばってるじゃないか」
「わ、わかっている。俺はカナを励ましただけだ」
「まあ、気持ちはわからないでもないけどねえ。あたしも賢者様に勉強を教えてもらってたら、今ごろはサラくらいのおつむになってたのかねえ」
「いや、それは断じてないな」
「ちょっとあんた、それはひどいんじゃないのかい?」
俺の両肩を、ジャネットの手がギリギリと万力のように締め上げてくる。馬鹿、痛い、痛いっての。
とにかくこれで、カナの今後については一安心だ。
ジャネットを振り払うと、俺は再び書類と格闘を始めるのだった。
ようやく再開のメドが立ったので、投稿を再開します。
どうぞよろしくお願いします。