214 マースの町
「でさ、そしたらガイの奴、もう飲めませんとか言うんだよ。まったく、図体はでかいくせにてんでだらしなくてさあ……」
そろそろ空が赤みを差し始めてきたころになっても、馬車の中にはジャネットの声が響く。その声は、王都を出発してからこのかた途切れるということがない。サラの時とは大違いだ。
というか、こいつののどは鋼鉄か何かでできているのか? 普通こんなにしゃべっていたら、のどなんてすぐに枯れてしまうだろう。
それに、よくこんなに話すネタが思いつくな。普通の人間は一時間もしゃべればネタ切れになると思うぞ?
それでいて、どうでもいい話というわけでもないのだから恐ろしい。いや、どうでもいい話ではあるのだが、ついツッコみたくなったりしてしまうのだ。
今の話にも、つい口を出したくなってしまう。
「それはガイがだらしないのではなくて、お前が強すぎるのだろう。言っておくが、親衛隊の連中に無理やり飲ませるんじゃないぞ?」
「わかってるよ。ガイがいくらでもつき合うっていうから飲んだんだよ。オスカーのダンナは結構飲めたってのにさあ……」
この前屋敷で飲んだ時のオスカーの飲みっぷりを思い出す。ジャネットほどではないにせよ、あいつも底なしだったな。
あれで結構というお前がおかしいんだ、と言いたいところだが、そこをぐっとこらえる。
と、窓の向こう、遠くの方に町が見えてきた。
「お、見えてきたね」
「久しぶりだな」
「あの町がマースなんですね」
レーナも窓をのぞきこむ。
「小さい町だけど、住み心地は悪くないよ」
「そうだな、俺は短い間しか滞在しなかったが、不便は感じなかったぞ」
「ねえねえ、ちょいと酒場に行ってもいいかい?」
「昔なじみと会うのか。構わんが、飲みすぎるなよ」
「何ひとごとみたいに言ってるのさ。あんたも行くんだよ」
当然のようにジャネットが言う。
「何を言う。俺まで酒場に行ったら、カナはどうするんだ」
「大丈夫ですよ。カナちゃんなら私が見ていますから」
レーナが笑顔で言う。気がきく女だ。
「ほら、レーナもこう言ってることだしさ」
「わかったわかった。だが、すぐに帰るぞ。明日も早いんだからな」
「わかってるって。ちょっと顔出すだけだよ」
「だといいんだがな」
俺は軽くため息をついた。
町の入り口で手続きをとり、馬車の行列はマースの町へと入る。
何せ20台もの馬車の行列だからな。町の連中も、何ごとかという目でこちらを見ている。
「こう注目されると、あたしら何だかお殿様にでもなった気分だね」
「実際似たようなものだろう。まあ、実感はないがな」
大通りを行きながらそんなことを言っていると、役所が見えてきた。こうしてあらためて見ると、王都の上流階級の屋敷と比べ何とも貧相な建物だな。
役所につくと、俺たちも馬車から降りる。
入り口では、マースの役人たちが俺たちを出迎えていた。
馬車から降りてきた総督府民政官のクレマンが俺たちのところまでやってくると、そのまま入り口まで案内した。
役所の扉の前まで来ると、一人の男が前へと歩み出てきた。
「これはこれはクレマン様、お久しぶりでございます。この前は迅速なご対応、まことにありがとうございました」
「久しいですな、代官殿。本日はよろしくお願いいたします。ご紹介いたします、こちらがクロノゲート総督閣下です」
「こ、この方が!?」
でっぷりと肥えた代官が俺を見て驚く。まあ、無理もない。見た目はただのガキだからな。
「リョータ・フォン・クロノゲートだ。よろしく頼む」
「これは総督閣下、このようなところまで足をお運びいただき、まことにありがとうございます。私、この町の代官を務めております。お初にお目にかかります」
低く頭を下げながら、代官が上目づかいに言う。
「何もない町ではございますが、どうぞごゆっくりとおくつろぎいただければ幸いに存じます」
「気にするな。俺も元々この町を拠点にしていたからな」
「さ、さようでございましたか!」
驚いた代官が顔を上げる。
それから少し立ち話をした後、俺たちは役所の中へと案内された。
ジャネットが感心したような顔で言う。
「すごいねえリョータ。あの代官様が、ずっとリョータに頭下げっぱなしだったよ」
「まあ、これでも総督らしいからな」
正直、悪い気はしない。
今日は俺たちとクレマンたち高官の家族が役所の貴賓室に泊まり、その他の面々はそれぞれ宿やギルド、酒場に泊まることになるそうだ。
明日はピネリに泊まり、その後は旧魔界領に入って各集落で宿をとる。そこでは民家にもおじゃますることになるらしい。そもそも宿どころか人の行き来がなかった村なのだ、仕方あるまい。
5泊6日の長旅ではあるが、旧魔界領の村がどうなっているかは興味があるな。あそこには獣人もいることだしな。ジャネットとカナも、獣人たちに会えるのを楽しみにしている。
今日泊まる部屋に案内され、その後4人で夕食をとると、俺はジャネットにせがまれて酒場へと繰り出すのだった。