192 思わぬ副産物
仕事を終えると、俺は貴族向けのあの高級サロンへと足を運んだ。
エントランスに入るや、俺に気づいた一人の若者が駆け寄ってきてひざまずく。そして俺に一声かけると、建物の奥へと駆けていく。
あいつは何とか子爵の息子だったかな。こうして俺を出迎えるために、あのどら息子にパシられているのだろう。
受付をすませ、いつもの部屋へと向かう。
部屋の前には貴族が二人ひかえていた。俺に気づきひざまずくと、うやうやしく扉を開く。
部屋の中では、どら息子とその取り巻きの貴族たちが俺を出迎えるべく集まっていた。中央に敷かれたカーペットの両側に貴族の子弟が整列し、その向こうでどら息子が満面の笑みを浮かべている。
「これはリョータ様! 一同みなお待ちしておりました!」
「うむ、ご苦労」
うなずくと、俺は部屋の奥に用意された席へと着く。
「今日はお前に話がある」
「はっ! 何なりと!」
名指しされたどら息子が、取り巻きの貴族に目配せする。すると、貴族たちは全員俺たちとは反対側の、扉側の壁際まで下がった。うむ、なかなか教育が行き届いているではないか。
以前俺が貴族どものしつけはお前にまかせるとどら息子に言って以来、こいつは必死に教育に取り組んでいるようだ。
正直ろくに期待などしてはいなかったのだが、俺の予想とは裏腹に、こいつらの活動のおかげで貴族の子弟がらみのいざこざはずいぶんと減っていたりする。
その一環として、このシュタイン派の青年貴族グループは街での貴族の横暴を取り締まる自警団のようなことを行っている。活動が始まって間もなく、その手の事件は8割ほども減少したのだそうだ。
そう言えば聞こえはいいが、要するにもめごとのほとんどはこいつらが起こしていた、というだけの話だ。笑い話にもなりはしない。
だが、こいつらが内心どう思っているかはともかく、少なくとも事実として貴族の横暴は激減したと言っていい。
シュタイン派以外の貴族の中には、ごくまれに抵抗するものもあったようだが、そこはこんなクズでもシュタイン家の跡取りだ。他派閥であろうと、正面きってこいつらにケンカを売るものはほぼ皆無といってよかった。
こいつらも調子に乗って取り締まりに目を光らせているらしいしな。単純に、自分たちの規則にしたがわない者を締め上げるのが楽しくてたまらないのだろう。
さわらぬ神にたたりなしとでも思ったか、今では表立って面倒を起こすような貴族は派閥にかかわらずほとんどいなくなった。
正直まったく期待などしていなかったのだが、こんな連中でも使い道はあるものなのだな。俺としては、非行少年どもを更生させているような気分だ。
俺のグラスに酒をそそぎながら、どら息子が卑屈な笑みを浮かべる。
「リョータ様、このたびは新総督に就任されるそうで、まことにおめでとうございます」
「うむ」
グラスの中の酒を一気に飲み干す俺に、どら息子がおもねるような声で言う。
「リョータ様もお人が悪い。総督の地位をご希望でしたら、我がシュタイン家が全力で支援させていただきましたのに……」
「勘違いするな、俺も知らなかったのだ。別に隠していたわけではない」
「なるほど、純粋にリョータ様の実力が認められての結果なのですね。さすがはリョータ様、そうですとも、あのような大任、あなた様の他に務まる者などいようはずがございません」
こいつ、次から次と流れるようにおべっかが出てくるな。本当に大貴族の跡取りなのか? それとも、大貴族だからこそここまで自然に世辞が出てくるのか?
サラとは真逆だな、と思いながら、俺は意地の悪い笑みを浮かべた。
「残念だったな、俺が総督になって。王党派から総督が出たら、そいつがヘマをやらかすのを待って徹底的に叩くつもりだったのだろう?」
「そ、それは、総督にふさわしくない愚か者であった場合の話でございます。リョータ様が治めるとなれば、ほころびひとつ生じますまい」
「いいのだぞ? 当初の予定通り、総督の足を引っぱるなり寝首をかくなりしても。お前も俺の首が取れれば溜飲が下がるというものだろう?」
「そ、そんな、滅相もない!」
血相を変えたどら息子が、絶叫しながら俺に向かい平伏する。その光景に、壁際の貴族どもまで震えあがった。
こいつは本当に俺を恐れているのだな。わずかでも含むところありと俺に思われるのが、どうやら心底怖いらしい。
ある意味、俺の恐ろしさを世界で最もよく知っているのは、このどら息子かもしれんな。こいつにははじめのころに転移魔法をバンバン見せて、お前などいつでも殺せるということを嫌というほどわからせてきたからな。あのころは俺もまだ若かった。
取り巻きの貴族の中には、シュタイン家の跡取りたる者がなぜ俺ごときに頭をたれるのかと思う者も少なからず存在していたらしい。
だが、真実を知っているこいつからすれば、俺に仇なさんとする存在などすべて排除したいところだろう。連中が何かしでかせば、その責任は連中の監督をまかされている自分が取らされるのだからな。
実際、そのような連中は遠ざけられ、あるいは徹底的な「教育」の後に心を入れかえてどら息子の側につくことを許されたらしい。こいつらのことだ、さぞご立派な「教育」をほどこしたのだろう。
ある意味においては、俺はこのどら息子に奇妙な信頼を置いていると言えなくもない。実際、こいつにはことあるごとに隙を見せてやっているのだが、そのたびにこいつは隙を狙うどころか忠誠を疑われまいと必死にそのフォローをするのだ。
ちなみに今この部屋にいる連中は、どら息子に言わせれば「リョータ様に絶対の忠誠を誓い、命を捧げることさえいとわない忠臣」たちなのだそうだ。
まあ、実際にはどら息子が怖くてそう言っているだけのことなのだろうが。
その忠誠の対象たるどら息子が、全身を震わせて俺に平伏している。取り巻きどもにとって、それは想像を絶する光景であることだろう。正直、俺も引いている。
俺は別に無暗に他人を嬲る趣味もないので、さっさと立ち上がって酒をつぐようにうながした。赦しを得たどら息子が、安堵の表情を浮かべながら俺に酒をそそぐ。
さて、いつまでもこいつをからかっている場合ではないな。さっさと用件をすませて、帰ってカナに数学でも教えるとするか。
意外と小悪党を正面から書く機会がなかったりするので、主人公の殿様っぷりが堪能できるどら息子回は実はノリノリで書いていたりします。