189 新たな契約
ある日の夕方、俺はいつも利用している高級料理店へとやってきていた。
最初はバイヤーのようなことをやっていた俺も、今ではすっかりこの店の上客となっている。ここ数カ月は頻度を月一度に減らしているものの、実は今でも新鮮な魚を仕入れてきてやっていたりもする。
あのころはこの店も王都の一番店をめざしずいぶんとギラついていたものだったが、今ではすっかり王国一の名店としてその名をほしいままにしている。まあ、ここの料理長の腕は確かだからな。
店に入ると、店員が最敬礼のような格好で俺を迎え入れる。
俺が来店したと聞きつけ、支配人と料理長もすぐに駆けつけてきた。これもすっかりおなじみの光景だ。
「これはこれは閣下、ご来店まことにありがとうございます」
「うむ」
うなずくと、俺は支配人に言った。
「支配人、お前に少し話がある。時間をもらえるか?」
「はい、もちろんでございます。それではどうぞこちらへ」
そう言って、支配人が奥の一等室に俺を招く。サラと会う時に使っているあの豪華な部屋だ。
席に着くと、俺はさっそく話を切り出した。
「実は今度、俺が南方領の総督に就任することが決まった」
「総督……ですか?」
「ああ。魔界から奪還した領土を支配することになる」
「それはそれは、さすがリョータ様。まことにおめでとうございます」
支配人がうやうやしく礼をする。
だが、顔を上げた支配人の顔には少し残念そうな色が浮かんでいた。それもそうか。これから俺が何を言うのか見当がついたのだろう。
もちろん、遠慮などすることなく俺は告げた。
「そのうち俺も南方領へと移ることになる。それにともない、魚の仕入れもできなくなる」
「そうでしたか……しかたありません」
実に残念そうに支配人が肩を落とす。新鮮な魚料理はこの店最大のウリだったからな。この店がここまで繁盛したのも、本来手に入るはずのないとれたての魚を食すことができたからというのが大きい。
まあ、別に続けようと思えばいくらでも続けられるのだがな。ちょっと漁村まで飛べばすむ話なのだから。だが、イアタークにいるはずの俺が毎月ホイホイと王都に魚を運んでいては、不審に思う者もいるだろう。
別にどこかで業者をはさんで取引すればいいだけの話ではあるのだが、単純に俺も総督業で忙しくなるだろうしな。もう小銭を稼ぐ必要もないし、面倒ごとは減らしておきたい。
そうは言っても、ここは俺にとっても長く世話になっている店だ。無下に切り捨てるつもりはない。
「すまんな、一方的に打ち切るようなかたちになってしまって」
「いえ、そのようなことは。こちらこそ、長い間取引を続けていただき感謝しております」
「うむ。それでだな、かわりにと言っては何だが、お前たちにひとつ話を持ってきた」
「話……ですか?」
不思議そうな顔をする支配人に、俺は続けた。
「うむ。俺が総督として赴任する町は、魔族から取り返したばかりでまだ何もない町だ。一方で今後は開発も進み、人口の流入も見こめる将来有望な都市でもある。それに、総督の支配領域も広大だ。ミルネでは珍しい生き物も多かろう」
俺は少し前のめりになる。
「そこでだ。お前たちに少々便宜をはかってやる。まずひとつ、南方領で手に入った食材の一部を、お前たちに優先して供給してやってもいい。もうひとつ、これはお前たちが望めばの話だが、もしイアタークに店を出店するつもりがあるのなら、一等地を確保しておいてやる」
「な、なんと!」
俺の提案に、支配人が目を丸くする。
魚の取引の代わりとしては、十分な申し出だろう。今後この店は新鮮な魚料理という最大のアイデンティティ、店のブランド力の源泉を失うことにはなるが、南方領の商人と優先的に取引ができ、しかもこれからの発展が望める新都市の一等地に出店できるのだ。それも、総督のお墨つきで。
これが日本であれば、公正さに欠けるだの官民の癒着がどうだだの言われかねんところだが、幸い総督府の行政は原則として俺に一任されているからな。
それに、透明性を高めようとして競争入札を導入した結果、ダンピング競争でクソ業者が受注してクソな仕事をしやがるなんてのもよくある話だ。俺としては、よく見知っている信用できる相手に仕事をまかせるのだ、文句など言われる筋合いはない。
支配人はと言えば、それはもう小躍りするのではないかというくらいに喜んでいるのが見て取れた。
「ほ、本当によろしいのですか!? 我々がそこまで便宜を図っていただいても……」
「何、こちらの都合で取引を打ち切るのだ。その代償としては、このくらいが妥当だろう。もちろん税はかけるがな。お前たちの店が繁盛すれば、それだけこちらも税収が見こめるのだ。お前たちも、不満はないだろう?」
「も、もちろんです! 喜んで! どうぞよろしくお願いいたします!」
支配人はもう俺に飛びこんでくるのではないかという勢いで身を乗り出してくる。どうやら納得してもらえたようだ。
「ただし、ひとつ条件がある」
「条件、でございますか。いったい何でしょう」
支配人がやや緊張した表情を見せる。これほどの厚遇を受けるのだ、いったいどれほどの代償を要求されるのかと内心気が気でないのだろう。
「そう身構えるな。何、大したことではない。イアタークに店を出すのなら、料理長もイアタークへ来い。条件はそれだけだ」
「りょ、料理長をですか……?」
支配人が考えこむ。本店から鮮魚だけでなく料理長までいなくなってしまった場合の影響について検討しているのだろう。
俺にしてみれば、実のところこれが真の目的だったりする。イアタークにはしばらくろくな店ができないだろうからな。料理長付きでイアタークに出店させれば、カナにもちゃんとうまいものを食わせてやることができる。
さすがに支配人も慎重に検討しているようだ。ふむ、ここはもう一押しするか。
俺はことさら残念そうにため息をつく。
「そうだな、無理を言ってすまなかった。この取引はなかったことにしてもらって構わない。出店については『グラン・ソワール』に打診することにする」
「お、お待ちください!」
申しわけなさそうに腰を浮かせかけた俺を、支配人が血相を変えて呼び止める。
「わかりました、料理長はイアタークに向かわせます! ですから、何とぞ、何とぞ出店は我々におまかせを! どうかお願いいたします!」
机に額をこすりつけるようにして支配人が懇願する。ああ、このやり取り、はじめてこの店に来た時のことを思い出させるな。
支配人にしてみれば、本店の影響などより俺の不興を買うことの方が遥かに重大だったのだろう。それはそうだ、今や俺はサラともつながりがあるのだからな。俺の口からサラ、さらには王族や上流階級にまで悪いうわさが広まっては、この店に未来はない。そう判断したのだろう。
俺は支配人に顔を上げるよううながす。
「わかった、それではお前たちにまかせよう。これからも、よろしく頼むぞ」
「もったいないお言葉にございます! どうぞこれからもご愛顧賜りますよう、深くお願い申し上げます!」
ほぼ土下座に近い形で、支配人がテーブルに額をこすりつける。
うむ、どうやら話も円満にまとまったようだ。これでイアタークに移っても、カナにたらふくうまいものを食わせてやることができるぞ。よかったよかった。
満足した俺は、店内の客に酒を振る舞うと、自身も少し飲んで家へと帰った。
もちろん、料理長には裏メニューのお子様ランチを作らせ、カナへのみやげに持って帰るのを忘れなかった。