169 はじめての国外旅行
「それじゃ行ってくる。留守番は頼んだぞ」
「まかせときなって。そのかわり、おみやげよろしくね」
「わかっている。ほら、カナもあいさつしなさい」
「いってきます」
「ああ、いってらっしゃい、カナ」
そう笑って手を振るジャネットに俺たちも手を振ると、俺はカナの手を握って城へと歩き出した。
「カナ、旅行は楽しみか?」
「うん」
「そういえば、カナはこの町以外どこかに……」
そこまで言いかけて、俺は慌てて口を閉じた。
そうだった、すっかり忘れかけていたが、カナは元々奴隷なのだったな。前の主人には各地を連れまわされ、その後は盗賊どもにつかまって家畜以下の扱いを受けていたのだった。
カナとはじめて会った時のことを思いだし、俺は何だか猛烈に腹が立ってきた。あのクズども、カナをあんな目にあわせやがって。盗賊どもがとっくに処刑されてしまった後なのが惜しい。今なら俺が最悪の死を与えてやるものを。
おっと、いかんいかん。俺はこれからカナと楽しい旅行に行くのだ。くだらんことは忘れろ、忘れろ。
「カナ、マクストンは燻製がうまいそうだぞ。楽しみにしておけ」
「くんせい?」
「ああ、煙でいぶした食いもののことだ。子供にはわからんかもしれんが、うまいんだぞ」
「カナ、わかる」
意外にも、カナは不満そうに俺を睨んでくる。これは姫の機嫌を損ねてしまったか。
「すまんすまん。そうだな、カナならわかるだろうな。たらふく食わせてやるからな」
「よろしく」
さも当然といった顔でうなずくカナに笑って返すと、俺はサラを待たせないよう城へと急いだ。
王城に到着し、城門の中へと入る。
すると、目の前には多くの人や馬車が集まっていた。結構な規模の旅になるんだな。
衛兵の案内で向かった先には、サラがいつもの騎士服で待っていた。
「待たせたな、サラ」
「いや、こちらもちょうど準備が終わったところだ。カナも今日はおめかしか」
「こんにちは」
ぺこりと頭を下げるカナに、サラも笑顔で返した。
それから、目の前の馬車を示す。
「我々はこれに乗っていく。今回私は王族として行くわけではないから、シンプルなものですまないが」
「いやいや、十分に立派さ。なあ、カナ?」
「馬車。お姫様みたい」
「な、うちの姫もご満悦だ」
「そうか、それはよかった」
そう笑うと、サラは馬車の扉を開いた。
「それでは乗ってくれ。リセも同乗するが、構わんな?」
「もちろんだ。それでは失礼するぞ」
そう言って、俺はまずカナを馬車へと乗せる。下から手伝ってやろうと思ったのだが、意外にもカナはひらりと馬車へ乗りこんだ。
俺も続けて乗りながら、カナを褒める。
「すごいなカナ、いい身のこなしだったぞ」
「馬に乗る勉強した、カナ平気」
「なるほどな」
もっとどんくさい動きを期待していたのだがな。カナの成長が嬉しくもあり、さびしくもある。
続けて乗りこもうとしたサラに、俺は手を差し出す。
「何のまねだ? 私は普通に乗りこめるぞ」
「そんなことはわかっている。これは女性への礼儀のようなものだ」
「そ、そうか。それでは失礼する」
そう言って、サラが俺の手を取る。あれだけ剣を振り回しているのに、こんなに手が柔らかいのが不思議だ。
サラがやや冗談めかして言う。
「女のくせにごつごつした手だろう? だが、私は騎士だからな。こんな手でも誇りを持っている」
「ああ、力強くてお前らしい手だ。それにお前はそう言うが、サラの手は女性らしい手だぞ。指もほっそりとしていてきれいだ」
「な!? こ、こんなところで私をおだてても、な、何も出ないぞ!」
顔を真っ赤にして、サラはやや機嫌を損ねたかのような感じでそっぽを向く。
続いてリセが乗りこみ、馬車の扉が閉じられる。
と、カナが俺を手招きしてきた。
「リョータ、こっち」
「ん? どうした?」
「リョータ、ここ座る」
そう言いながら、小さな手のひらで席をぱんぱんと叩く。
「何だ、席を変われというのか?」
「いいから、座る」
「ああ、はいはい」
よくわからないままに馬車の奥の方に座ると、カナは俺のひざの上に乗ってきた。
「なるほど、その方が外の様子がよく見えるか」
俺の向かいに座るサラが笑う。そうか、窓の外が見たかったのか。
「そろそろ出発するぞ。せまい馬車だが、旅を楽しんでくれ」
「何、美女に囲まれて嬉しい限りだ」
「せ、世辞など無用だ。カナ、馬車で旅をするのははじめてか?」
「はじめて、違う。でも、立派な馬車ははじめて」
「そうだったか。お菓子も用意してあるからな。後でみんなで食べよう」
「うん」
うなずくと、カナは窓から顔を出してあたりをきょろきょろ見つめる。うむ、気に入ったようで何よりだ。
やがて、サラとリセの頭の間あたりにある小窓から、御者の声が聞こえた。
「殿下、そろそろ出発いたします」
「そうか。よろしく頼むぞ」
「御意」
それから間もなく、馬車ががたごとと動き出した。といっても、揺れはそれほど感じない。馬車がいいのか、御者の腕がいいのか、あるいはその両方か。
俺たちはこれから、数日をかけてマクストン王国へと向かうことになる。のんびりとした馬車の旅もいいものだなと、俺はカナと一緒に窓の外をみつめながら思った。