165 旅行の約束
「いやあ、カナも立派になったもんだねえ。感心感心」
「まったくだ。さすがは俺の家族」
会場から部屋へと戻りながら、俺とジャネットは先ほどの卒業式の話をしていた。
「卒業のあいさつなんてカナにできるのかと思ってたけど、ちゃんと言えてたねえ。あんな長いあいさつ、よくできたもんだよ」
「そうだな。ジャネットはできるか?」
「バ、バカにするんじゃないよ。あたしだってあのくらいできるさ! 多分……」
自信なさげに声をしぼませるジャネットに笑いながら、俺たちは控室へと戻ってきた。
「サラも大人気だったねえ。さすがこの前いいところ見せただけのことはあるよ」
「ま、まあな」
その話はやめろ。思い出したくない。
そんな俺の心中など気にも留めず、ジャネットはべらべらと話を続ける。
「あたしたちももう少し前に出てもよかったんじゃないのかい? 結構活躍したんだしさ。あんたも何か言葉をかけてやればよかったんじゃない?」
「余計なことは考えるな」
「あたしもまた剣の一つも見せてやればよかったかねえ。リョータ、あんたが相手でさ」
誰がやるか。ジャネットの妄言をスルーし、俺はドアを開ける。
部屋には、先に戻ってきていたサラとリセの姿があった。
「お前たち、戻ってきたか」
「お疲れだったな、サラ。さすがにお前の演説は堂に入っている」
「ふふ、そうほめられると悪い気はしないな」
座れとうながすサラにしたがい、俺たちはソファに座る。
しばらく茶を飲んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
そちらを見ると、例の職員が揉み手をしながら入ってきた。その後ろにはカナの姿もある。
「失礼いたします。男爵閣下、カナ様をこちらへとお連れいたしました」
「そうか、ご苦労だったな」
「いえいえ、もったいないお言葉にございます」
男が卑屈な笑みを浮かべる。それを見て、サラがわずかに眉をひそめた。
この男も本当に大したタマだ。カナを入学させようとした時にはあれほど俺たちのことを蔑んでいたというのに。こういう奴が、どこに行っても生きのびるのだろうな。
さすがに少しいやがらせをしてやりたくなる。
「お前、今カナ様などと呼んでいたが、学校でもその調子だったのか? 教育上よくないと思うが」
「まさか。ほんの先ほどまでは他の生徒と同じようにあつかっておりましたよ。ですが式を終え卒業なさった今、カナ様はクロノゲート男爵閣下の大切なご家族。それ相応のご対応をさせていただくのは当然でございます」
「そうか、わかった。ご苦労」
なんかこいつと話してるとこっちまで疲れてくる。さっさと下がってもらうことにした。
「カナ、卒業おめでとう。あいさつもうまくできていたぞ」
「おめでと、カナ。何だかあたしも鼻が高いよ」
「どうも」
ぺこりと頭を下げると、カナは俺のひざの上に乗った。
サラもカナに声をかける。
「私からもおめでとうを言わせてもらおう。カナ、立派になったな」
「どうも」
再びぺこりと頭を下げるカナに、俺は注意する。
「カナ、そういう時はちゃんとありがとうございますと言うんだぞ」
「わかった」
ぴょこんと立ち上がると、カナは「ありがとうございます」とサラにおじぎした。
ジャネットが笑う。
「あのリョータが、礼儀作法をしつけるなんてねえ。あんたみたいな礼儀なんて気にも留めない男でも、娘にはちゃんとしつけようとするんだね」
「うるさいぞジャネット。お前も少しは礼儀を学んだらどうだ」
「あんたに言われたかないよ」
そんな風にやりあっていると、サラがやや遠慮がちに声をかけてきた。
「え、ええと、リョータ」
「うむ、どうした?」
「そのだな、お前、カナに旅行をプレゼントしてやりたいとは思わんか?」
「旅行?」
「ああ。それも外国だ」
俺とジャネットが首をかしげていると、サラが続ける。
「実は仕事で今度マクストンに行くことになってな。よければお前たちも一緒にどうかと思ったのだ。ほ、ほら、カナも卒業しただろう? 記念にちょうどいいかと思ってな」
「なるほどな」
海外旅行か。それもいいかもしれん。
どうでもいいが、海の向こうに国がない場合でも海外旅行と言うのだろうか。そもそも「海外」という概念がないのかもしれんな。
それはさておき、だ。俺一人でなら一応全ての国をまわっているが、カナと一緒に旅をする機会はなかなかなかったしな。特に断る理由もないか。
「いいだろう、ぜひご一緒させてもらおう」
俺がうなずくと、サラが一瞬嬉しそうな顔をする。それからせき払いをすると、ジャネットの方に視線を動かした。
「も、もちろんお前も一緒だ、ジャネット。お前も来るだろう?」
サラの言葉に少し考えこんでいたジャネットだったが、意外にもふるふると首を横に振った。
「今回は遠慮しておくよ。あんたも仕事なんだろ?」
「そ、そうだが、しかし……」
ジャネットはサラに顔を近づけた。
「それに、あんたたちの水入らずの旅を邪魔するのも何だしさ」
「な! そ、そそそそんなではない!」
慌てて大声を上げるサラに、ジャネットがけたけたと笑う。まあ、やっぱりそういうことだよな。
それからジャネットは、サラに向かって人差し指を突き立てた。
「でも、タダであんたに譲る気はないよ」
「だからそういうことでは……」
サラの言葉を聞き流し、ジャネットは俺に言った。
「リョータ、あんた旅行に行きたかったらその前に一度あたしとデートしな」
「は?」
「は? じゃないよ。だいたい、遠征に行く前にそう約束してたじゃないか。あんたもしかして忘れてたのかい?」
「うむ、そう言えばそうだったな。もちろん憶えているぞ」
ヤバい、すっかり忘れていた。まあいい、それじゃあ今度デートするか。
俺はサラに向き返る。
「そういうわけだ。出発はいつになりそうだ?」
「そうだな、来週あたりになるだろうか。また連絡させてもらう。ジャネットも、来る気になったら教えてくれ」
「あいよ。ま、今回は譲ってあげるつもりだけどね」
「だ、だからそんなのではない」
サラが顔を赤くする。しかしジャネットが来ないというのは意外だな。
「カナは外国に行ってみたいか?」
「外国?」
「ああ、こことは別の国だ。サラとは違うお姫様がいるかもしれんぞ」
「お姫様、見たい」
「そうか、そうだろう。食べものもこの国とは違うぞ」
「違う食べもの」
うむ、さすがカナ。食いものにはいい反応を示すな。
まあ、俺もマクストンをじっくり巡るのは初めてだしな。考えてみれば、カナとの旅も初めてだ。せっかくなのだから、楽しみにさせてもらおうか。