104 新たな姓
団長室でオスカー、シモンと別れると、俺たちはサラの私室へと招かれた。城内にいくつかある私室のうち、ちょっとした話をする時に使っている部屋なのだそうだ。
部屋に入ると、侍女が茶を注いでくれる。俺にメイド萌え属性はないが、悪くはない。
「ところでリョータ」
ソファですらりと長い脚を組みながら、サラが俺に聞く。
「なんだ?」
「姓は何にするか決まったか? 言っただろう、叙任式までに決めておけと」
「ああ、あれか。それならもう決めたぞ」
「ほう、決まったか」
サラが眉を上げる。そして、興味津々な様子で聞いてきた。
「それで、どんな姓だ? 教えてくれ」
「ああ、いいだろう」
もったいをつけて俺はゆっくりとうなずいた。俺の知性と教養のありったけをつぎこんで生まれた名だ。心して聞くがいい。
「俺の姓は……クロノゲートだ」
「ク、クロ……?」
「クロノゲートだ」
二回も言わせるな。まあ、大事なことだから構わないが。
時神の門。ギリシア神話に登場する時を司る神の名を拝借した。俺は転移魔法を極めている。いわば、時空のうち「空」を極めし者だからな。姓には「時」の要素を入れるのがいいだろう。
ジャネットなどはぽかんと間抜けな顔をさらしている。お前には悪いが、少々難しすぎるかもしれんな。
「リョータ、よければその名の意味を教えてもらえるか?」
「ああ、いいだろう」
サラが俺に名の由来を乞う。知識欲には勝てないのだろう。さすがは教養ある姫騎士様といったところか。
「クロノというのは時を司る神の名にちなんでいてな。ゲートというのは門のことだ。俺はまだ時を支配することができないが、その理の入り口に立ち、そしていずれは門をくぐり抜け奥義に迫りたいという思いをこめた名だ」
「神の、奥義か……」
俺の説明に、サラはいたく感銘を受けたといった様子で形のいいあごに手を当てている。
「なるほど、素晴らしい姓だ。しかし恐れ入ったぞ、まさか時まで支配しようなどと考えていたとはな。実にリョータらしい姓だ」
そう笑うサラの瞳はきらきらと子供のように輝いている。教養人はやはり違うな。打てば響くというのはこういうことを言うのだろう。
「ホント、どこからどう見てもリョータらしい名前だよまったく。カッコいくていいじゃないのさ」
……なんだか微妙に小バカにされているような気がするのは気のせいか? いや、そんなはずはない。こいつの頭では、俺をバカにするなどという視点を持ちうるわけがないのだからな。
気を取り直して一つせき払いをすると、俺はカップの茶に口をつける。
俺の言葉に知的好奇心をくすぐられたのだろう。サラが目をきらきらさせながら聞いてきた。
「では、今後お前はリョータ・クロノゲートと名乗るのだな」
「いや、リョータ・フォン・クロノゲートだ」
「ぶっ!」
「ジャネット、何がおかしい!」
笑ったな! この女、今茶を噴き出して笑ったな! 俺は思わず声を荒げてジャネットを睨みつけた。
「ドイツ……今はなくなったとある国では、貴族は姓と名の間に『フォン』を入れるのだ! どこに笑う要素がある!」
「ごめんごめん、だってリョータがまた妙……こだわりを見せるもんだからさ」
なんだ今の間は? というか、今「妙」とか言ってなかったか? こいつ、もしかして本当に俺のことをバカにしているのでは……?
いや、そんなはずはない。ギリシア神話に明るく、ドイツ式の姓名にも通じたこの俺の教養の高さについてこれずに子供のような反応を示しているだけだ。そうに違いない。
苦笑を浮かべながらサラが俺に言う。
「まあ、その辺にしておけ。そんなに大声を上げて、いつものお前らしくもないぞ? なるほど、リョータ・フォン・クロノゲートか。いい響きだな」
さすがはサラだ。うむ、これが教養ある者の普通の反応というものだろう。俺の言葉を吟味するかのようにうんうんとうなずいている。
そうだ、ジャネットはいわば言葉のわからない赤ん坊のようなものなのだ。きっとこの音の中のどこかがおもしろく感じてツボに入っただけなのだろう。そうだ、きっとそうだ。
「それでは姓については私の方から伝えておこう。ジャネットは……その、同じ姓を名乗るのか?」
「そうしたいのは山々なんだけど、まだ籍を入れたわけでもないからね。今はまだジャネットのままでいいよ」
「そ、そうか」
サラが微妙にほっとしたような表情を見せる。ジャネットに先にこの姓を名乗られるのは嫌か。まったく、なんと言うか愛い奴だ。
「あれ、じゃあカナはこの姓になるのかい?」
「ああ、そうなるな」
「カナ・フォン・クロノゲートか。うむ、自画自賛ではないがいい名だと思うぞ」
「うん、響きはすごくいいと思うよ」
どうにもいちいち引っかかる言い方をするな。俺が神経質になりすぎているだけか?
そんなことを考えていると、サラが話を切り替えた。
「そうだ。ジャネット、リョータ、竜退治の話を詳しく聞かせてくれないか?」
「ああ、そうだね。さて、どこから話そうかねえ……」
侍女が持ってきたお菓子をつまみながら、俺たちは竜退治の話を始めた。
数年前、経済誌でヤマト運輸が巨大物流施設を建設中というニュースを見たのですが、そこには仮称「クロノゲート」とあり、思わず我が目を疑ったものでした。
「羽田クロノゲート」は、今ではヤマトグループの総合物流ターミナルとして絶賛稼働中です。