君を守るということ 4
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夜の帳が降りた豊川の街はどこか寂しげだった。
年末27日の期待と後悔が入り混じるどこか浮かれたこの日を否定するように、この街は暗闇に平伏していた。
南西の方角で青白く輝いていた星が、押し寄せる一群の雲によって掻き消されていった。
夜空を覆う厚い雲の群れはこの地と大気圏を急速な勢いで分断させていこうとしている。
人々の師走に追われるようにせわしく吐き出す呼吸が雲を作るように、迷走を繰り返しながらも空を徐々に覆っていく。
迅速に月を落とし星を吸収させていく空の下、彰は車を走らせる。
西へ。
空から消えた残照。
片隅に滞るクラシカルの残響。
煙草の煙りが漂う残像。
無表情の行き交う残骸。
心を締め上げる過去の残存。
押し寄せ続ける懺悔。
臘月の大地を染め上げていくであろう真っ白な結晶は。
彰に何を残し何を排除していくのだろう。
窓の隙間を風が踊り鳴る。
冬の音だ。
「そろそろ雪になるか…」
彰は前を向きながら呟いていた。
名古屋までの距離は過去を振り返り決断するための猶予なのか。
伊吹山麓から流れだす北西の風が湿り気と冷気を吹き流していく。
掲げられた岡崎市の看板が視界に入ってくる。
名鉄線を跨いでいく湾曲に曲がる橋の上からは国道一号線の先に置かれた数個の信号が見えた。
全てが青く光っていた。
誇張されるほどの青は彰の瞳を惑わす。
赤か青…。
彰がその場所に辿りつくころには信号は赤に変わっていくのだろう。
「赤か青……か」
彰の呟きにはあらゆる負の感情が含まれていた。
橋を降りて再び直線的に延びる道は、テールランプの赤色と対向車のヘッドライトの黄色い光りが溢れ出していた。
彰は目を細める。
その幾つもの光りの連なりが生命体を連想させる。そう、それはまるで巨大な蛇のようだ。
決められたレールの上をルールに従い生真面目なままに巨大な蛇は体をくねらせていく。操られた見世物だ。
彰はその光りのなかに紛れ込んでいく。
あのときから…俺のなかには巣くう悪魔が出来上がった。
突如小刻みに震えだした指は何を探す?
ヴァンガードの前に車線変更してきた10トントラックの壁が視界を遮る。
窓を開ける。
冷たい風が身体を撫でていく。
震える指のまま煙草をくわえて火を付ける。
目先に生まれる赤。
煙りを肺に溜めこみ、間を置いてから吐き出していく。
前のトラックの壁に書いてある運輸会社の会社名。
それを見ながらまた煙草に唇を当てる。
赤と青。
記憶が刻々と蘇っていく。閉ざした引き出しも解放されていくのだった。
襲う我の中の悪魔。
それは無条件に巣くう醜い悪魔だ。
彰はいまそれに対峙する。いや対峙せざるを得ないのだ。
早くなる鼓動。
震えだす唇。
彰は火の付いたままの煙草を投げ捨てた。
それは赤からの逸脱となる。
だが前面の赤はさらに広がっていく。
左手の人差し指が激しくハンドルを叩きだす。
突如沸き上がる吐き気。
いま見えるのは運輸会社の文字。
文字、文字。
いま俺はここにいる!
彰は心のなかで叫ぶ。
「キャー!助けて!」
奈緒子の悲鳴が聞こえてくる。
中学生の奈緒子が彰に訴える。
お願い…助けて
やめろ…やめろ…やめろ!
助けて…彰君…。
殺してやる…殺してやる!
中学生の彰が手にした包丁が青白い光を放った。
殺してやる…
聞こえるのはアスファルトを滑り続けるタイヤとエンジン音。
そして蛇だ。
蛇の一部と化す自分自身。
決められたレール。
夜空を駆ける雪雲。
生きる屍。
「……」
彰はアクセルを強く踏み込んで追い越し車線へとウインカーも出さずに割り込むように移った。
あの時のことを…
思い出すと襲う吐き気と悲しみと怒り。
尋常ではない吐き気が彰を過去へと連れていく。
悪魔との対峙。それはきっと自分が死ぬまで続くのであろう。
それは自分自身への戒めとして。
彰はこれから会う人物を想像して悪魔との対峙から離脱していく。
酩酊の底からいでるような深呼吸。
助手席に置いてある携帯電話が鳴りだす。
彰は携帯電話を手にして誰からの着信なのか、ディスプレイを見て確認をしてから通話ボタンを押した。
「はい」
相手が何かを話す
「ああ。今日は中川区まで行ってくる。明日には帰るから。わかってる。いま運転中だから。じゃあ切るよ」
携帯をしばらく握ったまま思案をしていたが、やがて思い出したかのように助手席に置いた。
電話は父からであった。
彰はもう一度携帯電話に目を移した。
父の声が彰の心に僅かばかりの平穏を与えた。
これからは俺が父と母を守らないといけない。
親孝行の気持ちをはにかみに乗せたままに再度携帯を見たとき、
そいつはそこにいた。
「やぁ」
サイドシートには男がいる。腕を組んで足をダッシュボードの上に投げ出しこちらに顔を向けている。
「お前…」
彰が男を睨みつける。
「大丈夫か?また発作が起きたんだろ?俺は助手席からヒヤヒヤとしながら観察していたよ。もしそのまま過去の怨敵に圧縮されていたらいまごろこの車は事故ってたよな。怖い怖い。お前の勝手なる病によって巻き添えを食らう誰かがいたかもしれない。とても可哀相なことだ。現実はひとつ」
男は長く太い人差し指を立てた。
「事故もせずに俺もこうして出てこられた。いまのところは上手くいってる」
男は前方を見据えにたにたと笑いだした。
「この車に俺も同乗した。一緒に行ってやるよ。あいつに会いに行くんだろ?遠藤壮太。大親友だった壮太君。壮太様だ。さて彰。また記憶の糸を辿ろうか。名古屋までは時間があることだしな」
”そのもの”は
声をたてずに笑っていた。
彰と壮太は中学生になった。
中学校がある場所はマンションから徒歩で15分ほどの距離になる。
マンションから中学校までは北東にほぼ直線で走る高速道路の高架下の側道があり、北門に繋がる一番の近道なのだがそこは登下校道路ではない。多少遠回りをする形で南側の門から通うことになる。
この地域の公立中学校は二校の小学校が合流することになる。
彰と壮太が通っていた小学校は学区が狭く生徒も少ないためにクラスが二組しかなかった。
中学校は七組まである。
もう一つの小学校は生徒数も多い。そのために新たに友達を作ろうと思っても小学校からの流れがあり最初は多少の戸惑いが付いてくる。最初は小学校が同じ者同士で固まってしまうのだ。
彰と壮太は偶然にも同じクラスになった。
七分の一の確率に二人は喜びあった。
「おい彰!俺達同じクラスだぞ!やったな!しかもA組だぞ。なんでも一番はいいもんだよな」
壮太が体育館横に張り出されたクラス分けの掲示板を見て彰の肩を掴んでから抱き着いた。
部活動も二ヶ月の間に決めなければいけない。彰はぎりぎりまで悩んだ挙げ句、陸上部に決めた。
壮太には一緒に剣道部へ行こうと何度も誘われたのだが、元剣士だった父親とわだかまりが続く彰には、やる気がどうしても起きなかった。
昔の父はよく剣道二段の腕前を見せてくれた。
それは彰にはかっこよくて眩しすぎた。
そんな憧れの人がいまは、たんなる酔っ払いで、日々、母親に暴力を振るうのだ。
剣道の竹刀を見れば父の善き姿だった頃を思い浮かべてしまうだろう。 すでに消えいる寸前の残像なのだが、巨大な愛の裏返しのごとく苦痛の刃がきりきりと彰の心に攻め入ってくる。
中学校生活が始まった二日目。まだまだ、着慣れぬ学年服を纏った二人はマンションの入口で奈緒子と会った。
朝の登校時間である。
杉田奈緒子は二年生になっていた。もちろん奈緒子も学生服姿だった。
右手に鞄、左手には黒いケースを持っている。
元々、奈緒子の体型は細かったのだが最近はより細くなったように感じた。
そして少し猫背で覇気がない印象を受ける。
「あ、あ…あの…奈緒ちゃんおはよう!」
壮太が頬を赤く染めながら、どう?みたいなふうに 学生服姿を見せた。
「おはよう。うんうん二人ともカッコイイよ。すごく似合ってる」
奈緒子が見せた久しぶりの笑顔だった。
彰はなんだかホッとした。
久しぶりに見た奈緒子の笑顔はとても綺麗だった。
でも彰は奈緒子の頬が少しこけて痩せているのが気になった。
「あ、私は一応は先輩だからね」
奈緒子が人差し指を出してまた笑う。
可愛い笑顔だった。
彰も壮太もその笑顔を見て何も話せなくなってしまった。
「あ、あの。じゃあ…さ、一緒に学校行かない?」
壮太が恥ずかしげに聞くと
「え?…うーん…一緒にはちょっと行けないかな…ごめんね。部活があるから急いで行かないといけないし…」
途端に奈緒子は平静さを失うように手を小刻みに振りだした。
「そっか…残念」
壮太が呟いた
「じゃあ奈緒ちゃん。学校でね」
彰が手を挙げると奈緒子は困ったように顔を伏せて
「うん」
首を縦に振った。
その日学校で、彰と壮太は二時間目の授業が終わって休憩になったときに嫌なものを見る。
同じ小学校を卒業した知り合いが もう一つの小学校の不良グループに因縁をつけられていたのだ。「おい!お前さ。さっき俺にガン飛ばしただろ?は?なんか言えよ。情けねえな。何びびっってんだ?ションベンちびっこか?おい!」
二人連れの男は机を囲んで一人の男を挑発していた。
「あ…あの…い…いえ。睨んでなんかしてません…」
「じゃあとっとと謝れ。土下座しろ」
一人が俯いたまま座り続ける男子生徒の椅子を強く蹴った。
「あ…」
男子生徒はビクッとするが下を見たままであった。まるで蛇に睨まれた蛙のようになっている。
「す…すいません…」
「はぁ?聞こえんなぁ。なぁいま聞こえた?しかも土下座だよ土下座。早くしろよ」
不良の二人の男は笑いながらも何げなしにちらちらと振り返る。
彰はその行動を見つめていた。
振り返った先の席には金髪の男がいた。
足を投げ出し鋭い目つきのままに睨みつけている。
「早く土下座しろや!」
「シュン。ちょっとこいつトイレに連れていっていい?」
「ひぃ…す…すいません。ゆ…許してください」
シュン?
あの金髪男がシュンという名前なのか。窓際の席に座る彰は冷静に見続けていた。
「だぁかぁらぁ。土下座だよ土下座」
一人が男の後頭部をぱちんと平手打ちしたときにガタンと椅子と机が当たる音がした。彰がその音の鳴ったほうを見ると、壮太が右足を貧乏揺すりのように揺り動かしていた。
シュンと呼ばれた金髪の男は細く切るような瞳のまま睨みつけている。
教室にいる生徒達は皆が目を逸らし黙り込み、見て見ぬ振りを決め込んでいた。
教室の一番後ろの窓際の席にいる彰は舌打ちをした。
「ったく…」
行くなよ壮太。
きっと金髪の男はお前が立ち上がるのを待っている。
彰は窓の外に目を移して青く煌めく空を見てから、次の授業の教科書を開きだした。
次は数学か…。嫌だな。
そう思ったときに、聞き慣れた荒い鼻息が耳に届いた。
「おいおい。ちょっと待てよ…あいつ…」
壮太はバンッと椅子を蹴るように立ち上がると肩を怒らせながら二人の男のほうへと向かっていく。
「ったく…壮太は…ほっとけばいいのに…」
彰も渋々といったふうに立ち上がると、まずは金髪の男を見た。
「…ったく」
金髪の男の口元には笑みが見られた。軽く上げられた唇の端は獲物側から見上げる猛禽の嘴のように獰猛でいびつに見えた。
たちの悪い奴とクラスメートになったもんだ。
喧嘩を楽しむ男は好きじゃない。
金髪の男も立ち上がったのを確認してから彰も壮太の後ろを追いかけ始めた。
入学早々にあいつは…
無視しとけばいいのにな…これからあんなのを一々気にしてたら…
きりがない。
彰はぶつぶつと呟きながらも渋々といった案配で壮太の背中を追っていく。
まあ…それが…
壮太のいいところでもあるんだけどな。
問題は。
あの金髪だな。
あれは本格的なワルだ。
彰は喧嘩になったらすぐに仲裁に入るのを目的に歩いていく。
授業と授業の合間の休憩中である。生徒達は個々に何かをしている時間だった。
不良達の凄む姿を横目で見ながらも黒板の前でチョークを手に持ちながら話す男子生徒や机を囲む三人の女子生徒などがいる。
他は静かに慄き俯くままだった。
誰も怖くて助け船を出そうとはしない。
だがそんななか肩を怒らせて歩く男が一人だけいた。
少しずつ教室にいる生徒達から視線を浴び注目されていく遠藤壮太の巨漢といえる体躯。
短く刈り込んだ坊主頭がよく似合い、眉毛は濃く顎は大きく眼は細い。
すでに男としての壮観さがある。
そんな男が不良の男の肩を後ろから掴みあげた。
その掴む力は異常なほどに力強かった。
「なぁおい」
壮太の低い声に男はびっくりした様子で振り向いた。
この状況で話しかけてくる見知らぬ奴はまずいないだろうという先入観があったからだ。
いままでに誰かが喧嘩やイジメの仲裁に入ってくるなんてことはなかった。それにこの肩を掴むバカチカラ。
男は瞬時にこれはテレビでよくあるヒーローもののワンシーンか?と思った。そうなると俺が悪者か?とも考えが至った。
だが振り返りそこにいたのはヒーローものとはまったく違う印象の男がいた。それは昨日の入学式から気にはなっていた身体がでかくいかにも腕力がありそうな男だった。だが自分らのリーダーであるシュンが近く仕留める男でもある。
そいつがいま、低い声を出して自分の肩を掴んでいる。
それはあまりに突拍子もないほどに突然なことであったために恐怖感が先に出てくる。
男にもそれなりの喧嘩の経験があるし、リーダー的存在であるシュンの視線を感じている手前、相手に舐められてはいけない。微々たる怯えさえ周りに見せるわけにはいかないのだ。
「なんだお前?」
最高なガン付けだった。
これで何人もの相手をびびらせてきた。
男はわかっている。多少なりともびびらせてしまえばこちらの勝ちなのだ。
シュンの手を借りるまでもない。
男はいま目の前にいる身体の大きな男を捩じ伏せることがいま自分の中のステップアップだと感じた。
それは一端の不良として折れたくはない気持ちなのだ。それに今後、シュンと肩を並べて闊歩することもできるだろう。
「なんだよお前は?ボコられたいのか?」
男の最高潮でもあるキメセリフ。
だが今回は違った。
この巨躯の男はまったく意に介さない表情をした。
戸惑いも動揺も相手からは感じられなかった。
壮太は肩を掴む力を緩ませた。
「そんな睨んでくんなって。あのさ俺が思うに、やるなら対マンでやれよ。な?一対一。正々堂々だろ?お前ら二人で一人にとやかく言うのはダメだ。それは格好悪いぜ」
後ろから近付いていく彰にも壮太の声が聞こえてくる。
正々堂々…。
壮太のこだわりだな
彰は少し歩くスピードを緩めた。
まあなにかあったら すぐに飛び込めばいい。
そんな距離まで来て足を止めた。
「な?だろ?二人でよ。みっともねえぞお前ら」
「なんだと!」
二人は壮太を囲んだ。
「ありがとう…壮太君…」
イジメられていた男が壮太の名前を呼んだ。
顔面蒼白で椅子に座っている男とは小学校は同じだったがあまり話したことはなかった。
おそらく壮太はこの男にも何か言いたくてこの場にいるのだろう
「お前さ…ちんちん ほんとについてるのか?」
情けないぜ…
そう言った時だった。
突然、男が壮太の顔を殴ったのだ。
ガチッ。
骨に当たる鈍い音が教室中に響いた。
近くにいた女子生徒が
悲鳴を上げた。
壮太の表情が一瞬にして変わった。
男が続けざまに左手で殴ろうとしたその瞬間の出来事だった。
壮太が動いた。
「ぐわっ!」
次の瞬間には男が絶叫と共にその場に喚いて疼くまっていた。
「え?」
「いま何が起きたの?」
悶絶する男を見て唖然とする他の生徒達。
床に膝を付いて呼吸を乱す男。
もう一人は仲間が一撃で倒されたことによっておろおろしはじめた。
後ろで見ていた彰は感嘆の声を出したくなった。
空手でいえば肝臓打ちだ。
壮太の得意技だな…
だが戦いはここでは終わらない。
彰と壮太は男が苦悶に耐えながらのたうちまわるのに気を取られていた。
その背後に一筋の閃光が走っていく。
突如、壮太の後頭部に衝撃が走った。
「ぐあ!」
金髪の男の飛び蹴りが巨体を瞬時に吹き飛ばしたのだ。
着地した金髪の男は蹴る前に脱いでいたピンク色のスリッパに悠然と足を入れてから、机を吹き飛ばしながら倒れた壮太に向かっていきすぐに二の手を振りかざした。
そこに彰が自らの身体をねじいれて、壮太の顔面に繰り出された金髪の男の拳を瞬時に払いのけた。
二人の乱入によって喧嘩の乱調さは教室内におさまらないほどに拡大していた。
金髪の男の片手を掴んだままに睨みあう二人。
壮太は「いててて」と後頭部を抑えながらのそのそと立ち上がろうとしていた。
これで終わらないと誰もが思った。
金髪の男が彰に向かって動き出した。
ここにいる皆が手をきつく握りしめたときだった。
「やめて!」
女子生徒が大声で叫んでいた。
「私!先生呼んでくるから!」
眼鏡をかけた背の高い女子生徒が後ろ髪をなびかせて廊下を走っていった。
この女子生徒の名前は須田樹里。
拳を下ろした金髪の男は須田樹里の背中を睨みつけてからスリッパで床を鳴らしながら歩きだした。
「またやろうぜ。次はお前だ」
シュンと呼ばれる金髪の男は彰を指さしてそう言い残してから教室を出ていった。
男二人もシュンの後ろを追いかけるように教室を出ていく。
騒然とするなか彰は手を差し延べて壮太を立たせた。
「な、なんだよ、あの金髪野郎は」
まだ痛むのか後頭部を抑えながら顔をしかめている壮太。
「あれは厄介な奴だな。まぁ」
彰はフッと笑いながら言う。
「いい飛び蹴りだったよ」
次の日の朝。
「俺は遠藤壮太だ。よろしくな。昨日のは結構効いた。お前の蹴りはなかなかすげえな。でも後ろからとは汚いぜ」
シュンこと沢村俊介がピンク色のスリッパを鳴らしながら教室に入ってくるなり壮太から話しかけていった。
「ウドの大木がうるせえ。殺すぞ」
俊介が鋭い目線を向けると壮太は俊介の肩をぽんぽんと叩きながら目尻を下げて笑った。
「ウドの大木か。上手いこと言うなお前」
彰は自分の席からその光景を腕を組んで後ろから見守っていた。
俺にはできない…
ああやってすぐに仲直りってのは。
彰はそんな壮太を心から尊敬する。
「俺もお前をシュンて呼んでいいのか?」
「てめえ調子にのんなよ。くそデブが」
「がはは!俺はたくさんあだ名ができそうだな」
俊介は切るような目で睨んでいたが、壮太からまたそう返答されると頭をボリボリ掻いて僅かに口元を歪めていた。
「お前の目は鷹みたいだな」
俊介は笑いだしていた。
白い歯がこぼれた。
「くせえぞ、くそデブが。とっとと俺から離れろ」
「わかったわかった。じゃあまた後でな」
俊介の肩をまたぽんぽんと叩いてから歩きだす壮太。
後になって彰は壮太に聞いた。
あの金髪に後ろからやられて悔しくなかったのか? と。
壮太は言った。
そりゃすげえ腹たったけど、あいつはちょっとやべえよな。あの目はな。
俺があのちびっこに負けるとは思わないけど、これからずっと同じ教室のなかでいがみ合うってのは疲れるもんだぜ、とくにあの目に睨まれ続けるのは想像しただけで嫌になる。
「これも渡辺先輩のおかげだよ。謝れはいいんだ。簡単なもんだ。プライドなんてもんはときには邪魔なだけだ」
一年前と比べると二人は大きく変わっていた。彰は不動的冷静さを、壮太は絶対的求心力を身につけようとしていた。
空手によって二人は急加速なまでに成長していく。