初恋。始まりの終わり
岡崎市と安城市の境目を示す標識が上空を流れていった。
彰が運転する車は直線を西へと向かう。
変わりない渋滞、繰り返される往来。
名古屋市へと向かう過程のなかでとめどなく溢れだす過去への後悔がある。
だがもう流れ過ぎていく景色には手は届かない。
車輪は止まることなく回り流れていく。
先へ。
それは忌まわしい過去との決別のためになるのか。
前車のテールランプによって彰の黒目は赤く光りだす。
暗む目。
ただ追尾。
展開されるのは単純なる赤の情景。
透き通るほどにシンとする狭い車内で彰は人差し指でハンドルを叩きだす。狂想曲を奏でるようにリズムは作られていく。
滲む手の汗がハンドルの上を滑っては溶け込んでいった。
繰り返す信号の赤色に染められた車内のなか彰の見つめるその先には。
いまもダッシュボードのなかで想いの香りを漂わしている奈緒子からの”お守り”
永遠にわす忘れない
杉田奈緒子の香り。
いまその香りが彰の鼻腔をくすぐっていた。
永遠の口づけを繰り返したあの香りが。
奈緒子の柔らかい唇の感触が。
漏れる息の温かさが。
香る。
奈緒子の長い髪の
華奢な肩先の
白い喉元の
柔らかい胸の
熱を帯びた太ももの
忘れない香りが。
いまはっきりと彰はその香りを確認できた。
―離れたくない。彰君とずっと…離れたくない―
―離すものか。永遠におれが守る―
甘美な香りと同時に彰の鼻腔を貫いていく絶望的ともいえる怒りが。
その二つの激情な香りが彰の内部に”そのもの”を完全に作りあげた。
あの日から。
自分の内部で共存する
”そのもの” が。
そう。あの日から…。
彰の心が張り裂けるまでに抱いた怒りによって生まれたもう一人の彰。
いま”そのもの”は助手席に座り、彰がハンドルを叩く音に耳を傾けていた。
そして口を開けて思考する節を見せるように時を空けてから話しだした。
「寂しいリズムだよ。支配され続ける絶望的な冷たさだよ。お前はあの日のことを。自らの弱い心を噛み切りたくなるほどに屈辱的な記憶を、虚無と共に引っ張りだしてくるたびに薄々感付いていたはずだ。奈緒子はどんな気持ちで―」
「やめろ!」
”そのもの”は彰の怒鳴り声に対して、多少驚いた表情をした。
「…。そうか…。そうだな。お前は…」
わかっていたら…
お前が殺していたよな。
あいつを。
くっくっく
そのものは笑い出した。
…俺はいまから遠藤壮太に会いに行く。
壮太は親友であり、恋人を得るために戦った好敵手だった男であり、
そして…
実の兄である賢治を殺し逃亡者となった男。
希望を見失うために過去を引きずる。
それでもきっと人は生きていくのだろう。
今日。
壮太は来る。
奈緒子の誕生日である今日12月27日。
必ずあの公園に来る。
彰は前を見据えた。
おれは親友に会いに行く。
初恋。
完




