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初恋。  作者: 冬鳥
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騎士

痛みと疲れが入り混じった息遣いが秋の風に深く溶け込んでいく。

それは二人の肺から同時に吐き出される混迷と混沌が包まれた呼吸だった。




奈緒子から連想される色は白だ。

いま真っ白な風船が彰の心の隅々まで膨らんでいるのがわかった。


彼女のすべてが愛おしくて…。

狂うほどに。

溺れるほどに。


―彼女を求め求められたい。


もっと…もっと。


うずくまり頭を掻きむしり自らの指を噛み千切るほどに。


狂おしいほどに。


究極なまでの



人間のままに。



奈緒ちゃんが欲しい…。



彰は

一つ一つに魂が宿る息遣いをまるで旋律のごとく出す親友を隣りにして奈緒子を想い続けていた。



彰はいま思う。


いまはまだとても小さな不安だけど。


だけどいつか…。

その不安は、研ぎ澄まされた針となり、純白の風船を割る日が来るのか。


親友を殺したいと思うほどに目障りに思ってしまうのだろうか。



奈緒ちゃんは…。



いつかおれの手が届かない彼の腕のなかへと包まれてしまうのだろうか。



彰は壮太の横顔をちらりと見た。


学校のすぐ西側を走っている高速道路がいま彰の真上にある。分厚いコンクリートを伝わる振動と音。四階建ての校舎と同じ高さを、幾台もの車が走りすぎていく。



すべての筋肉、関節が休息したように二人は静止する。

そのなか駆け巡る思考。


塀にもたれ掛かり前を見つめる彰、その隣りでは座り込んで地面を見つめている壮太。


会話はない。


空気に触れさせる言葉はお互いに見つからなかった。


刻み行く時の流れ。


不明瞭な感覚に陥る時間と思考の平行。


どれほどの時が二人を無言の世界に閉じ込めていたのだろう?。果たして時計の針は正確に刻んでいるのだろうか?


心のなかは奈緒子が占有していた。


二人は無防備なままに受け入れた。



夜空に浮かぶ満月。


その弱い光が暗闇のなかを闊歩している。そして時は刻んでいるのだと言わんばかりに優しく二人を見届けている。


月の光りの柔らかさを感じた壮太は目を細めながら夜空を見上げた。


―時は刻印を形繕いはじめた―


壮太は地面に広がるアスファルトに触れてなにかを掬い上げた。

その指先を見つめる。


ひんやりとした感触が指先を覆う。




幼い頃に見たジャッキー・チェンの映画が浮かんだ。


絶対的な存在が悪を打つ。

カメラアングルはたえず彼を映す。


他の誰でもない。主人公である彼を。


他は彼を際立たせる飾りでしかない。



壮太は歯を強く噛み合わせた。




「…彰。かなりやられたな。ん?大丈夫か?」


「ああ…大丈夫」


壮太の声によって封印が切られたように彰は顔を歪めて右足を摩りはじめた。


「足…痛むのか?」


「うーん。折れてはない。壮太、お前こそ大丈夫なのか?歯がないぞ」


彰が言うと壮太は豪快に笑い出した。


瞬時に温かい空気がこの場所を包んでいった。

壮太の笑い声には温和が滲み出ている。




「前歯がなくなっちまったからスースーしてなんだか寒いぞ」




壮太が上唇をめくりあげて前歯がないのを強調すると思わず彰は吹き出した。


「ったく」



口をすぼめてくすくす笑う彰を見ながら壮太は手を差し延べた。




「よし彰。握手しようぜ」






二人は笑顔を見せて血が付いた右手を伸ばし合いそして重ね合わせた。座り込む壮太は上に手を伸ばし、立つ彰は前屈みになりながら下に向けた。壮太は力強く、彰は優しく包み込むように手を合わせお互いの体温を感じ合った。


愛する女性を救ったことによる安堵と希望。


そして傷だらけの身体を癒すかのように温もりが染みる握手。


「あのよ。お、俺さ…」


思い詰めた決壊を破るように壮太は恥ずかしそうに鼻頭を掻きながら言った。


「さっき言ったこと忘れてくれ…」



―奈緒ちゃんが好きだ!―



彰は微笑んだ。


「ああ」



暗闇のなか秋の虫が鳴りはじめた。




「来た」


壮太が暗闇を指差した。

彰も立ち上がりその先を見る。




一つの人影がこちらに向かってくる。それはゆらゆらとすぐにでも消え行くような心細い影だった。

だが確実にそこに存在している影だ。

二人は奈緒子の影を待つ。この場所で。

この気持ちのままに。

時に揺られるままに。







奈緒子が職員専用門に走って行くと暗闇の中に、二つの影が門のそばにあった。

近付いていくと黒い影は、彰と壮太なのが次第にわかってくる。


奈緒子は近くまで来て二人を見た。


彰が口を開く。


「遅いよ奈緒ちゃん」


壮太も続く。


「さあ奈緒ちゃん、帰ろうぜ」



「…」


「……」



奈緒子は泣き出した

その場に座り込んで、両手で眼を覆い、そのまま突っ伏して嗚咽混じりに泣き出した。

その声は大きくそして長く続いた。




「ごめんなさい…ごめんなさい…」



彰が足を引きずりながらよたよたと歩き、奈緒子の後ろに来て何度かのためらいの後に背中に軽く触れた。


壮太は鼻血を袖で拭いて奈緒子の前に座りニッと笑った。

前歯が二本欠けていた。



「謝ることないぜ。俺達は幼い頃から守ると決めてるんだ。なぁ彰?よし。帰ろう。あのマンションがあったかく俺達を迎えてくれる」


鼻をぼりぼり掻きながら顔を真っ赤にして話す壮太の言葉を、彰は前に歩き出しながら耳にすると、両手を上に伸ばして大きく背伸びをした。



「ああ。守るよ奈緒ちゃん。それより俺は腹減った」


ちょうどその時、門の前にある南北に延びる細い道に車のライトが通り過ぎていく。

照らされる二人に奈緒子は視線を送った。

二人とも顔面を腫らし手足は傷だらけだった。


奈緒子はしばらく歩けないほどに。


泣いた。


涙が止まらなかった。



壮太が優しい口調で微笑みながら言う。



「奈緒ちゃん。俺達はずっと仲間だろ?」


「…壮太君…」



先に歩きだしていた彰は振り向くと奈緒子と視線を合わせた。


「仲間だ。これからもずっと俺達は助けあって生きていくんだ」



奈緒子は溢れ出る涙をそのままに彰を追い掛けるように走りだした。



彰君待って。



奈緒子の背中がゆっくりと小さくなっていく。


壮太は苦笑いをして奈緒子の背中を見つめ続けた。


そして泣き出しそうな顔のまま二人を追うように歩きだした。





次の日、二年C組の教室に佐野は来なかった。


佐野が学校に来たのは一週間を過ぎたころだったがまたすぐに欠席を繰り返すことになる。


そして。

佐野は何かから逃げるように引っ越して行った。


二年生は突然、佐野というリーダーを失ったことによって不良達の統率は崩れ、前代未聞なまでに荒れていった。いくつものグループが作られ互いに争いに明け暮れる日々となる。


壮太と彰が巻き起こした佐野ら二年生との抗争。

その次の日から奈緒子のなかで何かが芽生えた。

偽る自分を萌芽させた。



彰を想像させる冬の空の色のしたで彼女の根底からの性質を変える日が来た。


血を流し戦った二人。

その勇気と強さに奈緒子は感化された。

だが彼女が変わるために一番の印象を与えたのは俊介が並べた言葉だったのかもしれない。


俊介の言葉には死よりも怖いものがあった。



お前引越せ。



俊介と同じ言葉をもし彰に言われたら。



それは奈緒子には死以上に怖いものだった。



嫌だ。

私は絶対に離れたくない。


強い鼓動での生き様を彼女は自ら掴みあげようとした。


奈緒子はいつものようにクラスメイトの女達に囲まれていた。



「奈緒子。昨日、男子となんかあったんでしょ?てっきり昨日飛び降りるか首吊りで死んでくれるかと思ったのに。残念。早く死んでよ」


そう言うと、キャハキャハ笑い声をたてながら奈緒子の靴を踏もうとする。


奈緒子はそれを避けて相手の靴をおもいっきり踏んだ。


一瞬、唖然とする女達。



「痛!な、何よ!やったわね!」




始めての抵抗に驚き逆上した女が奈緒子の髪を引っ張って、もう一人の女が奈緒子の左頬を平手で張った。


奈緒子は涙を流しながら唇をキッと噛むと平手打ちした女の髪を引っ張った。

そのまま しゃがみ込んで下まで引っ張る。


「ひぃっ!痛い!痛い!やめて!」


女が叫ぶ。


「ねえ!痛いのよ!こんなに痛いの!わかった?」


奈緒子は大きな声で怒鳴っていた。そして平手打ちした女を突き飛ばした。



「私は…私はもうあなた達に負けないから!まだ私をイジメるなら殺すつもりで来なさい!じゃないと私があなたたちを殺すから!あなた達など怖くない!」



奈緒子は唇に滲む血を手の甲で拭いてから、スカートのポケットから大きなカッターナイフを覗かせた。




「いい?これに毒が塗ってあるって私の言葉。信じる?信じない?ねえ!いまから誰か試してみる?ねえ!誰か刺されなさい!」


身体を震わせながらも血相を変えて怒鳴る奈緒子に、女達はいままでに経験のない戦慄を覚えた。




負けないよ。

戦う…。


私はずっと逃げてきた。戦うこともせずに。

時間が解決することしか考えていなかった。


自分自身で切り開く。

勇気を持って。


離れたくない。

私はずっと…ずっと…、彰君と離れたくないから。


この街を離れたくはないよ。


だから。


奈緒子は毅然たる態度で背筋を伸ばし立っていた。


「どいて!」


奈緒子は囲む女達の一人の肩に肩をぶつけて前方の進路を見出していた。


そこには大橋彰の笑顔の残像があった。


奈緒子は大きく深呼吸をしてその映像に向かっていった。






2010年12月27日。





―東海市―





杉田奈緒子は、自転車を止めてふと後ろを見た。


製鐵所の煙突から吐き出される煙りは風に流され弛んでいる。



何年、何十年経っても思い出すあの日。



私が変わった日。




彰君…。




…壮太さん。



製鐵所の長い煙突の先から出される煙は南東の方角へと棚引いている。




奈緒子は弛む煙りの先まで目を送っていきそして瞼を閉じた。


鼻から吸う空気は冷たく現実的だった。



「帰ろう」




私は。愛を貫く。


これからも。


壮太さんが帰ってきたときに私の愛を見てもらうために。


私は貫く。


奈緒子は目を開くと前を向いてペダルに足をかけた。


遠い昔…

もう戻れない


辛く甘かったあの時代…



もう…。


彰君と会うこともない。


もう…

…ない。

私と会えばきっとあの人を苦しめるだけ。



帰ろう。


愛がある場所へ。


いま感じる掛け替えのない愛する人がいる喜び。

奈緒子はそれをいま噛み締めている。

心の底からの愛を。






―安城市―。


国道一号下り線


西へ行く。


大橋彰の右人差し指はたえずハンドル上部を叩いていた。

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