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初恋。  作者: 冬鳥
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元の木阿弥

「シュン。どうして奈緒ちゃんがここにいるんだ?どうして須田もいる?壮太もいるのか」



「彰…おまえこそなんでここにいる」



いまは仄暗さに支配されている長い廊下。その突き当たりに見えるのは大きく口を開いた階下に続く漆黒の闇への入口だった。


その先にはなにが待ち受けているのかいまは誰もわからない。


俊介は壮太がいま正確にどこにいるかもわからなかった。


「おれは体育館から正門のほうを見に行く。シュンはプールから北門までを探してくれ。ただし佐野を見つけても絶対に手を出すな。必ず俺を呼びに来るんだぞ。お互いに見つけられなかったら一旦教室で待ち合わせしよう。奈緒ちゃんがいるなら焦ることもないからな」



階下から飄々とした空気がこちら側に流れこんでくる。


プールから北門に周り自転車置場まで探しまわったが結局見つけられず教室に戻ってきた俊介は壮太がここに戻ってきてないことがわかった。


佐野は正門方面にいることになる。



幾多の風狂がざわめく場所にいざ向かおうとしたそのときに

俊介は後ろから呼び止められたのだ。



「彰…」


俊介の肩を掴むその手は強く揺るぎない力だった。




小動物のように絶えず神経を四方八方に張り巡らす鋭敏な男の背後を気配を悟られぬままテリトリー内へと侵入してきた一つの影法師。


俊介が振り向くと大橋彰が真正面から見据えていた。



俊介の体内を巡る血液が僅かにだが早くなる。






校舎の外からは部活動を終えた生徒たちのぞろぞろと歩く雑音がここまで届いてくる。

片や

いまだ校舎の内部にいる人間達の周りには静寂がおしとどめていた。


A組の教室では女二人が無言のまま俯き廊下では男二人が向かいあっていた。


外と内。

相反する空間が壁一枚を隔て存在していた。


その狭間ともいえる中間色ならば遠藤壮太の心のなかに作り上げられているのか。



「部活が終わってから校舎に戻ってくるなんて珍しいな北門で杉田を待つものかと」


微笑む俊介の目を見つめるのは彰の大きな瞳だった。


ここの足元はいますぐにでも揺らぎだしそうだ。



俊介は微笑みのまま地面に視線を落とした。


指に乗る煙草の煙りが小さく踊り続けている。



彰のポケットにはまだあの写真がくしゃくしゃなままに奥深くに。


あるのかもしれないな。



彰がここに来るのは当たり前なことかもしれない。



俊介はそう思った。



この決戦においては

彰を排除したかった。



佐野の復讐を彰に向かわせるわけにはいかないのだ。

明日から報復に怖れながら日常を送るのは

壮太と自分だけで十分なのだ。



壮太だけを標的にはできない。その心がいま自分を走らせようとしていた。


何故?


壮太はおれの友達だからだ。



瞬時に外の生徒たちの日々続く迷走、或は陳腐な日常へと変動していきたいならばすべてを無視して行けばいい。


それはいますぐにだ。


脚を止め向かい合う。

もう過去の自分に戻りたくはない。


一秒ごとに。

そして着実に。



おれは変わっている。




ときに幻想なる現実的思考なんだと脈打つ音が訂正を繰り返してくる。


沢村俊介は弱い人間だ。



真実が真実を述べる。



違う。おれは出会ったのだ。


目の前にいるのがおれが愛する大橋彰だ。


彰の全身から放たれる雰囲気が瞬時にすべてを凌駕していくのだ。



素早く切り替わっていく紙芝居のように、五感のすべてにある違和感をすり替えていく。


俊介はスリッパの下に広がる床の固さを確かめるように二つの親指に力を込めた。



生まれては消えていく煙草の白い煙りだけが動き続けている。


俊介は足元に落とした視線を彰にもどした。


こちらを見つめ続ける彰の瞳を見据える。


さて。

なんて表現するべきか。



きっと…

世間を我が物顔で生きる大人達のほとんどが知らないままに生きているのだろう。知らぬままに解らぬままに幼少期思春期が過ぎ去り、こびりついた人格を引きずったままに大人へとなった。



俺は違うと言い切れる。


愛する人と出会い、

そして知ったのだ。


世の中には特別と呼べるものがあるのだ。

他人を瞬時に夢現にさせてしまうもの。


誰しもを不確かな夢路へといざなう力がある。



彰の発する雰囲気。

そして不動なる圧力。


森のざわめく音、川のせせらぎの光、海がいざなうはかない無情。



彼はいつも深い場所にいる。


とても…とても深いところから見続けている。



生まれた意味を理解し、生きる目標を知り、死ぬ虚しさへの怯えを知る。



おれは彰の残像を心に抱き生きて死んでいくのだろう。


おれの心に永遠に…引き連れていくのだ。



一日がただ恋しい。

一日がただ虚しい。



初恋は自分が生まれてきた意味を教えてくれた。



この心を忘れてはならないのだ。永遠に手の平に抱き続けるのだ。


人は本当の愛を探し生きる。



周囲の暗闇が湾曲していく幻視を捕捉した俊介は、情景を真実に戻らせるために額に強く人差し指を当てた。


「シュン。なにがある?奈緒ちゃんに…なにかあるのか?」


鋭い視線だった。

詮索を通り過ぎて詰問に行き着くような視線。


そんな目をするなよ…。



「なにって……。彰、ちょっと待て。まず俺から聞きたいことがある。どうして彰はいまここに来た?」



「ここに?」



「ああ。知りたい。教えてくれ。杉田からなにか聞いたのか?」




俊介が杉田奈緒子の名前を出すと彰の表情はますます強張った。




「部活が終わってからすぐに音楽室へと向かったんだ。そして同じ吹奏楽の人に聞いた。なら一年の須田樹里が奈緒ちゃんを連れていったと聞いた。それでここまで来た」



「いや、違うんだ…俺が聞きたいのは…」



俊介は左耳のピアスに触れてから小さな咳ばらいをした。



一年A組の教室から発する光は廊下の一部分を煌々と照らしていた。

いまの俊介にとって彰の影法師を作るその光が。彰の背中越しにあるその淡く繊細な光が。とても遥か遠くで輝くなにかまばゆいものとなっていた。


階下へと続く道。もうどれだけ走っても辿り着けない場所に感じた。現実にはたった20Mほどの距離が、俊介には過ぎ去りし記憶のように想った。

二度と戻れない遠い昔の彼方に自分を置いてきたような錯覚。



「どうして音楽室に向かった。杉田に聞いたわけじゃないなら…。もしかして…」



彰は俊介の視線を追うように振り返り背後の光を目にした。


そしてそこにいる奈緒子の温もりを探知したかのように、彰の目は温かみを増していった。


照らされる彰の横顔。


それはとても勇ましく、そしてとても優しい表情だった。



俊介の胸は熱くなっていく。



「彰…」



狂おしいほどにその横顔のその白い頬に触れたくなる。その唇にしゃぶりつくような口づけをしたくなる。



いま作り上げる我を忘れるのは簡単なことだ。



まやかし物の自分を捨て去り、彰を探す。自分の心にある真実の彼を探し、求めて、伝える、この思い。


それはとても簡単なことではないのか?


そうしたら俺はもう苦しまなくていいんじゃないのか?


彰。


もしいまお前を抱きしめたら。


お前がいま見せるその温もりを…


俺に。


俺に与えてくれるのか



彰の横顔は俊介の心を激しく揺さぶり続ける。





俊介の手が上がる。

細く長い指先が彼を求める。

彰の頬に向かう。


その手は震えながら。


煙草の消え行く煙りのように。

幻想的なままに。



「気になったんだ」


俊介に横顔を見せたままの彰の口が開いた。


廊下に染みでる光を浴びながら彼は言った。




「今日は奈緒ちゃんが北門に来ないという不安が襲ったんだ。だから音楽室に行った。シュン。今日はいったいなにがあるんだ?教えてくれ」



俊介は微笑んだ。


出された右手はだらんと落ちていった。



左手にある煙草を口元に運び、煙りを足元に吹き掛ける。




「そうか。杉田奈緒子が今日集団でなにかされる情報があった。壮太がいま片付けに行っている。すべて終わるまで杉田をこうして匿ってるって段取りだ」



「壮太が?」




「向こうのリーダーの佐野にはおっかない先輩達が後ろにいる。壮太が一人でやる。理解してやれ。あいつは彰や俺を巻き込みたくないんだよ」



「場所はどこだ!」



俊介の肩を再び掴んだ彰の力には強い怒りが込められていた。


「落ち着け。いま壮太が探してる。杉田を待ちわびるクズどもがきっと学校のどっかにいるはずだ。いまここで、その場所を教室にいる杉田に聞いてもあいつは答えない。あいつもおまえを巻き込みたくないから。もし壮太がヘマしてやられたら杉田がすべてを背負うことになる。いまどこかにクソブタとクズ達が集まってる。一気に仕留めるために…今日やらないといけない。壮太がやられるとは考えにくいことだが。悪いが俺もいまから行くところだった。わかったよ。お前も行くんだろ。ただ。これだけは言っておく。明日から絶望的な不安と恐怖が付き纏うことになる。おまえの家族にも向かうかもしれない。いいんだな」


「関係ない。みんなやってやる。奈緒ちゃんを…。許さない…」



回れ右をして走りだした彰を追いかけるように俊介も走りだした。




「シュン!。俺は体育館のほうに行ってみる!」




「彰!おそらく正解だ。体育館にいる」



二人は階段を降りきったところで東に身体を向けた。



「シュン。来るな」



「馬鹿いうな」



校庭に出ると体育館に向かって走りだした二つの影。



彰の頭のなかは一つの場所しかなかった。


猫のライトを救った場所。


溜まるなら… あそこしかいない。



「許さない…奈緒ちゃんを…よくも奈緒ちゃんを。ぶっ殺してやる」



走りながら彰は叫んでいた。


下校する生徒たちが驚きながら見ていく。





彰は無二の親友に対しても叫んだ。




「壮太!二人で守るんだろ!奈緒ちゃんは…二人でずっと守るんだろ!」




さわさわさわ


彰の心の奥にいる


”そのもの”が笑いだした。


さわさわさわ。

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