三銃士
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一年A組の片隅で、身を寄せ合うようにして机を囲む二人の男と一人の女がいた。
二人の男のうち巨躯の男のほうがふと顔を上げてちらりと隣の席に目を走らせた。
その席にいつも座る男のことを巨躯の男はいま細部に及ぶまで思い浮かべるかのように茶色の椅子を見つめ続けた。
男がクラスメートに劇的なまでに見せる校庭を見下ろすその横顔。風で優しく揺れる前髪。陽にあたり光る白い肌の頬に遠くを見つめる大きな瞳。
淡く黄昏る彼の残像がいまもこの席に漂っていた。
壮太は辺りを見回して彰の気配を探った。
大橋彰は教室のなかには見当たらなかった。
「なんとかなりそうだ」
切れ長の瞳をしたもう一人の男が八重歯を覗かせた。
「樹里に頼むってことでいいだろ?もちろん俺はもう手をださないよ」
俊介の言葉に壮太は小さく頷いてみせた。
「須田。頼むぞ。奈緒ちゃんを引き止めるだけでいいからな。しかし…場所はどこなんだ…。必ず突き止めて一網打尽にしてやる。シュン考えてくれ、あとは場所だ」
歯を強く噛み合わせながら話す壮太の声は低く、そして大きな怒りに包まれていた。
「おそらく」
俊介が立ち上がり教室入口に顔を向けた。
もちろん探すのは彰の姿だった。
俊介にも彼の気配は感じられなかった。
「おそらく学校の敷地内のどこかだ。部活時間に奴らは集まって罠を仕掛けると考えられる。杉田を寄ってたかって仕留める場所か…暗く人気がない場所。そう考えるとここには闇なる場所が結構あるもんだ。っておい、樹里。お前がいま泣くな」
自分の席の椅子に座る須田樹里は俊介が話している最中、顔を伏せてわなわなと震え出していた。
「だって…最低最悪よ…私たちはまだ…まだ中学生なのよ。そんなことされたら…杉田先輩は生きられなくなる」
「それ以上言うな!」
壮太が大きな手を上げて樹里の顔の前でぱっと止めて広げた。
「須田。俺が必ず守るから。……助ける。それは必ずだ。だからもうそれ以上言うな」
隣りにいた俊介が樹里の肩を優しく撫でると、樹里はその俊介の細い指を握り返した。
二人の人差し指が違和感なく絡まった。
「ねぇ…沢村君。男達ってほんと最低。私も下校時に大人の男に声をかけられたことある…悍ましい卑猥な言葉をいきなり。最低よ…。こっちがどれだけ怖い思いをするかなんて考えてない。私達は道具じゃない、虫けらでもない。杉田先輩を絶対に助けたい。ねぇ必ず守ってあげて。遠藤君!」
―杉田先輩を必ず―。
「任せとけ。この俺が今日ですべて終わらせてやる。シュン手を出すなよ。彰もだ。明日以降向こうが年上を出してくるなら俺一人で全部受けてやる」
「わかってるよ。あんたは強い」
俊介の言葉に壮太はもう一度力強く頷いた。
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このとき大橋彰は校庭にいた。
気分がすぐれないままだ。
怒りがくすぶり続けている。
何度か深呼吸をして蔓延るつっかえを取ろうとする。
体中の筋肉が固くこわばり内臓の働きが停滞しているのがわかる。
なにか…。
彰は空を見上げた。秋の高い空を雲が流れていく。
なにかが訴える。
俺に。
……会いたい。
どうしてもいま奈緒ちゃんを一目だけでいいから見たい。
校庭に注ぐ西日を見つめる。
それから彰はゆっくりと校舎の裏側に向かって歩いていった。
途中、めまいが襲う。
瞳を閉じたとき網膜のなかで奈緒子の横顔が浮かんだ。
ふと背後から高く小さな音が聞こえてきた。弱々しい音は少しずつはっきりとした音色となっていく。
ああ…この音色は。
彰は手の平にあの時の光景をジオラマのごとく浮かび上がらせた。
ピーピーピーという単調な音。
これは笛の音色だ。
彰の過去の記憶が交差する。
「ええ!奈緒ちゃんどこ行っちゃうの?」
いつもの公園のなかにいる彰と奈緒子。二人とも幼くまだまだ弱々しい年齢。
彰と奈緒子は並んでブランコに乗っていた。
「うん…岐阜のおじいちゃんおばあちゃんのとこまで会いに行くの」
「えー!行っちゃうの?いつ?いつまで?えー!」
奈緒子はとても寂しそうな顔をする彰を見てくすくすと笑いだした。
「彰君寂しいの?」
「うん。奈緒ちゃんと毎日一緒にいたい。ずっとずーっと一緒にいたいもん」
彰が顔を赤らめる。
奈緒子も同じように顔を赤らめていた。
「私も彰君と離れたくない。じゃあ、行かない」
「やった!奈緒ちゃん行かないんだね。でも美椙ちゃんは行っちゃうの?」
「私が行かないなら美椙がママと行くのかな。私はパパとお留守番するよ。明日もあさっても彰君遊んでね」
「うん!もちろんだよ!」
彰と奈緒子は聞こえてきた音色に誘われて公園入口に顔を向けた。
美椙が公園に入ってくるところだった。
おもちゃの笛を吹きながら。
ピーピーピー。
「おねえちゃん!あきらおにいちゃん!わたしもあそびたい!ブランコのる!」
彰にある日の記憶が蘇った。
それは彰が忘れてかけていた情景だった。
俺は…
言った…。
あの日。
あの事故の日…。
もしかしたら奈緒ちゃんが行っていたのか?
そしていま背後にいるのは。
彰はゆっくりと振り返った。
急激に彰の体内で沸き上がる血液の流れ。
彰の体内で形成を始める”そのもの”が囁いた。
―ほんとの悪はおまえだよ彰―
彰は悍ましいものを見るように校舎を見上げ、そして空を見上げた。
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吹奏楽部の教室は校舎の四階になる。
授業を終えた奈緒子は重い足取りで上がっていく。
ちょうど二階から三階への踊り場付近だった。
「え…」
奈緒子は眼を合わせ思わずすぐに反らした。
そこにはいるはずがない人がいたからだ
階段踊り場に立つのは大橋彰だった。
「え?あ、あれ…彰くん…ど、どうしてここに?」
一年生の教室は向かいの校舎だ。いま彰がここにいることには違和感だけが残る。
だが、間違いなく目の前に立っているのは彰だった。
奈緒子の錯覚ではない。
「奈緒ちゃん。帰りは、またあそこで待ってるから。北門横の職員専用出入口。あそこから一緒に帰ろうよ」
奈緒子はつい彰の優しい言葉と容姿に見とれてしまい思案が遅れて間があいた。
開いた口のまま彰と対面していた奈緒子は必死になって繕うように言った。
「…あ、あの…今日は、その…部活が遅くなりそうだし…彰君に悪いから…あの…」
奈緒子はしどろもどろになりながら言葉を並べる。
彰はそれを最後まで聞かずに遮った。
「待ってるから。じゃあ、奈緒ちゃん気をつけてね」
奈緒子に後ろ姿を見せながら手を挙げてバイバイをして階段を下りていく彰。
どうしてここにいたのだろう?
いるべき場所ではないここに最愛なる人がいた。不意に会えた喜びは大きい。
一瞬にして奈緒子の動悸を激しくさせた。
躍動する血流とともに奈緒子のなかで再び小さな勇気が覚醒する。
明日も絶対に!あの人をこの目で見る! と。
奈緒子は心に強くそう思い、手を握りしめ吹奏楽部の教室へと向かっていった。
二時間に及ぶ間、クラリネットを持ち演奏をする。
集中できるわけがなかった。なんどもパートを間違え先生に注意され他の生徒が陰で笑った。
その二時間も終わり、奈緒子が帰り支度をして部屋を出て階段を下りようとするその時だった。
名前を呼ばれたのだ。
「あ、あの…、杉田先輩」
奈緒子が振り返ると同じクラリネットを演奏する一年生の女性だった。
名前は、須田樹里。
「え…は、はい…」
奈緒子は緊張をする。
吹奏楽部の生徒達が二人をじろじろと見ながら通り過ぎていく。
「あ、あの、いまから一年生の教室に来てくれませんか?」
「え?」
突然の誘いに奈緒子は戸惑った。何があるのだろう?
「えと、大橋彰君、遠藤壮太君と同じクラスなんです。私」
樹里は奈緒子が肩をピクッと動かしたのを見逃さない。
「二人がなんか話しがあるとか言ってて…部活が終わったら一年生の教室に来て欲しいって。いまから一緒に行きませんか?」
一年生の須田樹里が杉田奈緒子を誘う。
「え?……彰君と壮太君が?」
「ダメですか?待ってますよ彼ら。先輩が来るの」
「え……」
奈緒子がいま緊張する理由は、彰や壮太の名前が出たことだけじゃない。
誰かと話すこと。
彰、壮太、それと父親以外の人から話しかけられる。
そのことにひどく緊張するのだ。
奈緒子は自分の存在はいまここにあるんだと感じた。
確かにここに。
ずっと実感できなくなっていた。当たり前のことが。
奈緒子はいま飛び上がるほどに嬉しかったのだ。
でもそれは一瞬のうちに、この後に行われるであろう恐怖が現実に戻していった。
「…でも…」
山下に言われた体育館裏に行かないと。
それを彰君や壮太君は知っているの?…
でも…どうして…
悩み立ち止まる奈緒子に樹里が距離を詰めた。
「杉田先輩。どうしても二人が来て欲しいって」
「……」
奈緒子は沈黙をする。
どうすればいいのだろう?
「ごめんなさい…私…」
断ろうとしたそのとき、樹里はかける眼鏡を光らせた。
「先輩!ダメ!一緒に来てください!もう先輩の馬鹿!」
奈緒子の手を強引に持った樹里は強く引っ張りながら歩いていく。
「…え…っ…あ…ちょ…っと」
奈緒子は樹里に一年生の教室がある校舎へと強制的に連れていかれる。
二人は無言のままだった。
途中、二年生の女と廊下ですれ違っていく。
その都度じろじろと見られていった。
「だれ?あの女」
「杉田に友達できたの?嘘でしょ」
樹里は奈緒子の手を引っ張りながら連絡通路を抜ける。
ここからはがらりと変わり一年生の領域となる。
「樹里、お疲れ〜」
「よぉ学級委員長。なんか忘れものか?」
男女関係なく話しかけられていく樹里。奈緒子にはどれも親しみが込められた挨拶に聞こえた。
樹里ちゃんって名前なんだ…
かわいい名前…。
須田樹里ちゃん。
一年A組の学級委員長。
奈緒子は掴まれる手首から伝わる彼女の強さを感じていた。
二人は一年A組の前まで来た。
ここが
彰君の教室…
彼がいつもいる場所…
「先輩。ここです。入って」
樹里に引っ張られるようにして教室に入っていく奈緒子。




