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初恋。  作者: 冬鳥
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近未来からの使者

奈緒子は息を切らしながら廊下を走っていく。

せわしない息遣いが何度も体内にこだましていった。

奈緒子の横顔をとらえ続ける向かい側のもう一つの校舎が奈緒子の場所に合わせてゆっくりと角度変えていく。目まぐるしく移り変わる情景のひとつひとつが奈緒子のほんの一足ぶんの距離のなかに凝縮されていた。

日が当たる場所と影なる場所が殺風景な直線に延びる廊下を彩っていた。奈緒子はそのなかへ溶け込み放出されていった。


突如現れた金髪の男の表情がいまも奈緒子の後ろ髪に触れてくるほどに間近に感じられた。


男の鋭い目線が粘着物のごとく瞬時に奈緒子の脳裏にこびりついていた。




奈緒子は昔に見た映画のワンシーンと現在の自分をダブらせていた。



ある日大きなUFOが突然空から現れる。


着陸し操縦席から立ち上がり地面に降り立った人間に似た生物。

それは宇宙人ではなく近未来から来た人間だった。


男は摩訶不思議な服装をまとい、そして目が細く金色の髪だった。


奈緒子は当時その映画の感想を彰に話したのを覚えている。ずっと昔の話しだ。

幼い彰は両手を強く握りしめながら奈緒子に言った



「宇宙人でもなんでも僕がなおちゃんを守るからね」


彰は当時通い始めた空手の技である蹴りをエイエイッと奈緒子の前で数回蹴った。顔を赤らめながら。



「まかせて!ねっ。僕は奈緒ちゃんを守るジャッキー・チェンだよ」




近未来からの侵略者でも宇宙人でも…。



彰君…。



映画のなかの金髪の男は近未来からの侵略者だった。



奈緒子は先程金髪の男から投げかけられた言葉を反芻しながら廊下を走っていく。


どうして…知ってるんだろ。



佐野の大きな身体、大きな手の平。

むせる佐野の体臭。

山下の唾液の臭い。




「お前杉田だろ?」


金髪の男に優しく叩かれた奈緒子の右肩はまだその感触を忘れてはいない。


猜疑心と動揺が平行線を辿りながら溢れだしていた。


息を切らしながら走ってきた奈緒子は理科室の前で足を止めた。


金髪の男が見せた視線の強さ。


それは大橋彰の視線とは対照的ともいえる強さを感じた。


奈緒子の顔が綻びる。

途端に猜疑と動揺が小さくなっていくのがわかる。


彼女のなかで生きる彰の面影が浄化させていくのだ。


奈緒子は表情を緩ませたまま理科室のなかへと足を踏み入れた。



だが、そこは純粋なる現実的な世界が奈緒子を引き戻す。彰の視線も金髪の男に優しく肩を叩かれた感触も掻き消えていく。


奈緒子が座る席に何かが置いてある。よく見るとゴキブリの死体だった。


教室のあちこちから押し殺す笑い声が聞こえてくる。

奈緒子は目を伏せながら、ティッシュをポケットから出して椅子を拭きだした。

頭に何かが当たる。先が尖んがっていて刺さるように痛かった。


足元に転がる小さな物体。

短くなった鉛筆だった。



女の笑い声が聞こえてくる。男の笑い声も聞こえてくる。


奈緒子は席に座る。




「やめなよ杉田の彼氏がここまで助けにくるよ。一年の大橋だっけ?」



誰かが笑いながらいう。



「大橋?誰それ?こんなばい菌女のどこがいいの」




いま込み上げるものはなんだろう…


彰君の悪口だけは言ってほしくない。


言ってほしくない…。


いま私は何を堪えているのだろう…


堪える意味があるのだろうか?


わからなくなる…


あきらくん…



私は今日彰くんを助ける…




私はこれからも生きる価値があるのかな…



席に座った奈緒子の髪を後ろから誰かが引っ張る。


「奈緒子!」


太った女が髪を引っ張ったまま無理矢理に奈緒子の顔を上に向かせた。


「腹減ってるんじゃないの?これ食べな!」


女は手に消しゴムを持っている。それを奈緒子の頬を掴み開かせた口のなかへとねじ込んでいく。


「や…やめて…」


「ほら!ブスが!食べろ!」


周りでキャハハと笑いあう声が奈緒子の頭で響き渡る。


「や…やめて…ごめんなさい、ごめんなさい」



奈緒子はその女に懇願するように謝る。

女がにやにやしながら消しゴムを投げると奈緒子の額に当たって教室隅まで流れていった。



「また部活でもイジメ復活させるようにするからね。あんたは逃げれないよ。ずっと逃げられない。杉田。あんたは私たちの餌食よ。私はあんたのことほんと嫌いなの。よかったら死んでほしいのよ」



太った女は奈緒子の髪を掴み力任せに後ろに引っ張った。


椅子から転げ落ちた奈緒子を見た大勢の女達が、声をあげていっせいに笑いだしたときに教師が教室に入ってきた。一人の女性へのイジメは中断する。


奈緒子は髪を指で整えてから椅子に座り教科書を広げた。すべての動作が震える指先での行為だった。



理科の授業が終わり帰り道にまたも金髪の男と会った。同じく階段を降りたところだった。



奈緒子が階段を下りてくると金髪の男は佐野達と睨み合いをしていた。山下も宮崎もいた。




「…沢村。おまえ喧嘩売ってんのか?いまここでやるのかよ」




「佐野さん。おれがいま喧嘩なんて売るか。多勢に無勢だろ、しかもどうせ出すんだろ?怖い先輩達をドーンと」



凄む沢村俊介の目は佐野を怯ませる力があった。



「ちっ!一年が」


佐野は唾を廊下に吐き捨てて歩いていく。



「ふん」




金髪の男は背筋を伸ばし顎を上げながら佐野達の背中を凄まじい目つきで睨み続けていたが、階段を下りてくる奈緒子を発見すると視線を移し目尻を少しだけ緩ませた。



「お、杉田。待ってたぜ」



奈緒子は立ち止まった。


近未来からの使者はどちら側にいるというのか。



「壮太がお前を助けるのに必死になってる。だから言え。佐野のブタにどこに来いと言われた?杉田。一人で抱え込むな。言えよ」




奈緒子は再び全力で走りだしていた。




「お、おい!」



体育館の裏。


もし言っていればどうなるのだろう?



壮太君が助けてくれるの?



奈緒子にとって壮太も大切な人だ。

大切な友人なのだ。




あの人達を守れるならば私は私を失ってもいい。




一日の授業が終了して部活が始まっていく。

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