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初恋。  作者: 冬鳥
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Xデー決行日

廊下の一番隅まで連れてこられた吉川の後ろには遮断する壁があった。

俊介にはそれが多感な中学生の先に立ちはだかる視界を遮る大きな壁のようにみえた。


閉塞感を与え続けてくる所々黒ずんだその壁には、たえず集団性を求められる者達の歎きが刻まれているように思えた。

個々は数字で呼ばれ個々は成績で判断され個々を叫べば大人に刈り取られる。


手入れされない夏のグランドには同じ背丈の雑草達が無数に生えていく。


数字で呼ばれるだけまだましか。




箱のなかに閉じ込められた助けてくれ蟻の行列を日々されている助けてくれ、灰色の壁をどんどん。助けてくれおれという個人はここにいる。どんどん。



俊介はいまどんどんという音を聞いていた。




それは吉川の背中が壁に何度もどんどんと当たっている音だ。

人の力によって人が強く擦りあげられては灰色の壁に打ち付けらているのだ。


遠藤壮太の大きな手の平が吉川の胸を強く押した。



それは純真なる剛の掌とは掛け離れていた。



俊介が入学してからいままで見てきたその壮太の掌はときに弱者を助け導く強く優しい掌だった。


ときに厚く固い掌は触れられた者に安心と安らぎを与えるものとなった。

俊介の細く長い二つの目は、吉川を激しく押した掌になにか忘却なるものを捉えていた。


いまは不純なる剛となっている。



掌の行く先が壮太の心の内を表しているように俊介にはみえた。



それは怒りと迷いと恐怖だった。



「シュン。なんで来た。彰は?」




背後の気配に気付いた壮太が荒い声を吐き出した。




「大丈夫だ。須田に任せた。それにあいつは来ないというか来れない。いま彰には一歩も動く力すらない」



遠藤壮太。




俊介は斜め後ろからその掌の所有者の顔を今一度見つめた。



リーダーに相応しい男といえる。


何百人、何千人の統率者にもなれる。


いまは一年生の皆が一目置いているのだ。

とくに不良達のなかでの敬愛は深い。



グランドの雑草を束ねる大きな大きな木のような存在といえる。



その木は太い幹と長い枝を持ち、雑草達に安寧なる日陰と木漏れ日と微風を与えてくれる。


そんなあまりある男にもいま迷いがある。


これはたんなる壮太が真のリーダーに一皮剥けるべき試練に過ぎないのか。

この男を見ていると俊介にはそう思えてしまう。


必死に隠しあげる壮太の脆さがいまはまだ俊介には確認できる。


それは壮太においては矛盾すら感じる動揺さであった。



俊介は何かから目を逸らすように長い瞬きを一つしてから壁へと何度も押される吉川を見た。



「ぐぐっ、い、痛い!ご、ごめんなさい…」



壮太の力によって胸倉を掴まれたまま吉川の背中は灰色の壁に圧迫されていく。



強く打ち付けられた吉川は苦悶の表情を浮かべながら必死に壮太に謝る。


「ぐぐっ。ご、ごめんなさい。許して…」



胸倉を掴む壮太の丸太のような腕はどんな懺悔も許さない絶対さがあった。


吉川を見据え真一文字に口を結ぶ壮太の目線は鋭い。


壮太のすぐ後ろでは俊介の鋭利な視線が吉川の奥にある壁へと向けられていた。



「おい!杉田奈緒子を襲う場所は!場所はどこだ!」



怒鳴り声のあとにまたも壮太に胸を押され壁に打ち付けられた吉川は、目をしばたいていまにも泣きだしそうな顔に変わっていった。


「わからないんです。ほんと!ほ、ほんとなんです…それは聞けなかったみたいで…、あ、いや。僕の彼女がその佐野君らが話すのを聞いてたんだけど…」



壮太の絶大なる力が加わる。擦れるのは吉川の上履きだった。

それによって押し上げらるように廊下の床に溜まる埃が舞い上がった。


上部にある小さな窓から差し込んでくる弱い光に当てられキラキラと浮遊する埃を俊介は尖った眼光で睨みつけていた。



断続して光り輝くのは壮太の背中であり臀部であり太股だった。



滾る感情が身体を強張らせている。




俊介の手は何かを隠すかのようにゆっくりとポケットに入れられていった。



チョコの外装に触れながら内部で小刻みに動く指先は震えていた。

いったいこの震えは何を意味するのか。俊介自身もわからなかった。



俊介は必死に模索した。



この震えはなんだ。




震える意味。



口づけを思い出す。


彰とした長い口づけの光景がありありとまた蘇る。



震える意味。

それは彰だ。




俊介の眼光に映る壮太の背中はあまりにも巨大だった。


それを認識したいま掻き消えそうに小さく揺らいでいるのは


大橋彰という存在だった。


つい先程、震える手で壮太に写真を差し出した彰の表情。



彰は弱い。


壮太に比べれば。


雲泥の差といってもいい。



おれは彰を永遠に守る。


これは決めたことだ。




いま俊介は壮太の不動なる強さを見て安堵しているのだ。



俊介の指先の震えは増大していた。


壮太の強さがあれば彰は守られる。


佐野のバックに目を付けられるのは彰ではない。


壮太だ。




そう思ってしまう自分の弱さに呼応するように指の震えは増大していたのだ。




「壮太。もうやめとけ。こいつはほんとに知らない。俺達で探すしかない。今日杉田をやるのは確かな情報だろう。二人でやろう。杉田がやられるまえに佐野らをボコボコだ。なんならあんなクズなクソブタは半殺しにしてもいい。壮太、お前の怒りを俺も―」




「うるせえ!シュン!」


壮太は吉川を締め上げたまま振り返った。



「お前は手を出すな!わかったな!お前は関係ない!俺が一人でやる」




俺が一人でやる。あの…豚野郎を―



「あいつだけは…あいつだけはおれが必ずぶっ殺す!そのあとはもうどうでもいい。おれは許せねえんだ!よくも奈緒ちゃんを」




吉川の胸倉を解放した壮太はゆっくりと身体を揺らして歩きだした。


そして俊介とすれ違いざまに言った。



「佐野は殺す」




大きな背中が遠ざかっていく。


「なあ吉川」


俊介は震える指先をごまかしながら煙草をポケットから取り出すと、床に座り咳込でいる吉川と同じ目線になるように自分も座り込んでから聞いた。



「一年のリーダーである遠藤壮太はバカだ。本気で一人でやる気だ。あの目を見たか?本気で佐野を殺すかもしれない。だがあいつは正気でもあった。相手があの佐野だからな。なにかすればバックが出てくる。あいつはしっかりと俺や他の奴らのことを案じていた。正気のままに佐野を殺すつもりだ。しかし…俺がそんな祭典をむざむざ見過ごすと思うか?」



―頼む。少しでも情報がほしい。もうちょっとおまえも頑張ってくれないか。あいつを人殺しにはできない―



俊介は深く頭を下げていた。床に額を当てるまで低頭して吉川に頼み込んだのだ。俊介の両耳のシルバーのピアスが小刻みに揺れバニラの甘い香りが辺りを包み込んだ。



「頼む吉川」



吉川はそんな俊介を見て泣きだしながら何度も頷いた。

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