イマジネーションとリアリスティック
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授業の終わりを告げるチャイムを二度保健室で聞いた俊介は彰を促して教室へと戻ることにした。
ここに来て二時間が経過していた。
「これ以上ここにいても意味がない。戻ろう」
椅子に腰掛けうなだれたままの彰は動きだす素振りを見せようとはしなかった。
「おれは行くぜ」
ピンク色のスリッパで床をきゅっと鳴らす。
俊介は酷く煙草が吸いたくなっていた。ポケットを弄る。小さなチョコの断片が指先にカサカサと当たった。
いまゆっくりと煙草を吹かしながら起きた物事を整理したかった。
そうしなければ先の予測が見えてこないのだ。
自分のなかの展望が開けない限り彰を救いきれない。
鋭い瞳は物事の切れ端を睨みつける。
まず俊介のなかでの誤算は杉田を取り巻く環境の事態は刻一刻と進んでいるとみていた。
それは順序に従った、次第にという言葉がピタリと当てはまるような速度だと踏んでいたのだ。
荒れ学年といわれた二年生の不良達をまとめるリーダーの佐野勝也
が杉田奈緒子に恋をした。
佐野は杉田が自分に振り向かないことに気付き何時からか湾曲した恋心となった。
人に恋をするという強烈な気持ちが
イジメという形に変貌させてまで杉田の抑圧を望んだ。
そして吹奏楽部に乗り込んだ彰の存在。
佐野は彰と杉田が恋人同士だと思った。
佐野は絶望感を味わう。
杉田には意中の男がいた。その男は配下の宮崎や山下に朝の南門にて強さを見せつけ自分の鼻頭を叩き吹奏楽部にも単身乗り込んだ。
またその男も杉田を…。
佐野の怒りは彰に向く。
凌辱によって杉田を縛り付け彰にも何かしらの破壊を与える。
俊介はあの写真を見るまではそう思っていた。
いや。軽く考えていたと言っていい。
性にたいする事柄を俊介は絵空事として考えていたことを痛感した。
また吹奏楽部に乗り込んだと聞いて彰を人質に杉田奈緒子を苦しめるのではないかとも予測した。
現に予測は適中した。
だがそれらは。
苦しめるだろうなという言葉の先にある想像は稚魚が見る色なき世界だった。
突如彰の机に入れられた二枚の写真を見たことによって俊介の思惑や思考の誤りは露呈した。
被写体はもてあそばれる杉田だった。
泣く杉田に貪るようにキスをする男二人。
後ろから杉田が着る服のなかに手を差し入れ胸を揉み上げキスを求める男。
獣がそこにいた。
俊介ですら恐ろしいとさえ感じた獣だ。魔物だ。
想像とリアルはあまりに違いすぎたのだ。
写真の光景を見せつけられた俊介はいままで思考してきた物事を再構築する必要性があった。
佐野は他の男に杉田とキスをさせ胸を揉ませ。
それを自らが命令しているのだ。
もしそれを平常心の名のもとに行ってるならば。
狂ってる。
度が過ぎている。
俊介はいまこう思うのだ。
佐野よ。
杉田のことが狂おしいほどに好きなのだろ?
なら可笑しいぜ。
佐野よ。杉田が他の男達にもてあそばれているときにお前はいったいどんな表情をしてるんだ?
どんな気持ちで好きな女を見てるんだ?
とにかく物事は目まぐるしく進んでいる。
こうなれば必ず杉田の生気を日々吸い取っていく佐野を頭にした二年生達はすぐに手段を変えて実行してくるはずだ。
写真を見てリアルとして捉えたいまだからこそ言えるのだ。
佐野が計画するXデーの真の恐ろしさ。
だがその恐ろしさがわかったからこそ
要となる支柱が見えてこないのも不思議なことであった。
俊介には杉田を追い込む佐野のそして二年生達の真意が見えてこないのだ。
あいつらは杉田奈緒子だけではなく、彰も渦中に巻き込んでいく。
いまは一刻も早く壮太に言わねばならない。
杉田奈緒子も彰も。
いま二人は分刻みに命を削っているのだ。
俊介は一人立ち上がり扉があるほうへと向かった。
「言うのか…?」
保健室の扉を開いた俊介の背中に彰が問い掛けた。
俊介は振り向くことすらもしない。
投げかけられた質問に対してただ小さく頷くだけだった。
金髪の頭が小さく縦に揺れた。
「おれが壮太に言うなといったら?シュンはどうする」
扉を開いた場所で俊介の足は止まった。
ピンクのスリッパが僅かに廊下の端を臨んでいた
「そうだな。お前の気持ちもわからなくもないが。お前一人じゃ形勢を悪くするばかりだ。壮太が必要だ」
壮太が来ればこちらも組織となる。
大蛇には大蛇だ。
「彰。もうお前一人の強さだけではどうにもならない」
スリッパをキュッと鳴らして廊下に出る。
職員室がすぐ隣りにあって授業を終えた教師が戻ってくる姿がいくつか見えた。
「シュン…こ、これは!二人だけの秘密にできないのか!」
彰の大声が南校舎一階廊下を響き渡った。
秘密?
俊介の鼓動が一瞬にして早まった。
彰としたキスの感触はまだ唇にふわりと残っている。
彰の香りが鼻孔から体内へと入っていった。
それは甘く甘くせつない香りだった。
香りに付き従うのは唇から伝う柔らかい感触と心が締め付けられる痛み。
夢ではない。
確かにお互いの粘膜が双方を行き来した。この唇に感触がいまも明確に残像に。
あの感触は絶対に。
死ぬまで。
いや、来世においても。
決して忘れない。
忘れたくない。
「秘密?」
今度は俊介が問い掛ける側だった。
秘密。
いまはその言葉がなまめかしくも聞こえてしまう。
「無理だ。あいつらはネガを持っている。すぐに壮太にも届くはずだ」
彰はとにかく写真を消滅させたいのだ。
当たり前な気持ちだろう。
最愛なる女が他の男にキスをされてるんだ。
耐え難いものだ。
彰の心境はいまどうなんだろうと俊介は考える。
きっと憤怒の心は行き先を見失っている。
愛する人が穢された。
愛する人が酷く執拗に地獄へと追いやられている。
幼い頃から眩しさに視界を奪われるようにして見てきた杉田奈緒子のすべてが。彰のなかでいま形を変えてしまったのだ。
彰のなかに悪魔が巣くうのか。
いや。
彰が本気を出せば空手の技で相手を殺すことができるかもしれない。
急所にあの蹴りが当たれば致命傷になるだろう。
だが。
彰は悪魔になりきれない。
だからなりきれない自分自身に慟哭するのだ。
いまおれにできること。
まずは大蛇を倒す仲間を増やすことだ。
もう佐野のほんとの目的がなんであれ倒すしかない。
一年と二年が戦争になっても構わない。
とにかくおれは彰を守る。
「彰。いくぞ」
椅子から立ち上がる音が俊介に聞こえてきた。
お前は。
悪魔にならなくていい。
仲間を信じればいいんだ。
俊介は階段の踊り場まで来て振り返った。彰の姿が見えた。
二人の足取りは揃うようにして重く遅かった。
ポケットのチョコを食べようとする。
俊介はその時に気付いた。
彰に向けて投げたプラスチック製の眼鏡ケースが連絡通路に落ちたままだということを。
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俊介が保健室を出る1時間前。
連絡通路二階にいる佐野は落ちていた黒いケースをにぎりしめながら怒りと恐怖に包まれていた。
あれは沢村だった。
連絡通路の向こう側で沢村は大橋を俺達のほうへ行かせまいと必死に止めていた。
もう少しだった。
大橋は喧嘩がめっぽう強い。
それはこの場所で
鼻を蹴られた自分がわかっていることだ。
佐野はあの蹴りはまるで狼の牙のようだと思った。
皮膚に深く食い込みえぐられるような痛みがあった。
あの人が言っていた通り
大橋の蹴り技は凄まじいものがある。だからこそ弱点を攻めきれるように人を集めたのだ。
それを沢村がぶち壊した。
待機した意味がない。
あの人が命令したとおり、山下を餌食にする計画も完璧だったのに。
あの人は抜け駆けは決して許さないのだよ。
山下君。
佐野は山下はもうすぐ死ぬのかなと思うと激しい身震いをしはじめた。
山下は抜け駆けして奈緒子を呼び出し胸を触った。
あの人は何度も言った。
できるのはキスまでだ。
それ以上は許さないと。
こつこつこつ
誰かが南校舎側から佐野に近づいていく。
佐野は人の気配に気付き振り向くと同時に冷や汗を出しはじめた。脚が震え声も震える。男はゆっくりと手を差し出す。
「それはシュンの眼鏡ケースか」
佐野が渡すと男は笑い出した。
「シュンは目障りだがほんと利口で楽しませてくれるよなぁ。佐野。そうは思わないか?」
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俊介は二階に上がりA組の教室が目の前に来る短い間にも今日これまでに起きた事柄を整理した。
佐野は彰への挑発を繰り返すだろう。同じ幼なじみである壮太にも近く写真が行くはずだ。
A組の前まで来ても佐野がここまでして杉田をもてあそぶ理由である支柱部分が見えてはこなかった。
A組の教室にはいるまえに俊介は彰に念を押すように聞いた。
「壮太に見せるぞ」
しばらく間を置いて彰は小さく「わかった」と頷いた。
休憩中の教室に入ると俊介は壮太に目配せして彰の席にて合流した。
隣りの席にいた樹里が心配そうに彰を見つめている。
「須田。ちょっとあっちいってこい」
まるで犬に命令するように俊介は白い右手を二度振った。
「なによ」と眼鏡のブリッジに触れた樹里だったが深刻そうな顔をする彰と俊介を確認すると「わかったわ」と席を離れていった。
「お前もだよバカ」
俊介は樹里のまえの席に座る田中の椅子を蹴った。
「どけよ」
俊介の睨みに怖じけづいた田中も一目散に離れていった。
「おい彰大丈夫か?なにかあったのか」
まえの机に腰掛けた壮太が心配そうに彰の様子を覗った。
青白い顔色をしたままの彰は壮太を見ようとはせずにうなだれたままだった。
「実は」
彰の隣りで腕組をしたままの俊介が口を開いた。
「壮太に見せたいものがある。彰、出せよ」
俊介が促すのだが彰は動こうとはしなかった。
「なんだよ彰。なにがあったんだ」
壮太か不安げに彰の顔を覗き込んだ。
「出せ」
俊介はもう一度彰に言ってから様子を見守った。
やがて彰はうなだれたままゆっくりとポケットに手を差し入れた。
そして出されたのはくしゃくしゃになった二枚の写真だった。
その写真を壮太に見せる彰の手は痛々しいほどに震えていた。
「なんだこれ?」
壮太はきょとんした表情で渡された写真を見た。
「な、なんだこれ」
見た途端にぷるぷると壮太の身体が震えだしていた。
「な、な、なんだこれは!俊介!彰!」
壮太の怒鳴り声が教室のなかを響き渡った。
「大声出すな。見たら早くしまえ」
俊介が冷静に言うと壮太の怒りは俊介へと向かった。
「おまえ!何知ってんだ言え!許せねえ!奈緒ちゃんを…奈緒ちゃんをよくも…」
壮太は俊介の胸をドンと押して「いまから二年生をやってやる。こいつら誰だシュン!教えろ!」
写真を人差し指でばんばんと強く叩いた。
俊介に見せたのは二人の男が泣く奈緒子に無理矢理キスしている写真。
「待て。気持ちはわかるが」
「許せねえ」
いまにも行こうとする壮太の肩を掴み止める俊介は思った。
こいつらまた同じことをするのか
だが壮太は彰とは微妙に違った。
怒りを机に向けたのだ。
握りしめた拳を机に向けて思い切り打ち落とした。凄まじい音が鳴り響き全生徒が一斉に黙り込み注目した。
「沢村君!」
俊介は突然廊下のほうから名前を呼ばれて顔を向けた。そこには二年生のモテ男である吉川が、白い歯を見せ大きな動作で手を振っていた。
それに釣られていくように教室や廊下にいた女達は壮太が見せた怒りから目を離し黄色い歓声を抱きながら吉川へと向いていった。




