写真
@
体育の授業が終わり更衣室で着替えを済ました樹里が教室に帰ってくるとすでに彰は机に額を付けて眠っているようだった。窓の外には綺麗な青空が広がっていて、開けられた窓からは心地好い風が流れてきていた。体育の授業で多少ほてりが残る身体を冷ますかのように樹里は全身でその風を感じながら髪をかき上げた。
教室を見渡すと先に着替えを済ませた男子達が各自休憩時間を楽しんでいるようにみえた。
黒板の前では壮太と俊介が一緒にいるのがみえた。壮太の豪快な笑い声がここまで聞こえてくる。いま二人がかわす会話は深刻そうではないようだ。
杉田奈緒子へのイジメは落ち着いてきたのだろうか。
樹里には壮太の緊張感が少し抜けてきたように感じられた。そういったことは洞察力が優れ情報網も豊富な俊介が一番敏感に感じとっていることだろう。
杉田奈緒子へのイジメは彰が吹奏楽部に乗り込んで大きく好転したと思われた。
樹里は間近で実感していた。吹奏楽部のなかでは明らかに変わったからだ。奈緒子に対して暴力を振るう生徒はいなくなった。奈緒子の存在は絶無なんだという無視は続いているのだが、その理由は二年生皆が怖がっているようにもみえた。
彰の脅しはてきめんに働いたのだ。
そんな彰の活躍が樹里には嬉しくもあったし辛くもあった。
理想は壮太がそれをしてくれたなと思っていた。
もしそれで奈緒子と壮太が両想いになれば彰も素直に祝福するのではないか。
そして私が彰君に…。
そんな樹里の理想はハズレてしまった。
奈緒子もきっと彰を好きなのだろう。
結局、行き着くところはそこになってしまうのだ。
女子生徒達が更衣室から教室へと順次戻ってきており、一年A組はいつもの賑やかな休憩時間になっていた。
樹里は自分の席に座ってしばらく隣りにいる彰の様子を覗った。
妙に楽しい。
冷静で感情におぼれないが警戒心はたえずある、そんな日常的に見せる彼がいまはただ無防備に寝息をたてているのだ。
吹奏楽部に乗り込んできた彰のことは言葉ではうまく言い表せない。
凄み、勇気、知恵に度胸。そして…愛。
私にあらゆる一面を見せる彰がいまはただ隣りの席で眠っている。机に顔を伏せているので寝顔が見られないのが非常に残念ではあるが、その光景は至る所にいる中学一年生男子と変わらないのだ。
樹里は彰が眠っているのは、つい隣りの席にいる私を信頼して安心している証拠でもあるのかなとも思ってしまう。
樹里は風で揺れる彰の髪を見ながら
違うよね体育の時間で疲れちゃっただけだよね。
と、自分のなかで肯定や否定を繰り返した。
私はもう彰君のことをとことん好きになってしまったから仕方ないよね。
彰君は杉田先輩のこと好きなのかな。
違うの?ただ幼なじみとして救い出したいの?
いまはまだ一年生だ。
中学を卒業するまでに
私は私のことを決めればいいのだ。
肯定が打ち勝つと樹里は一人喜び、舌をぺろっとだした。
体育の時間はとくに彼は目立つ。
さきほど皆でやったバレーボールでもやはり彰は目立っていた。
クラスメートの女子達が彰に注目しているのが樹里にはすぐにわかった。
走る、飛ぶ、打つ。
並外れた運動神経があるのがわかる。
俊介が前に言っていた言葉を思い出す。
あいつは武道の使い手だ。
ただ。
樹里は眠る彰を見ながら微笑む。
夏になってわかったことがあった。
彼は泳ぎが苦手だ。
おそらく体つきが筋肉質だから沈んでしまうのと元来水が苦手みたいだった。
夏の水泳時間には彼のもとに光は当たらなかった。
女子達は一様に首を傾げた。
水泳の授業が終わり席に着いた彰が樹里にいった
「おれ泳ぎは苦手」
そんなギャップがまた彼の魅力なのだ。
夏以外の体育の時間は彼には陽光が降り注ぐ。それに国語や社会もわりと得意にしているのがわかった。
次の数学の授業ではだめだ。
授業中、ちんぷんかんぷんな顔をし続けるのだ。
英語もしかり。
樹里は授業中に教師に当てられ唖然とする彰の表情を想像するだけでもう愛おしくてたまらなくなる。
「次は数学だよ」
むくりと起き上がり額を赤くした彰に樹里はくすくすと笑いながら数学の教科書を持ってぽんぽんと叩いてみせた。
「うん」
ため息混じりに頷く彼がまた可愛い。億劫なのが顔全体に広がっているのがわかるのだ。
私に気兼ねをしなくなった彰が目の前にいるのだ。
「わからないところは私に聞いてよ。なんでも教えてあげるから」
前の席にいる田中という男子に聞こえないように彰に顔を近付けて小声で話す。
こいつにはこれっぽっちも私と彰君との会話を聞かれたくない。
「ありがとう」
「だから授業中寝ちゃったらだめだよ」
人差し指を出して彰の鼻頭に近付けると彰は「わかったよ」と目を擦った。
チャイムが鳴り数学の授業が始まっても
樹里はちらちらと隣りに座る彰の様子を窺った。
彰は真剣な眼差しで授業を聞いているように見えた。
だが樹里の視線を感じた彰は樹里に向けてさっぱりわからないと両手を上に向けてひらひらとさせた。
樹里は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
なによ彰君。まったくだめじゃない。
私が教えてあげないとな。
授業が終わったらみっちりレクチャーしてあげなくちゃね。
樹里は彰にもう一度視線を送ってから手にするシャープペンシルを握り直した。
時間は流れていく。
授業がはじまって30分ほど経過しただろうか
教師がこちらに背中を向けて黒板に計算式を書いてるときだった。
がさがさとした音が樹里の耳に聞こえてきた。
なにかしら?
音を出しているのはいつもうるさくする前に座る田中だと思ったが違うようだ。
樹里はもう一度音に耳を済ました。
あれ…珍しいな。
がさがさという
乾いた音は彰のほうからしていたのだ。
彰は授業中に集中力が切れると寝てしまうか外の景色を見ているかどちらかだ。
だから音をたててなにかしているのは珍しかった。
樹里が「おや?」と左側にいる彰を見てみると、彰は夢中な様子で机のなかから何かを取り出しているところだった。
そして手にしているのは茶色の封筒だった。
封筒?
見たことのない封筒を彰が手にしていた。
@
見慣れない封筒が机にあった。
何気に机のなかに手を入れたときに当たった感触に馴染みがなかった。
なんだ?
彰はゆっくりと取りだしてみる。
見慣れない茶色の封筒だった。
そのなかに何かが入っているのが手探りでわかった。
手紙のような物だった。
そのまえに
封筒の返してみると裏側に何か文字が書いてあった。
彰は文字を読んだ。
”俺達の玩具”
と書いてあった。
定規を使って書いたであろう違和感ある文字で。
俺達の玩具?
彰は教師が黒板に書いている最中の数式に視線を戻してもう一度、見慣れない茶封筒が何故机のなかにあるのかを考えた。
彰にはいま教師が書く数式の意味がまったくわからない。自分なりの努力をして意味を知ろうとはしてきたし、樹里に何度も教えてもらうのだがやはりすぐに付いていけなくなる。
数学は相性が悪い。
彰はそう考えて妙に納得していた。ちなみに英語も。
いまは
数学などどうでもいいのだ。
封筒に書いてある文字がなにか嫌な予感を連想させた。
いったいこのなかにはどんな手紙が入ってるんだ。
彰はおそるおそるになっていた。
茶封筒を開けてみる。
封はしていなかった。
出てきたのは手紙ではなかった。
「写真?」
二枚の写真だった。
そこに写っているものは…。
二枚の写真を見た瞬間に彰は震えだしていた。
彰のなかで時間が止まった。
両手両足が震えはじめる。
思考が停止と暴走を繰り返す。
震える指先で写真を机のなかに入れると
自分のなかに沸き上がった感情が放出される。
いますぐ立ち上がり
「彰君。どうしたの?」
その怒りを
この深い怒りを
「ねぇ彰君」
写真に写る二人の男の顔は彰の記憶にあった。
いまからこの怒りを。
立ち上がり走り出したい感情が沸き上がるのを樹里が止めた。
「ねぇ彰君。震えてるよ。体調悪いの?」
「い…いや…」
「すごい顔色悪いよ。彰君」
「だ…大丈夫だから」
窓際の席の二人のやり取りに、離れた席にいる俊介が気付いていた。
あいつら 何してんだ
俊介の目にも彰の様子がおかしいのがわかった。顔面蒼白で身体が震えている。そして彰が急いで何かを机に閉まったのも俊介は見ていた。
「彰君。大丈夫じゃないよね?すごい顔色だよ。先生に言おうか」
樹里のまえの席にいる田中も振り向いて彰を見てきた。
「うわ。真っ白だ」
と気色を前面にだした。
「…うるさい…だから…大丈夫だって」
彰は田中を睨みつけた。
「ご、ごめん」
普段見せない彰の目つきに、田中は恐怖のままに謝っていた。
「ちょっと彰君。だめだよ。ねえ、すごい顔色だよ。先生!」
「うるさい大丈夫だ!」
樹里が手を挙げて教師を呼んだときに彰は大声を出して樹里を怒鳴り付けていた。
「え…」
あまりの声の大きさに全員が一斉に注目する。
「いまからやってやる」
彰が動きだそうとする。
樹里が呆然とするなかなんとか両手をだした。
行かせたらいけない。
樹里は何故かそう思った。
「どこ行くの!」
そんななか俊介が席を立ってすたすたと歩いていく。
「お、彰。調子悪そうだな。おれが保健室に連れてってやる」
彰のところまで来ると半ば強引に彰の腕を自分の肩に回した。
そして俊介は素早く机のなかにある物も引き抜いた。
「シュン!」
大声を出す彰の腕を無理矢理に自分の肩に回したまま歩き始める。
「センセ。大橋をちょっと保健室に連れてく。いいだろ?」
若い男性教師はこくりと頷いた。
「彰。行くぞ」
廊下に出てドアを閉めると彰が暴れだした。
「シュン!それを返せ!」
俊介はさっと彰から離れると同時に手にしていた写真を彰に向かって投げつけた。
写真は彰の身体に当たり表側を上に向けたまま廊下に落ちていった。
「な、なんだこれは」
写真に写っているものは俊介の想像を遥かに超えていた。
「彰…」
俊介も愕然とした。
「見るな!」
彰は、必死にはいつくばるようにして写真を手のなかに入れた。
写真の一枚は杉田奈緒子が宮崎と山下二人同時にキスをされている写真だった。
奈緒子は泣いていた。
もう一枚は
山下が後ろから奈緒子の胸を触っている写真だった。同じく写る奈緒子は涙を見せていた。
「い、いまから行く!」
彰は涙を流しながら走り出した。
「待て!」
俊介も走り出した。




