踏み台
おぼつかない足取りで廊下を歩いていく杉田奈緒子。三人の男に強引にキスをされ続けた女はいまどれほど心に傷を負っているのか。
ねばねばとした三人の男の大量の唾液によって顔を汚し学生服を汚しながらも奈緒子は遅刻しながらもいまから部活へと向かうのだ。幸福などなにもない明日へと行くのだ。
強制的に生かされている奈緒子のいまは加害者達の玩具となっていた。
三人の強い性欲を奈緒子は強制的に放出された。
唇を何度吸われ舐められ噛まれ、舌を出せと脅され、唾液を飲めと脅される。
杉田を脅すときに大橋の名前を出せ。
あの人からの情報や指図を忠実に実行した結果、奈緒子をまた一変させた。
いままでは誰か男が奈緒子にキスを無理矢理しようとすれば彼女は必死に抵抗を繰り返してきたしそれだけは許さなかった。
それが大橋の名前を出すことによって奈緒子は盾を失ったかのように守りを放棄したのだ。
奈緒子は大橋彰を愛している。
佐野にはそれがすぐにわかった。
そしてそれはあの人も理解していること。
いま佐野は自分の初恋といえる相手であった奈緒子の後ろ姿を見送りながら思わずにはいられないことがあった。
あの人は杉田奈緒子をいったいどこまで弱らせていくつもりなのだ。と。
そして あの人は杉田奈緒子をどう捕食するつもりなのか。
佐野にとっての杉田奈緒子は純情な初恋の人だったのだ。佐野が一年生のときに校舎のなかですれ違った奈緒子は佐野の心を震わせた。見た瞬間に佐野は恋に落ちていた。
奈緒子をはじめて見たときの衝撃はいまも忘れられない。
華奢な体格と大きな瞳。そしてどこか弱々しくもある雰囲気が印象的だった。
佐野はすぐに友人に聞いた。
「あの子の名前なんだろ、何組だろ」
二年生になって同じクラスになったときに佐野は奈緒子とクラスメートになったことに心から歓喜した。
それと同時に奈緒子が背負う深い闇も知った。
小学生のときから続く長いイジメが彼女を蝕んでいたのだ。
それは中学生になってからも奈緒子を圧迫する力となったままに衰えることなく続いていた。
まず佐野は訝しさを覚えた。
なにゆえ、杉田奈緒子が虐げられるのだ。
刺々しさもない真面目で優しさもある可愛い女が何故こんなに?
自分が一目惚れをした初恋の大切な女。
佐野は自分のやり方はさぞかしぎこちないだろうが奈緒子をイジメから解放してやりたいと思った。
自分にはその力もあった。二年生の男子であからさまに佐野に対して刃向かう者は存在しなかった。
よしわかった。おれが杉田奈緒子を救おう。
イジメなんて可哀相じゃないか。
そう決意し努力していこうと決めたときだった。
佐野の前に現れた一人の男。
そして
佐野は理解した。
すべてはこの男が奈緒子の進む不幸の道を裏側で完全支配していたのだと。
おそらく奈緒子が小学生のときから始まったイジメもあの男が仕組んだのだ。
佐野は初恋を捨てた。
自分の命を守ることつまりは奈緒子を虐げることを率先した。
やがて佐野のなかにも甘い蜜のような暴力性が支配しはじめた。他の男がするなら自分がする。したい。
佐野は奈緒子に好意を抱いたままに虐待を続けたのだ。
佐野はこうも考えた。
あの人がもつ下部というか言いなりな奴は二年生のなかにもたくさんいるだろうと。男女関わらずあの人から脅迫されてる人は必ずいる。
それは持続される奈緒子へのイジメが証明していた。
目の前にいる宮崎や山下もあの人から指図をされてるかもしれない。
自分が大切ならば杉田奈緒子を犠牲にするしかないのだ。
佐野は溢れ出しそうな性欲をため息で掻き消しながら離れゆく奈緒子の背中を見届けていた。そしておもむろにポケットに手を入れると
「しまった」
と呟いた。
ポケットにはカメラがあった。
”写真を撮れ”。
それがあの人からの指示だった。
「おい。もうちょっと奈緒子とキスしたくないか」
佐野がいうと山下と宮崎はにたにたと笑いだした。
「いま走ればちょうどトイレに奈緒子を連れ込めれる感じだな」
宮崎がそういうと山下がせき立てる。
「だよな宮崎。よし。早く行こうぜ佐野君!ほんとにそれ以上したらだめなのか?もう奈緒子のなかに俺達のいれちまおうぜ。あいつも欲しがってるよ。それにあいつの胸にもしゃぶりつきたいし」
と、先を走り出そうとした。
「だめだ!それ以上はまだ早い!」
佐野は恫喝混じりに山下に言った。
「わ、わかったよ。キスまでだな」
山下は佐野の声に驚いて脚を止めていた。
「キスまでならとことんやれ」
佐野の言葉に対して山下と宮崎は「いゃっほー」と走りだしていた。
いま踏み台は率先して使わねばいけないのだ。
じゃないと乗り越えられない。
佐野は杉田に同情をしながらもカメラを片手に山下と宮崎を追いかけるように重い身体を必死に動かし走りはじめた。
大橋彰が吹奏楽部に乗り込んだことが
あの人は楽しくないのだ
翌日から、あの人は性的なイジメを佐野に要求してきていた。
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夜のとばりが降りたマンション横の児童公園のなかで二人は佇んでいた。
「さっき、奈緒ちゃん泣いてたな…」
「ああ…」
彰は壮太の言葉に、消沈しきった返事をしてからマンションの四階を見上げた。
マンションのすぐ上を、飛行機が光を点滅させながら東から西へと流れていく。彰は顎を上げたまま402号室の部屋を照らす柔らかい光を見続けた。
カーテンが小さくはためいた。
今日の下校は壮太も一緒だった。一足先に彰が北門で待っていたら壮太が来てその後に奈緒子が現れた。
奈緒子は二人を見て涙を流した。
彰には思わず出てしまった涙のように見えた。
マンションまでの帰り道は奈緒子が一人先を歩き、10Mほど後ろを彰と壮太が従った。
奈緒子の涙を見た壮太も今日は奈緒子の横に肩を並べて帰ることはしなかった。
奈緒ちゃん…
彰は心のなかで奈緒子の温もりを探り当てようとした。
奈緒子の部屋で風に揺れるピンク色のカーテンはどこか寂しげで奈緒子の姿のように思えた。
助けて。
彰にはそうカーテンが訴えているようにも見えた。
吹奏楽部のイジメは無くなったと樹里は言っていた。あとはクラスでのイジメだ。いまも奈緒子を泣かすのはそれだろう。
壮太はブランコのまえにある手摺りに腰を下ろして腕を組み夜空を睨みつけていた
「なぁ彰。どうする?どうすればいい?こうなったら片っ端からやっつけていけばいいのか…俺が心配なのは同じクラスの男達だ。ほら。お前が蹴ったあのデブとか。あいつら…奈緒ちゃんになにかしてみろ。許さねえ…」
壮太は悪魔がする行為を想像したのか、顎に力を入れて歯をカチカチと鳴らした。
奈緒子の泣き顔は。
彰が最も見たくない光景だった。
「限界…なんだろうな…きっと…奈緒ちゃんは…もう…限界なんだ」
途切れ途切れに言う壮太の言葉は彰にはただ虚しいだけだった。
壮太の言うとおりもう片っ端からやるしかない。
誰が加害者なのか突き止めている時間はないように思えた。
「よし明日やるか壮太。奈緒ちゃんに嫌がらせする男達を片っ端から俺達の空手で倒す」
そのとき彰は滑り台のほうからなにかの気配を感じた。
滑り台の上になにかいる。
彰の鋭い視線を感じた何かはニャーと気の抜けたような声を発してきた。
青く塗られたペンキが所々はげ落ちた滑り台の上にいるのは黒猫だった。
いつからか、この公園を守る主は滑り台の最上部にいた。
黒猫はいつも夜に姿を見せてくる。
「にゃーお」
黒猫はこちらを見ながらまた一声だけ鳴いた。
それから黒猫は、滑り台の手摺りに背中を擦り合わせ痒い箇所を刺激し始めた。それが気持ち良いのかまた鳴いた。
「にゃーお。にゃーお。ぐるぐる」
「ふん。あいつはまたあそこにいるのか?」
壮太は公園の重鎮と化す、すでに顔なじみでもある黒猫の脱力した声が何度もこちらまで聞こえてくると、口を一文字に結び険しくさせていた表情を少しだけ和らげた。
「にゃーお」
黒猫は満足したのか滑り台を下りようと身構えだした。
壮太が再び彰に顔を向けたときは完全といえる怒りに身を任せている。そんな表情だった。
「だろうな。奈緒ちゃんきっと限界だな。さっき泣いてたもんな…今日も辛い思いしたんだよきっとな…。もうこの辺りで奈緒ちゃんを助けないとやばいぞ彰。二年C組の男達め。奈緒ちゃんをよくも…。リーダーだ。やっぱリーダーをやらないとな。あのデブがやはりリーダーらしい。明日、佐野ってやつをとことん懲らしめてみるか。あんとき俺も殴っとけばよかったな。ちくしょ…」
身構えたまま黒猫はじっとこちらを見つめていた。
まるで人間の会話がわかるかのように二人の荒々しい呼吸を聞き自分のリズムも合わせているようにみえた。
「壮太。やろう。黒幕も手下も全て。奈緒ちゃんを苦しめているのはもう許せない…」
彰はまた四階を見上げた。
限界だよ奈緒ちゃん。俺と壮太も。
助ける。必ず。
イジメは俺達が終わらせる。
加害者達には奈緒ちゃんが受けた恐怖の何倍をも与えてやる…。
奈緒ちゃんの涙はもう見たくない。
奈緒ちゃんの笑顔が見たい。
彰の両手は強く握りしめられていた。
黒猫は滑り台の階段を器用に下りて地面に立つと、ベンチの下を目指してゆっくり向かった。
いまのお気に入りは滑り台の上。
私は猫界におけるここの主だ。
そして主に相応しい場所があそこなのだ。
だが、やはり落ち着く場所はベンチの下。
あそこは落ち着く。
なぜかあそこは私の母親の香りがする。
猫は歩きながら、
「ちぇっ。なんだ」
と、思った。
なんだ。今日はあれをやらないのか。
あの二人の人間はとても面白いことをここでするのだ。
私はそれを夜の風のさすらいを味わいながら見るのが大好きだ。
黒猫は大きな欠伸をしながらベンチの下まで来てすぐにベタッと横たわる。
成長したものだ。
あの二人も。
私も。
自慢ではないが、此処彼処で私を脅かす猫はまずいないと言っていい。
茶虎のザック(私が見た目から勝手に付けた名前だ)は尻尾を噛んでやったし、白の洋猫のジャックもおでこを引っ掻いてやった。
デブ猫のボックとデカ猫のビックは見事なる後ろ足の一撃で終わった。
そう。私はあの二人がここで何百、何千と繰り出してきた技を見て盗んできた。
はっきりいって私は成長した。
成果は計り知れない。
よってこの広大な場所を独り占めしている。
ここだけの話し、彼女もたくさんいる。
可愛いシルビア(私が見た目から勝手につけた名前だ)に、いつも澄ましたランビア、お嬢様のレイビア。済まない。まだまだ他にいる。
だが仕方のないことだ。
強く能力の高い男はたくさんの子孫を残せる。
どの生物でもそうなのだ。仕方がない。
向こうから私を求めて寄ってくるのだから。
話しを戻そう。
より高い場所へと進んでいくあの二人を観察してきたことによって私は身近な恐怖心を克服してきたのだ。
もし言葉が通ずるならば感謝の念を伝えたいくらいだ。
しかし今日のあいつらはなんだか元気がなさそうだ。
似合わない。
あいつらには。
明日に期待しよう。二人の躍動が見られるのを。
黒猫はまた大きな欠伸を一つするとベンチの下にうずくまった。




