愛する故の人質
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樹里から吉川という先輩が呼んでいると聞いて廊下へと歩いていく俊介を窓際の席にいる彰は見ていた。
華奢ともいえるだろうその背中を見送っていた。
まるでその背中は冬の訪れの冷たさをひた隠しにする秋の風のようだなと彰は思った。
「俊介を呼んだのって誰?」
彰は隣りの席に座った樹里に聞いた。
樹里は彰の優しげな声についうっとりする。
「えっと」
樹里は彰を見て尻込みした。
彰の目つきは教室を出ていく俊介の背中を捉えていた。
そこには問い詰める厳しさがあったのだ。
なおかつ鍛え貫かれた日本刀のような強靭なる美しさも兼ね備えていた。
樹里はそんな彰の瞳をチャンスとばかりに見つめ続けた。
だって視線が自分に向いたらすぐに逸らさなければいけないのだから。
「沢村君を呼び出した人は吉川って二年生の人。サッカー部のエースでいわゆるモテモテな人よ。まあ私はまったくタイプじゃないけどね。俺ってカッコイイだろ?みたいな顔をするのよ。私から見ればそれが滑稽で仕方ないかな。まずその前に全然かっこよくないんだし」
顔を赤くしながら手振りを交えて話す樹里に彰は優しい眼差しを向けた。
「ふーん。二年生がシュンに何の用なのかな」
気になるのか、彰がおもむろに立ち上がると樹里も勢いよく立ち上がった。
樹里はなにか本能的に彰を廊下に行かせてはいけない気がした。
机の上に両手を載せて、雨漏りを確かめるように手の平を天井に向けた。それから覚悟を決めたかのように息を吸ってから名前を力強く呼んだ。
「ねぇ大橋君!」
「ん?なに?」
樹里は眼鏡越しに、自らの両手の手相を見比べるように凝視した。
「あのさ大橋君。杉田先輩のことだけど…」
樹里はゆっくり手を返していき手の甲を天井に向けて指先を見つめた。
「吹奏楽部のイジメ無くなったよ。大橋君が救ったよ」
樹里は彰の言葉を待つが彼は無言のまま窓の外に目をやった。
「そっか。よかった」
彰がいまどんな顔をしているか樹里のほうからは見えない。
「私ね…あのとき、吹奏楽部に来た大橋君が言った言葉ですごくずしりときたのがあった」
樹里の二つの手は机の上でせわしなく動いていた。
そして手の平を上にして止まったと同時に指はゆっくりと閉じられていった。
樹里は思った。
いまの私の右手には勇気が。そして左手にはきっと無関心が。
樹里は左手をぎゅっと力強く握りしめた。
立ち上がれ。
「須田…」
彰がこちらに顔を向けた。
「杉田先輩へのイジメはずっと変わりなく続いていた。そこには休日も感謝祭もなかった。彰君が吹奏楽部に来た何日か前だった。私はもうなんだか我慢できなくなって、意を決して言おうとした。なんて言おうとしたのかな…たぶん…いい加減にしてよ!とか、もう杉田先輩をイジメないでよ!とかかな。でも…結局言わなかったの。やっぱり怖かった」
彼女は…
捕食されるほどに…
虐げられていた。
だが…。
救われた。
「でも大橋君。杉田先輩が立ち上がらないとダメ。またすぐにイジメは復活するよ。いまはただ大橋君が見せた劇薬が効いてるだけ」
「須田が言いたいことわかるよ」
。
樹里は瞳に涙を浮かべていた。
彰のなかではひとつの答えに行き着いていた。
いまは奈緒子が北門から帰るのを尾行するように付いていく日々だ。朝は登校時間が違うために壮太が南門に向かう奈緒子を見守っていた。彰が所属する陸上部は開始時間が30分早いのだ。
彰は奈緒子の下校を見守ってきてわかったことがあった。
彰は聞く。
「もし杉田奈緒子自身が立ち上がれば…?…どうする?杉田先輩が悔しさに奮い立ち反撃に転じたならば」
樹里は想像する。奈緒子が「いい加減にして!」と、怒鳴るところを。
宙を見ながら言う。
「…そうね。杉田先輩が逆襲をするならば私はとことん付き合うと思う。勇気が得られると思う。もしかしたら…一年生みんなが続くんじゃないかな…」
樹里は勇気が乗る右手を強く握りしめた。
彰が奈緒子の下校を見守ってきてわかったこと。
奈緒ちゃんは…
時を待ち続けている。
彼女は中学を卒業するまで耐え忍ぶつもりなのだ。
それはいけないと彰は思っている。
中学を卒業すればイジメはなくなるかもしれない。だがそれはずっと背負いながら生きていくことになるのだ。
不条理に屈した苦しみを抱いたまま。死ぬまでもがき苦しむことになる。
「須田。ありがとう。そこまで悩んでくれてるのは杉田先輩もきっと喜ぶ」
彰の輝かす瞳を見た樹里は右手から勇気が逃げる音らしきものが聞こえた気がした。
「あ、昨日大橋君が吹奏楽部に来たこと遠藤君に話したけど。よかったかな」
「もちろん。構わないよ」
彰は自分から壮太に話す気はなかった。
きっと壮太は抜け駆けだと思うだろう。
樹里や俊介から話してくれることが彰には理想的だった。
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二年C組の佐野勝也は同じクラスの山下や宮崎が代わる代わるに杉田奈緒子の髪を引っ張り上げては無理矢理に奈緒子の唇に吸い付いたり舌を出して舐めるのを腕を組んだままに見つめていた。
授業が終わったC組の教室には四人が残るだけだった
奈緒子の悲痛なる叫び。
山下や宮崎のはしゃぐ声。
「お願い…やめて」
「佐野君たまんねえな。キス以上はダメなのかな。少しくらいはいいかな」
二人は挟み込むように教室の隅に奈緒子を立たせて行為を楽しんでいた。奈緒子の唇から顎、喉元にかけては男二人の唾液がべっとりと付きそれは奈緒子の足元にも滴り落ちていた。
「キス以上はまだダメだ。絶対にするな」
「わかってるって」
奈緒子の上唇に吸い付いていた山下は唾液で濡れ始めた奈緒子の学生服の上から胸に触れようとしたがその手を止めた。
「どけ。おれがやる」
後ろにいた巨漢の佐野は二人を押し退けて前に出ると、うなだれる奈緒子の顎を力いっぱいに持ち上げた。
「杉田。吹奏楽部ではイジメが無くなったらしいな」
佐野は奈緒子の返事を聞く気などないように男二人の唾液に濡れた奈緒子の唇に吸い付いた。奈緒子が振り払おうとした両腕を二人が素早く掴んだ。
長く吸い付いたあとに佐野は溜めた唾液を奈緒子の口のなかに流し込んでいく。
「吐き出すな!飲めよ」
「ぐぐぐ…」
奈緒子の喉元から苦しげな音が漏れた。
唇を奈緒子から離した佐野はニタニタと笑いながら奈緒子の顎をいっそうに強く掴んだ。
「大橋彰を殺されたくなかったら俺達のことは誰にも言うな。嫌がるな。少しでも嫌がる素振りを見せたら、大橋は先輩らに頼んで殺してもらう」
奈緒子は涙を流しながら小さく頷いた。
「行け」
佐野は奈緒子を解放させる。
山下と宮崎も道を開ける。
奈緒子はよたよたと歩いていく。
「おい奈緒子。これからきちんと部活に行けよ。部活休む。学校休む。誰かに言う。そうすりゃ大橋は殺されるぞ」
奈緒子の背中に言った山下が笑いだした。
佐野は無言のまま廊下に出て小さくなっていく奈緒子の背中を見つめ続けていた。
「佐野君。ほんと人質抱えるとなんでも出来ますね。頭いいなぁ佐野君は。はぁ杉田をとことん犯してえ。あいつやっぱ可愛いよ。なぁXデーまで待てるか?宮崎」
「なんか途中から奈緒子を通して山下とキスしてた感じだぜ。あいつの唇はおまえ臭かった」
「なにを」
ふざけあう山下と宮崎の言葉は佐野には届いてなかった。
好きな女が他の男に何度も何度もキスされる。
奪われるなにか。
だがそれは自分が命令したことだった。
佐野はひどく悲しい気持ちを抱え、よろめきながら歩いていく奈緒子の背中を見送っていた。
命令は絶対だ。
逆らうことはできない
自分は言われたことをそのままにただ遂行するだけなのだ。
佐野はこう思うしかなかった。
奈緒子はとんでもない奴に惚れられたのだ。と。




