表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
初恋。  作者: 冬鳥
60/85

恋の均衡

もう一度行くか。


俊介はグラスに口をつけた。

目の前にいる女性店員は再び俊介の語りに耳を傾けていくことになる。


「ほんとの悪者というのは真実を見ているだけでは決して見抜けないものだ」


俊介の意味深長な言葉を引き金に物語は始まっていく。

俺達が純粋に戦った時代に知った本当の恐怖を。そしてその始まりを。






彰が単身で吹奏楽部に乗り込んだ翌日。


一限目の授業が終わって教師が退室し生徒たちが席を立ちはじめたころに。沢村俊介は自分の席で腕を組んだままに切るような眼差しを教室の中央付近に向けていた。そこには巨躯の遠藤壮太がいる。


続けて俊介は視線を左に切っていった。窓際の一番後ろには大橋彰がいる。


これが日常の変わらない安堵感であり変わらない光景だった。



俊介が和む場所であり期限付きの現在の風景だった。



そんな俊介が思いにふける時間、おもむろに壮太が動き出した。



壮太の貫禄ある大きな身体が彰のところへと向かっていくのが俊介からもよく見えた。



壮太は頬杖をついて校庭を見下ろしていた彰の背後から近づき肩をドンッと叩いた。


びっくりした表情をする彰と歯を見せて笑う壮太。



俊介がいる場所まで二人の会話はもちろん聞こえて来ないのだが、明確なまでに推測できる会話が交わされていることだろう。


俊介は心のなかでアフレコをしてみる。



なんだびっくりした。壮太か。



何見てたんだ?さては校庭にかわいこちゃんでもいたな。



なわけないだろ。



風が気持ちいいな。



ああ。




俊介の想像した通りに


彰と壮太は僅かにだが笑いあっていた。


だがその二人の小さな笑顔はすぐに消えた。


たんなるきっかけなのだろう。

すぐに二人は沈鬱な表情に変わっていったのだ。



「シュン。ちょっと聞いてくれ」


いま俊介の前にはクラスメートの男子が話しかけていた。



たわいない話しだった。

ものの5分も経てば何もかも忘れてしまうような内容だった。


俊介は話しを聞きながら窓際の様子を探り続けた。



案の定に二人はなにか深刻な話しをする表情へと変わっていた。

内容までは聞こえてこなかったが二人があの表情を作るのはまず杉田奈緒子のことだろう。



「テニス部の中島はかなりモテるらしいけどシュンは可愛いと思う?」


男子生徒の話しに俊介は頷きもせずに一つの場所を見つめていた。


同じクラスの中島好恵のことなどどうでもいい。

内容にはなにも興味が感じられなかった。


目の前にいる男は不良の仲間入りをついに果たしたのを証明するように髪を僅かに茶色に染め上げていた。このクラスで粋がるには俊介と昵懇になるのは絶対だ。そして壮太とも絶対に親しくならないといけない。

壮太は親しみやすい性格だから楽なのだが俊介は大変だ。性格を掴みきれない。いけない。一人忘れていた。大橋彰もいるではないか。


男子生徒はこのクラスには何故もまあこんなに役者が揃っているのだと思った。


見るからにつまらない表情を浮かべる鋭い目つきの男に男子生徒は幾つもの話題を抱えて話す。



依然として前の席の椅子に座り楽しそうに話しているのだが、俊介は彰と壮太がいる場所を見つめながら小さく相槌を打ちそして欠伸をした。

二人がいったい何を話しているのか。気にはなる。



「あとは彰が吹奏楽部に行って揉め事起こしたんだろ。いったいあいつは何がしたいんだ」



「まあな」


俊介は空返事をしてから動きをふと止めた。


「なに?」



目の前の男を睨みつけた。

「彰が吹奏楽に?」



男は鋭い目つきで見られたじろいだ。


「う、うん。なんか昨日の部活の時間に行ったとかどうとか。おれの近所に三年生の女がいて、そいつが吹奏楽部でさ。登校してるときになんか言われて。同じクラスに大橋君て子いる?って」



「おい。それ詳しく話せ。彰が乗り込んだだと?」


そこへ近付いてくる一人の女子。

眼鏡を掛けた長身の女だった。


俊介はその姿を捉えると捕食するかのように目を吊り上がらせて八重歯をわずかに見せた。



樹里のほうから俊介の席へと寄ってくるのはめったにないことだった。いつもは彰の席を中心にして話しをする。

須田樹里は直線的に足早に。スカートの裾を揺らしながら近寄っていく。


「沢村君。ちょっといい?」

俊介が横目で睨むように見ると樹里はなんだか深刻そうな顔を浮かべていた。


「もちろん」


「聞いてほしい話しがあるの」


「わかってる」



席を立ち上がった俊介は


「ちょっとすまんなまた後で」


俊介は男にそう言ってから樹里に廊下に行こうと目配せした。


「うん」





騒がしい教室のなか、二人は独立した空間を求めるかのように廊下に出た。


人は少なかった。



「須田。彰がやったか」


俊介の握りしめて突き出してきた拳を樹里は両手で優しく包み込んで下ろすと、ため息混じりに壁に両手を付いてから反転して同じ場所に背中をつけた。



「沢村君私が行くまでつまらなそうな顔してたよね。遠藤君や彰君といるときはそんな顔しないのに。だから私はなんだか行きにくくて。迷惑だったらどうしようかなまた怒られるかなとか考えて。なのに私が、でも行こうと覚悟を決めて緊張感のなか近づいていくと、あの子が沢村君に話しちゃってるのが聞こえてきた。もう。なによ。沢村君のびっくりする顔は私のものだったのに」



「ふん。なんだよそれ」


鼻で笑った俊介は同じく壁に背中をつけた。隣り合わせになった二人はそのままに話しを進めていく。




「それで。昨日来たんだな」



「うん来たよ。杉田奈緒子先輩の救世主が美しい羽を広げてやって来た」



樹里は奈緒子の名前を挙げてから俯いて右足を左足の前に置いた。壁にもたれたまま足首の辺りで交差する足元を見つめた。


俊介は同じ目線の高さにいた。バニラの香りが樹里の左側を覆う。


甘い香りを吸い込んだ樹里は昨日の救世主の顔や言葉を思い出していた。



「彰はそこから攻めたか…」


吹奏楽部から攻めた彰。

おそらくそれを知った壮太がいま彰と話している。


俊介の洞察では今後の戦いかたを二人で提供しあっているのが窺えた。


つまりはそれは最強なのを意味するのではないか。


あの佐野すらも凌駕する強さがあるのではないか。


彰はたった一人で吹奏楽部に乗り込んでしまったのだ。



「今日の朝練から違ってた。明らかに明確に違ってたよ。吹奏楽部の杉田先輩へのイジメがね、無くなった。救世主がある日突然、颯爽と現れてすべてを無効にしたのよ」


「救世主ね」



「やっぱり知らなかったんだよね。情報通の沢村君でも。あの男子のバカ。私から教えたかったのに」



廊下を通り過ぎていく他のクラスの男子がちらちらとこちらの様子を窺っていく。


「彰君が杉田先輩を救ったの。少なからず吹奏楽部は平和に向かおうとしている」


「おい。さっきから同じことばかり言いやがって。昨日のこと詳しく聞かせろ」



樹里が眼鏡に触れた。


「そう来なくっちゃ」


二人は中庭を通して見える北校舎を見ながら会話をする。



「いま思い出しても身体が不思議なほどに震えだす。あれは映画のワンシーンみたいに完成されていたの」



樹里は音楽室に乗り込んできた彰のことを、自分の寸評混じりに細部に至るまで俊介に話して聞かせた。



「私はいま話していても鳥肌が立ってるのがわかる。彰君の演説は完璧だったわ。一年A組、この教室でね、校庭を見下ろすのが日課の少々無口な暗さがある普段の彼は消えうせていた。え?どんな感じって?えと、包み込むように近付いてきて懐刀を覗かせる。そんな感じ。ああもう!上手く言えない!とにかく言いたいのは彰君がまったくの別人だったってことよ」


「彰が能弁腐ったわけか?」


「たった5分ちょっとの演説だった。たった5分でこびりついたカビのような杉田先輩をイジメる側を黙らせた。それは絶望的な恐怖によってだった。とにかく彼はイジメの報復を示唆した」



「報復か…」




俊介の目つきが一層に険しくなった。



「相手に偽りのない恐怖を植え付けるのは簡単ではない。それを彰君は完璧にやってのけたの」



やめてー!


両耳を押さえて大声を出した杉田奈緒子。

悲しみは怒りに変わる。


絶望的な悲しみを背負っている彼女はそれを怒りに変えたとき…



「大橋君はミスギちゃんて名前を何回も言ってた。私の予想では杉田先輩の妹さんなのかなって…たぶん…事故かなんかで幼く死んじゃったんだと思う」



立ち上がれ!

美椙ちゃんのためにも!




誰も知らなかった奈緒子のなかに眠る怒りと絶望的な後悔と悲しみ。


それは有り得る報復なのだ。


青酸カリに凶器。


そんなのは作り話しなのだと。

それはあの場所にいたみんながわかっていた。


だけど…



「皆が恐怖に慄くほどの強圧的、威圧的な演説を大橋君はやってのけたのよ。今日の朝から笑えるくらいに杉田先輩への対応は変わった。明らかにイジメは無くなったの。でも無視もイジメになるのならば、まだ終わってはいないことにはなる。イジメる側だった二年生は杉田先輩をまるで死神か亡霊かのように避けるようになった。きっとそれはもう卒業するまでずっと続くんでしょうね」



俊介は無表情のまま話しを聞いていた。


樹里は話し終えると俊介に感想を求めるかのように横顔を見つめた。



「どう?すごくない?でも…」



「彰は少しばかりやり過ぎたか?クラスの男子が黙ってはいないかもな」



「わからない…この先どうなるか…でも…とにかくやっぱりすごいよあの人。すごすぎる。吹奏楽部の三年生の先輩に彰君のこと詳しく教えてよって朝からうるさくって。カッコイイカッコイイって。後輩のイジメも止められなかった人達がよく言うわ」



俊介は先程の教室のなかの雰囲気を想像した。



「それは壮太にも話したのか?」


「え…?話してないよ。私は沢村君に話したのが初めてだけど。でもこの話しはすぐに広がっていくと思う」



「いまから壮太にも話しにいけ」



「え…。話したほうがいいかな…遠藤君にも」



「壮太はもう知っているかもしれないがおまえから話すのが肝心だ」



俊介は即座に言い返した。


「う…うん。わかった。いまから話す。まだ時間あるよね」



樹里も納得する。



壮太は次はどう動くのか…。


二人が奈緒子へ抱く気持ちは同じ思いだ。

そして二人ともわかっている。お互いに奈緒子を好きなのだと。


彰は佐野を殴りつけて吹奏楽部にも乗り込んだ。


壮太は出遅れたことになる。


壮太が奈緒子への気持ちを諦めたら彰はきっと奈緒子に告白をするはずだ。


そうしたら…彰は…。



まだ早い…

俺はまだ好きでいたいんだ。

彰のことを。




悪く言えば壮太は防波堤なのだ。

その守りを自分達で崩したくはない。


できれば奈緒子と壮太が両想いになればいい。


俊介はそう思っていた。


樹里も同じ気持ちだろう。


恋は分別を無くす。


俊介も樹里も彰に恋をしていた。


責め苛むなか葛藤をする。


だが車輪は周り始めている。

確実に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ