内包を武器に
小学五年生のときにこの地へと引っ越してきた俊介はクラスのなかに馴染めずに徐々に孤立していった。
そしてクラスの全生徒が敵となるのにそんなに長い時間はかからなかった。
都会育ちで秀才で特異ともいえた容姿にとっつきの悪い性格。
同級生からは鼻に付く異分子と見なされたのだ。
端を発したのは男子の不良グループからの攻撃だった。
あいつは生意気だ。
俺達を小馬鹿にしている。
授業中に何かが頭に当たった。床に落ちたのは丸められたプリント用紙。後ろを睨むと数人がニタニタと笑っていた。
そこから始まった。
日々エスカレートしていったイジメ。
なかでもリーダ格である衣川真一はとくに暴力的で恐ろしかった。
あれから二年が経ち友人の間柄になったいまも
俊介はやはり真一は恐ろしいと思う。
とにかくイジメは日々酷くなっていった。
毎日学校に行くのが嫌で、朝起きたら母にばれないように必ず吐いていた。
いつしか恐怖が俊介の身体を支配しきっていたのだ。
だが彼は学校を休むことすらもできないでいた。
それは彼のなかにある強い自尊心が底辺で支えていたためだった。
だがそれは逃げ出すことも戦うこともできないことを意味していた。
恐怖心は自尊心よりも遥かに巨大なものであり、彼はその場にただ無抵抗なままに立ちすくむだけだった。
そんな彼を淵から救いだしてくれた人がいた。それが同じクラスの春日部麗奈だった。
小太りのおかっぱ頭に眼鏡の女が目に涙を溜めて自分を救おうと必死になっていた。
俊介は差し込む光の温かさを感じたのだ。
僕にはまだ味方がいるのだと。
その喜びはその光は、瞬時に恐怖が支配しきれていない部分が心のなかにあるのを知った。
それはとても小さな隙間だったが恐怖に支配されていない部分は自分が自由に色を染めることができた。
変われ!。
俊介はその隙間に境界の色を作りあげた。
味方は求めているのだ。
僕が変わることを。
誰かに求められる力は。
それは偶発的といっていいだろう、彼の自尊心は恐怖心に打ち勝つほどに膨張したのだ。
俊介にとっては、真一によって二階ベランダから落とされ受けた衝撃の痛みは明らかなる過去との決別だった。
たいした痛みでもない。
俊介はまとわりつく土や血を手で拭い笑いだしそして駆け出した。
やってやる。
おれは変わってやる
痛みなど怖くない。
いま怖いのは、味方を失うことだ。
俊介は中学生になったいまも春日部麗奈に感謝している。
味方がいることはされる側に武器を持たせるきっかけを作りあげるのだ。
そして俊介は内包からの武器を携えたのだ。
自尊心という光を帯びた刀の切っ先を彼は前面に押し出し駆け出した。
その光を彼は失うことなく恐怖の闇を照らし続けた。
いまも照らし続けている。
彼は猛禽の目を備え、切れ味ある心を身につけた。
校則破りの学ランにピンクのスリッパにバニラの香りを身につけた。
それからの俊介は何度も喧嘩をして仲間からの信用と信頼を得ていき
いまでは不良達から多少の敬意を込めてシュンと呼ばれるまで化けた。
いまはあの衣川真一までもが俊介に一目置いているのだ。
片や、中学生になって出会った男二人。すぐに遠藤壮太と大橋彰に憧れ、そしていまでは彰に間違いなく恋に落ちている。
俊介は自分を変態野郎だと責めた。
何度も何度も責め、はい上がろうとしたが、学校で彰と会う度に切り落とされていった。
どれが真実の自分なのか。
わからなくなる。
いまの俊介は彰の存在に戸惑っていた。
恋は自分をさらけ出したくなる。
本当の自分を…。
俊介は頭に残る傷痕を撫でて気分を落ち着かせた。
「とにかく明日、杉田という女を見てみたい」
夜の公園のベンチで俊介と樹里は肩を並べて座っている。
「うん…わかった。ごめん沢村君…私はほんとダメね。逃げてばっかね…ほんと」
「たまには不良もカッコイイこと言うだろ?」
「不良は大っ嫌い」
「ふん」
そう言って、切るように睨んでくる俊介に樹里は笑ってみせた。
俊介もやがて笑った。
「さあて、ここにもそろそろ醜いウジムシどもが溜まりはじめる時間だ。来たら煩わしい。須田。そろそろ帰るか。もう遅い。近くまで送ってく」
遠くで暴走族の鳴らす音がここまで聞こえてくる。
この公園は不良グループの集まる場所にもなる。
俊介や真一のもっと上の年齢のもっと危険な奴らがこの場所に蔓延る。
須田など一溜まりもなく一生消えない傷を作らされるだろう。
「沢村君がボディーガード?」
樹里が瞳を輝かせた。
「俺はな、壮太や彰みたいに醸し出す何かはないが逃げす足だけはやたらに速い」
なによそれ
樹里が手を叩いて笑いだした。
大きな笑い声は草木を震わすほどに。
「馬鹿が。笑いすぎだ」
「ごめん。でも、なわけないじゃない。彰君は陸上部の選手なのよ」
「ふん。いつものお前に戻りやがったな。彰なんて余裕だ」
「彰君のが速いわ」
「ふん。この俺があいつに負けるか」
「沢村君はダメよ煙草吸ってるからすぐにスピードダウンしそう」
「ばーか。俺の敏捷な動きをお前は知らないし教える気にもなれん」
「じゃあいまから私と競争する?私負けないかも」
「するわけない。めんどくさい」
二人は笑いながら階段下に停めてある樹里の自転車へと向かっていった。
「世の中で一番怖いのは地震でも幽霊でも宇宙人でもねえ。突然闇にほうり込ませてくる人間が一番怖いんだ。気をつけろよ。毎日塾通いで遅いんだろ?お前はバカ正直だからな。なにかあったときは何も考えずに隙を見て悲鳴あげながら逃げろよ」
「心配してくれるなんて沢村君らしくないなぁ」
「ふん!お前などを心配したこの俺がバカだった」
樹里が自転車を押して俊介が横を歩いていく。
俊介は樹里を家まで送っていく。目付きは鋭くなっていた。
もし突拍子なく何かが起きたとしても彼は明晰に対処するのだろう。
@
次の日。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
生徒たちはそれぞれに部活動の場所へと向かっていく。
窓際の席にいる大橋彰は教科書とノートを鞄に詰め込んでから無言のまま教室を出ていった。
遠藤壮太は大きな身体を光が射すほうへ向けて校庭を見下ろし続けていた。
校庭では二年C組の生徒たちが体育の時間を終えて教室に戻っていくところだった。
須田樹里は彰が教室を出て行ったのを確認してから沢村俊介を自分の席に呼んだ。
そして校庭を指差した。
「沢村君。ほら。あの人。あの人が杉田先輩」
団体の一番後ろを一人で歩く女子がいる。
「あいつか?あの一番後ろの」
俊介は昨日の北門で僅かに見えた奈緒子の横顔を思い出していた。
「うん。あの人がそう」
樹里は声をすぼめて言った。
俊介はちらっと壮太に目をやった。離れた場所にいる壮太は教室の前方から同じく校庭を見下ろしていた。
その眼差しはどこか寂しげであった。
佐野勝也もいる。
団体の先頭をふてぶてしく歩いていた。
鼻頭には白いテープが貼ってあった。
彰に蹴られた場所がまだ疼くのだろう。
「あれが杉田」
「そう。髪が長くて綺麗だよね」
髪が長く華奢な体型に大きな瞳。
「随分とやられてるな」
俊介が呟いた。
彼女は闇に支配されていた。
俊介は思わずにはいられない。
あの女が心から笑ったら本当に綺麗な笑顔をするのだろう。と。
いまの杉田奈緒子は萎れた造花のようだった。
香りも柔らかさも愛嬌もなくなんら真実味すら感じられない。
見事なまでの闇に包まれている。
深い闇のなかに浸かっている。
そんな雰囲気を醸し出している。
付け加えればなにもかもがガラス細工のようにもろく弱いのだろう。
あいつは。
俊介はため息をついた。
杉田は戦うことを放棄している。
@
大橋彰はトイレのなかでしばらく瞑想にふけるように鏡の前で瞳を閉じていた。
時間は刻々と流れていく。
トイレの外の廊下から賑やかな声がこちらに入り込んでくる。
今日は部活に行くまえにやることがあるのだ。
彰はそれをいま実行する。
目を開けて鏡の前にいる自分自身を見据えた。
表情を固まらせたままに黒目の奥を見る。
いまから自分がすることは奈緒子にとってどんな方向性を示すのか。
下手をすればさらなる窮地に追いやるかもしれない。
よっていまからすることは完璧でなければならないのだ。
少しの失敗も許されない。一瞬の油断も許されない。
完全な一本勝ち。
彰は奈緒子を救うことに気持ち的な余裕がどこかにあった。
それはこちら側には大きな希望があるからだ。
空手。
南門で奈緒子に手を出してきた男を一撃の名のもとに痛め付けたように、自分には空手がある。
いままで努力して得てきた武道は彰に絶大な自信を与えていた。
奈緒子を一つ一つの壁から解放させることを誓った。空手をとことん使ってでも必ず奈緒ちゃんを救う。
彰は水道の蛇口をひねり両手を濡らした。
そして空手を通してのもう一つの自信がある。
それはいろいろな大人達と交流してきたことだ。
それによって彰は一学年上の人達でさえも幼いと感じていた。
「よし」
彰は声を発した。
よし。成り切る。
あの人に。
濡らした両手をこめかみから鬢にかけて強く当てていく。それを三回やった。
空手の稽古中に気合いをいれるために横鬢を手で抑えくっつけさせるのは空手の指導員である渡辺の真似だった。
渡辺の癖なのだろう。稽古中、汗で濡れた髪を手で押し流す。
それはおそらく彼が全身に気合いを入れさせる動機付けだ。
彰は空手稽古中にその人に少しでも近付きたく見続けてきた渡辺指導員の真似をした。
水で濡らした耳の上の髪はぴったりとジェルを塗ったように、濡れたままに固まった。
「なぁ大橋ちょっと見てくれ。やばくないか?」
稽古後に渡辺は彰に向かって前髪を掻きあげて額を見せた。
「正直に言ってくれ。俺は少しばかりなんだその、ハゲてきてないか?ん?」
渡辺が笑いを堪えながら聞いてくるので彰も思わず噴き出しそうになった。
「うーん…どうなんでしょう」
「やばいよなこれ。実にやばい。まだ結婚もしてないのに」
渡辺は販売機に向かう。
彰もその後を追い掛ける。いつものように渡辺の大きな背中を見ながら追い掛けた。
「空手は大きな怪我が付き纏う武道である。そんなことを長くやってると自然的に男性ホルモンが強くなり髪は薄くなるのか」
渡辺はぶつぶつと独り言を呟いた。それが遊び心のままなのを知っている彰は笑いを堪えながらただ頷いた。
「大橋。俺はもう空手をやりはじめて何年になると思う?その見返りにほら見ろこの額。髪を生贄にした」
「でも…」
「なんだ?大橋、言ってみろ」
「先輩でハゲてない人はたくさんいますよ」
渡辺は彰の言葉には無視をして話しを進める。
「もう一回よく見てくれ。きてるか?正直に言ってくれ」
前髪を掻き上げた渡辺に彰は近づいた。
「はい…きてますおそらく…少しばかりハゲてきてます」
「ほーよく言ったなお前。今日はコーヒーいらないみたいだな彰!」
そう言って渡辺は豪快に笑った。
彰はトイレの前で豊富な前髪も濡らしてバックに持っていく。
おれはそこまでは真似できませんよ…渡辺指導員。
彰は鏡に映る自分にちょっと笑ってみせてからトイレを出ていった。
目指すは向かいの校舎の四階。吹奏楽部の教室だ。
いまから戦いにいく。
奈緒ちゃんを助けるために。
「渡辺指導員に成り切る」
廊下を歩きながら彰はつぶやいていた。
いま俺は大橋彰じゃない。あの渡辺さんだ。




