俊介の過去
樹里は首を横に振った。
「ううん。私もA組全体も大丈夫よ。不思議なくらいにまったくないの。それもやっぱりA組には遠藤君がいるからなのかな。男子が揉め事起こすとかいまはほんとにない。入学当初は沢村君が危険分子だったけどね。イジメなんてないの…みんな仲良しで。学級委員長としてもすごく楽よ。イジメは…それはA組じゃなくて…」
樹里は小さく鼻を啜った。
そのとき微かにバニラの香りが鼻孔をくすぐった。
樹里は素早く辺りを見回すが金髪頭は確認できなかった。
ほんの30分前まで俊介らがいた正門のきわ。茂みの一角には彼らの残像として煙草の吸い殻が捨てられている。俊介らがいたその場所にいま樹里と麗奈が足を止めていた。
「…なんて言えばいいのかな…えと…」
「了解。ならさ、とりあえず学校を出ましょ。こんな門の隅で話す内容じゃないでしょ」
「うん。なんかごめんね。突然暗い話をしちゃって。麗奈。今日の部活どうだった?」
「部活?凄く話しの方向転換をしたわね」
正門を出るとすぐ目の前を県道が走っている。
この時間は車が多い。
「部活か。うーんっ。正捕手の座まであと少しかな〜」
横断歩道で車が途切れるのを待つ間、麗奈は両腕を伸ばして大きく背伸びをした」
「掴め!正捕手!」
麗奈は突然ガッツポーズをしかと思うと大声を張り上げた。
県道の左右の車が横断歩道手前で止まると、生徒達は笑いながら麗奈と樹里を見て渡って行く。
「さ、言ってよ樹里も。いくわよ。ふぅ…。はい!正捕手の座をこの手に!ほら一緒にほら!言って!」
「だって私は関係ないもん正捕手を目指してるのは麗奈よ。しかも一年生で奪えるものなの?それって相当な才能じゃない?麗奈からソフトボールの神様が認めるような才能は見受けられないけどな」
「いいから!言ってぇぇ!」
またクスクスと笑いながら生徒達が横を通り過ぎていく。
「恥ずかしいなぁ。わかったわかった。言うから」
「よし…はい!正捕手の座を!」
「正捕手の座を!」
二人は大きな声を出して言い合った。
そして笑いあう。
「さ、樹里。元気でた?」
「出たわ。すごくね。麗奈ありがとう。またここから塾があるしね。頑張らないと」
麗奈はサッと手を出して警察官のように敬礼をし、ニコッと笑ってから「さ、行こ。車待ってくれてる」
横断歩道を樹里の手を引いて渡っていく。
すでに夜空には刻印を刻む星が煌々と輝いていた。
「樹里は時間ないだろうから歩きながら話そっか」
麗奈は肩をぶんぶん回して、ソフトボール部での活動の報告を笑いを織り交ぜて話していく。
「なかなか正捕手の座は難しい。はぁ。樹里見て。あれが正捕手座」
麗奈は立ち止まり、真上に指を上げた。
「ぷぷっ。なによ。そんな星座はないわよ」
「樹里。ダメ。あなたの弱点はね、少々頭でっかちになりすぎてるところ。考えてもみなさいよ。星座なんてものはいにしえの人が勝手気ままに決めたものなの。ある意味、失礼だなって星座もあるし破廉恥だなって星座もあるかもしれない。だって髪の毛座があると知ったとき私は対応に困った。だって髪の毛よ。おふざけよ。そんないにしえの気まぐれをただ覚えるよりは個々で作っちゃえばいいの。私は秋の夜空の真上に正捕手座を作ったの。毎日見上げて誓うのよ。よし必ず叶えてみせるってね」
「ふーん。正捕手座ね」
樹里も空を見上げた。
そして考える。自分ならどの星座を描くのか。
答えが一つにならない。
複数あるようにも思うしまったく無いようにも思えた。
私は…一つだけの願い事を見失っている…。
私は…こんなにあくせくしていったいなにを目指しているのだろう?。
「さ、行こ」
麗奈はまた肩をぶんぶん回しながら歩きだした。
「そうそう、イジメの話しの続きいこうよ。樹里はなんであんな深刻な顔をしてイジメの話しをしたわけ?知り合いの誰かがイジメられてるの?」
周りの生徒たちも友達と談笑しながら家路についていく。
なかには重そうなリュックを背負い、とぼとぼと一人歩く生徒もいる。
「C組ってイジメとかある?」
麗奈は回していた右肩を止めて左手で揉みだした。
「イジメか。嫌な響きだな。イジメ。なんかじめじめしてカビが生えてきそうだ。嫌な言葉ね。よし。変えようよ。えと、イジメじゃなくてメジィにしない?ちょっと可愛くて憎たらしい妖精みたいじゃない?」
「私はなんだっていいわ」
「いや、違うな…。メジィはインパクト薄いな。よし。メジィーヌにしよう。うん。しっくりくる」
「メジィでいいわ」
「うんうんわかったよ。メジィね」
麗奈は二度大きく頷いた。
「正直なところC組にメジィは無いんじゃ!とは言えない。だってさ、狭い教室のなかに40人の生徒がいればそりゃ派閥もできちゃう。そしてどのグループにも上手く入りきれないあぶれちゃった子が必ずいる。うちのクラスはね、見るからにイジメ…違うな、メジィをするとかはないよ。陰での悪口は聞く。『私あの子苦手』とか『あの子ぶりっ子だよね』とかね。まあ寂しっちゃ寂しい話しかな。別にそんなこと言わなくてもいいじゃない。男子はねたまに大喧嘩してる。だけど大勢が一人を寄ってたかってってのは見たことない。まあそんな感じなのはたぶんどこのクラスでも一緒なんじゃないの?」
樹里は話しを聞きながら小石を暗闇が広がる空間へと蹴飛ばした。
思ったより飛んでいった。
「そうよね。やっぱり…普通よね。どこにでもメジィーさんはあるわけね」
「大人になって社会にでてもメジィは多かれ少なかれ付きまとってくると思うよ。だってさ…あの悪ガキ俊介だって小学校のときにイジメられてた。メジィの口づけは俊介の唇さえも奪ったのよ。あの薄くて魅力的な唇をね」
樹里はぽかんと口を開けた。
「え……!なにそれ。あの沢村君が?嘘!ほんとに?」
樹里は驚愕の表情をした。
「樹里すごい大声だな。びっくりした。樹里は知らないよね。五年生のときは樹里は違うクラスだった。…樹里は三組。俊介と私は二組だった。しかもいまの俊介が俊介。誰も話さないわよね。二組の全員が封印した」
「ちょっと待って」
樹里は麗奈の前に回り込んで腕を組んで足を開いて立ち塞がった。
「私ねかなり混乱よ。ちょっと整理させて」
「いいわよ。お気のすむまで。でも樹里は時間大丈夫?」
「もう塾どころじゃないわよ。麗奈。沢村君がイジメをしてたんじゃなくてイジメをされていたってことなの?」
「そう。されてた。想像できないよね。あの俊介が。だよ。いまじゃ考えられない。樹里は知らなかったか」
「聞かせて」
「なにを?」
「沢村君のイジメの話し」
いいわよ。ただ歩きながら話そ。麗奈は再び歩きだす。樹里はすぐに肩を並べた。
「沢村君は凄く怖くて頭がきれて大人っぽいの。ありえないよ。イジメられてたなんて」
いまの俊介はね。
そりゃカッコイイ男よ。
麗奈は真顔でそう応えた。
「さっき樹里がイジメのことを聞いてきたとき、とても深刻そうだった。だから話すの。俊介には言わないでほしい、いい?」
「言うわけない。明日、沢村君に、なんだよ昔イジメられてたんかい?なんて聞く自分がまったく想像できない」
「わかった。合格ね。じゃあ話す」
麗奈は深呼吸を一つした。
「五年生の二学期はひどかった。私がいままで見たなかでとにかく一番壮絶な光景だった。きっとずっと残る記憶。しつこいけどとにかくひどかったの。だからねさっきイジメって樹里が言ったときね、私は俊介のシュッとした顔がパッて思い浮んだ。そしていまも消えないままでいる」
そっか、もう二年前の話しになるのか。
麗奈はうんうんと頷く。
「ちょ、ちょっと待って…やっぱりまったく想像できない。だってあの沢村君がだよ…イジメられてたなんて…。いまの彼には微塵の面影もない。あの眼差しはすごく怖いし…」
沢村俊介。
樹里から見れば短気でおっかなくて洞察に優れた男。彼を怖がる男子が無数にいるのも知っている。
その沢村俊介がイジメられていた?
信じられない。
樹里は首を横に何度も振った。
麗奈は夜空を見上げていた。
「俊介が五年生のときにこっちに転校してきたのは知ってる?」
「うん。それは知ってる」
「五年生の一学期に東京から引っ越してきたのよ。なんていうか、都会育ちの香りっていうのかな、俊介は転校してきたその日から目立っていた。こんな名古屋市の片隅の街にはいない洗練された雰囲気を醸し出していた。銀縁の眼鏡かけてさ」
「え?」
樹里ははめる眼鏡のブリッジに触れた。麗奈も同じく自分の眼鏡に触れた。
「沢村君が眼鏡かけてたの?」
「そうなの。俊介は目が悪いと思うよ。だからいまはコンタクトレンズなのか…」
まったく黒板を見ていないか。
どちらかね。
麗奈は真顔で言った。
「俊介はすごく頭もよかった。秀才で外見もあの通りシュッとしてるでしょ。だからすぐに人気者よ。女子なんて毎日キャーキャー言ってた。沢村君カッコイイよねって。私にしてみればうるさいくらいにね。私はゴリラみたいなゴツい人が好きだから。タイプじゃないわ関係ないねって感じ。あ、私のことはどうでもいいわね。でも俊介はとにかく無口だった。ほとんど話さなかった。いま思えばね俊介なりに頑張ってたと思う。友達を作ろうってね。でもそれが日々空回りしてた。自分から話しかけることができなかった。そしてある日…引っ越してきて二ヶ月くらい経ったときかな。二組にいた真一がさぁ。あ、衣川のことね。樹里も知ってるでしょ?ちびデブ真一。まあデブは私も言えないけどね。テヘヘ」
「もちろん知ってるわよ。衣川君でしょ」
「あ、あと出っ歯の松田。いまG組かな。三人そろえば村田川よ。もう私らのなかでは有名人よね。あれはたしか鹿島先生が名付け親かな。あの三人はおら!おら!村田川!ってよく叱られてたよね。鹿島先生はあの不良三人組の天敵だったなぁ。なんだか懐かしいな。卒業式のとき見てた?」
「鹿島先生が三人の肩を抱きしめておいおい泣いてたこと?」
「そうそう、あれは私も貰い泣きしちゃったな。この学校には鹿島みたいな先生は皆無ね。不良は鼻摘まみして終わりって感じ。先生はみんな見て見ぬふりして逃げてる。伝説の村田川結成は六年生になってから。五年生のときの俊介は真一を筆頭にしたグループにしつこくイジメられていたからね。二学期からはすごかったよ。もう毎日毎日…」
麗奈の懐かしむ表情は途端に寂しげになっていった。




