北門と南門
「シン。その情報は佐野は知ってると思うか?」
「遠藤の兄貴が白鬼のリーダーって話しか?佐野はまず知らないんじゃないのかな。おれは自分の兄貴から聞いたんだ。兄貴に遠藤壮太って強い奴がいて大変なんだよって話したら兄貴が遠藤?て気になったみたいで調べてくれたんだ。そしたら繋がったってわけ。兄貴と同い年らしいよ」
―遠藤賢治って人は。
俊介は薄い唇に親指を当ててなにか遠くのものを睨んでいた。鋭い視線だった。
「何歳年上になるんだろう」
「兄貴はおれより四歳上だ。なぁシュン。いったい何をしようとしてるんだ。仲間から聞いたよ、今日、登校時間に大橋が二年の宮崎をやったらしいじゃないか。それに10時の休憩中に呼ばれて行ってみれば鼻血を出していた佐野がいた。そこにいたのはシュンと遠藤と大橋だった。正直いうよ」
真一は深いため息をついた。
「いまおれがここまで付き合ったのはシュンを止めるつもりだったからだ。吉川も関係あるんだろ。おれは言っておくぞ、シュンはもう関わるな。遠藤と大橋がなにかやりたいなら勝手にやらせればいいんだよ。これ以上付き合ったら後悔することになる。佐野は甘くないぞ」
「そうだな。佐野は甘くない」
俊介は小さく頷いてから真一と裕吾に笑ってみせた。
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彼は背が高い。
そして短く刈り込んだ坊主頭と角張った頬骨が特徴的であった。
濃く太い眉の下にはつぶらな瞳が付き従う。
風格と愛嬌が入り混じる顔が、いまは口を一文字に閉めて全身を強張らせたままに校舎の前を歩いていた。部活動を終わらせた多くの生徒たちが門の外へ向かうなか、一人逆方向を歩いていく。
揺れる腕は丸太のように太く付属する手の平も岩石のように固くゴツゴツとしていた。
彼が右手に持つカバンはほかの生徒に比べやけに小さく見えたし、着る学生服は急激な成長に追い付いていけないように広い肩幅はいつも窮屈そうに見えた。
遠藤壮太。
漲る風貌は一般的な中学一年生の体格を逸脱しているといえた。
いま壮太は南門から北門を目指して歩いていた。
北門にはきっと大橋彰がいるだろう。
そしておそらく杉田奈緒子も北門を出て帰るのだろう。
部活が終わり南門で10分ほど待っていた壮太は歩きだした。
そしていま、人の波に逆らってずんずんと進んでいる。
南門には壮太。北門には彰。
二人が短い時間に決めたことだった。
それは授業が終わったあと吹奏楽部の部活動が行われる教室の近くで。
壮太があとを追いかけるように彰の肩を掴んだ。
吹奏楽部の教室に乗り込もうとする彰がいた。それを止める壮太。
「わかった。いまはやめておくよ」
彰が悲しげな表情のままに壮太の意見を聞き入れて乗り込むことを諦めたときに壮太が出した提案だった。
「奈緒ちゃんが危ないのは部活時間じゃない。登下校のときだ。守ろうぜ俺達で。部分終わったら即行で南門待ち合わせな」
「南…いや奈緒ちゃんは北門かもしれない…」
彰は今日の朝に起きた南門での出来事を踏まえて、奈緒子は北門から帰るんじゃないかと予測した。
「わかった。じゃあ俺は部活終わってからすぐ南門に行く。彰は北門な。で、15分待っても奈緒ちゃんが来ないほうがそっちに向かうってことでいいな。登下校のときが一番危ないぜ。これからは俺達がなにがなんでも奈緒ちゃんを守らないとな」
「ああ。守ろう」
壮太が差し出した手を彰が握った。
二人は幼い頃からなんども握手をしてきた。彰は落ちついていく心に気付き自らを安堵させていった。
いま壮太は北門に向かっていた。
「壮太」
こちらに向かって歩いて来ていた男達が壮太の目の前で止まった。人影は三つあった。
「おお。シュン。真一に裕吾も一緒か。相変わらずお前らは仲良しだな」
壮太が三人を見て微笑んだ。だが表情は幾分固く見えた。
いつもの壮太なら笑うと豪快な声が出るのと同時に頬骨の肉が上に盛り上がり口が大きく開く。
それはなんともいえない笑顔だった。誰でも向かい合いこの笑顔をされると、こちらまで自然と笑顔にされてしまう。
笑顔は人を魅了するものなのだと、壮太と出会った俊介は知った。
彰が、ふと見せるきらきらと輝くような笑顔に壮太の豪快な声を含む笑顔。
それぞれの笑顔というものは向けられた人の本能から刺激していく。
だが今の壮太の笑顔から伝わるその力感の灯火は弱く感じた。
俊介は理由を知っている。
杉田奈緒子が壮太をも変えたのだ。
「よ、よぉ、遠藤」
真一は明らかに苦手そうに声をかけて裕吾はただにんまりとしていた。
「今日のやんちゃ三兄弟は真面目に帰るんか?」
壮太の声は低い。最近声変わりが始まったようで、春先の不慣れな鶯のようにまだ自らの声に戸惑うように嗄れていた。
俊介は左耳のシルバーのピアスを明かりに照らしながら顔を校舎に向けた。
「最近は学校に遅くまで溜まってると、大人より二年生のがピーチクパーチクと鬱陶しい。で、壮太。その後、佐野とはなんにもないよな?」
佐野の名前が出ると一瞬のうちに壮太の目付きが変わり、真一と裕吾はびくっと肩を震わせた。
「ああ。あれから会ってねえよ」
「そうか」
俊介に続いて真一と裕吾もうんうんと小さく頷いた。
真一と裕吾は過去に壮太の鉄拳の前に屈した。
いまは憧れの眼差しまでをも送る二人だった。どこか目が輝いてみえた。
「佐野か…」
壮太が吐き捨てるようにいった。
「あ、そういや壮太のおにいちゃ…」
突然話しだした裕吾の口を真一が咄嗟に抑えた。
「あばあば」
「ん?なんだ?」
「な、なんでもねえよな。あ、裕吾がさっきから遠藤とまたタイマン張りたいってうっさいんだ。な?」
「お!いまからやるか?」
「な、なわけないよ!こら真一!やめろ!」
裕吾が真一の足を軽く小突くと壮太は豪快に笑ってみせた。
「いつでもやろうな」
裕吾は壮太にだけはトサカを触らせる。しかも笑って。
いまも裕吾は触ってほしいのか頭をずんと上に向けていた。
「あのな壮太」
俊介が場を打ち消すような切れる視線を壮太に向け何か言おうとしたときに壮太が先に聞いてきた。
「彰は北門にいたろ?」
俊介は彰の名前が突然出てきたことに驚いたのか闇の入口を思わず開けてしまっていた。俊介はほのかに顔を赤らめていた。
「え…彰…?いや。俺達は正門にいたからな。北には行ってない」
「わかった。じゃあ俺は行くぜ。また明日な」
壮太は真一の肩をぽんぽんと叩き手を上げて去っていった。
「こらー真一!びっくりした。おれもう遠藤と喧嘩なんかしたくないぜ。歯は大切なんだ!懲り懲りだ!」
「悪かったな。でもお前が変なこと聞こうとしたからだぞ。遠藤が兄貴の存在を言われてどう反応するか予測できないだろ」
真一が裕吾の肩をぽんぽんと叩いた。
「クールにいこうぜ」
裕吾は真一に叩かれた肩を指で払う。
「なに壮太の真似してんだよ。肩叩かれたとき嬉しそうだったぞ」
「シンも裕吾も壮太を慕ってんだな」
三人は立ち止まったまま大きな背中を見送りながら会話をしていた。
「ちょっと北門寄ってかないか?」
俊介は壮太が暗闇に溶け込んでから二人に聞いた。
「それは構わないが。遠藤は本気で佐野をやるつもりなのか?」
「もう賽は投げられてるよ。遠藤と大橋はやるだろうな」
俊介が言うと、真一はまたため息をついた。裕吾は無くなった前歯の歯茎を舌で何度も触りながら、壮太の行く先を案じていた。
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彰は北門を出たところで待ち続けていた。
部活動を終えた多くの生徒たちが帰っていくなか、彰の視線は一点だけを見つめていた。
視線の先には、北門から一人とぼとぼと出てくる杉田奈緒子がいた。
「奈緒ちゃん…」
すぐ近くまで来てから彰が声をかけると奈緒子はとても驚いた表情をした。
「彰君…どうして北門に?」
奈緒子の黒く長い髪は精神状態を表しているように艶がなく瞳の下には隈らしきものもあった。
どうして…いままで気付かなかったのか…
憤る怒りが矛先を失っている。その刃は自分自身に向けるべきなのか。
どうして…いままで奈緒ちゃんの苦しみをわからなかったのか…
守らねば。
高ぶる心臓。
波打つ脈拍。
愛がすべてを凌駕する。
「あ、あの…一緒に」
彰は深呼吸をする。
そして子供時代を思い出した。
屈託なく話せたあのときを。
かくれんぼ…ボール遊び…。あのときを…思い出せ。
話せ。話せ。
奈緒子の俯く横顔を見る。
一層に高ぶる鼓動。額に浮く冷や汗。
震える唇。
俯く奈緒子はとても美しくみえた。
まるで幼い頃に絵本で見た森を飛び回る妖精のようだった。
ただ…。
いまその羽は飛べないほどに傷付いている。
憎い。彼女を傷付ける者達が。
「一緒に帰ろ…」
「え…」
素っ気ない態度が増すような言葉を発する。
「一緒にマンションまで…帰ろ」
「…でも…」
「壮太も来るから。三人で。昔によく一緒に歩いたろ?そんな風に…たまにはさ…良いんじゃない?もう暗いし。危ないし…朝みたいなことがあってももう手は出さないから」
奈緒子は彰をちらっと見てからまたすぐに頭を垂れた。
「う…ん。あれはただ男子がふざけて…」
奈緒子は俯いたまま頭をコクリと縦に振った。
ずっと俯いたまま。
奈緒子はコクリ、コクリと頷く。
肩先が小さく震えていた。
「奈緒ちゃん…」
瞳には涙が光っていた。
そして鼻を啜る音。
それが思った以上に大きく鳴った。
思わず彰はクスクスと笑ってしまった。
奈緒子も釣られたように俯いたまま笑う。
「恥ずかしいな…鼻鳴っちゃったよ」
彰は奈緒子の言い方がなんだかとても懐かしくてとても可愛らしくてまた笑った。
「昔の奈緒ちゃんは会えばいつも鼻を啜ってた。スピーって」
「もう…彰君たら…」
奈緒子は小さく二度鼻を啜った。
二人は声を出しながらしばらく笑いあった。
「これからは一緒に帰ろ」
奈緒子を見つめる彰。
奈緒子も彰を見つめた。
「…うん」
風が流れる。
奈緒子の香りが届いてきた。
彰は瞳を閉じた。
抱きしめたいと思った。
「彰君…。朝は…ごめんね」
「奈緒ちゃんが謝ることないよ、手を出したのは僕だから。僕が悪いんだ」
「空手…?彰君」
「空手?あ、うん。空手の技だよ」
「すごかった…私もう…」
あのとき奈緒子は恐ろしさのなかですら魅入っていたのだ。
華麗ともいえる空手の蹴り技に。




