チョコの甘さと思考
チョコの香りと甘さがじわじわと口のなかで広がっては消えていく。糖質が唾液と混ざり合い溶け込まれていくこの感触は思考回路が脳の隅々まで行き渡る活力となる。
チョコを頬張れば煙草も吸いたくなる。
チョコと煙草。
この対は。
生きとし生けるものに身を置くこの我が身。
俊介は脈打つ内部に耳を傾けている。
きっと死ぬまでやめられないだろう。
13歳も65歳もさほどは変わらない。
好きなものは好きなままに生きていく。
教室の最後列で一人壁にもたれ掛かり腕組みをしたままの俊介は今日何個目かのチョコを舐めながらなにかを睨みつけていた。
鼓動が幾分強まる。
鋭い鷲のような目線の先にあるものは教室のかどに置かれた無言を貫くだけの縦長のロッカーだった。
静寂のままに鎮座を続けるただ掃除道具が入れられた灰色のロッカー。
かちっ。
いま扉を開ければ蓄えられた闇は瞬く間に解放されていくのだろうか。
俊介は両手で勢いよく扉を開かせるのを口腔にほうり込むチョコの上辺で思い描く。
扉は開かれる。
そして
戦争になる。
俊介はゆっくりと舌なめずりをする。
先が黒く光る舌で上下の唇を薄く濡らしていく。
面白い。実に面白いではないか。
杉田奈緒子という餌によって引き寄せ合った奴らが引き起こす騒動は自分にとって至上なる興奮剤だ。
殺伐な世界はまさしくおれのテリトリーなのだ。
さて、その世界では、必ず壮太と彰にとっておれの存在は絶対不可欠となるだろう。
俺がいまここにいる意味。
二人にはそこまで思わせねばいけない俺なりの意義があるのだ。
行き着く場所で型にはまらなければ俺のなかで生まれたこの興奮は納まらないだろう。
日々、喜びと恐怖で震えるこの身体と血の匂い、そして止まらなくなる理性。
まさしく至上。
だが…。
俊介は立て続けに何個目かのチョコを口にほうり込んだ。
なにかが…
引っ掛かるのだ。
まるでとても小さなささくれが手の平をゆっくり撫でつけていくように。
俊介は右手を動かしていき短く切られた金髪に触れてから左耳のピアスへと触れていった。
白く長い指先が頬を撫でていき唇に行き当たる。
そして濡れた上下の薄い唇をそっと拭いたその指先を見つめた。
気になりだしたら深く考えちまう。それがおれのダメなところだな。
俊介はポケットに両手を突っ込むと彰がいる窓際へと歩きだした。彰の隣りには樹里もいるのが見えた。
秋の陽射しが彰を照らしていた。
揺れる彰の長い前髪と心。
俊介はゆっくりと歩きはじめていた。
もう気にするのはやめよう。
馬鹿は所詮は馬鹿なのだ。佐野は所詮は佐野だ。
しばらく舌の上で転がしていたチョコを奥歯で強く噛み砕いた。
俊介が気にしていたことは、つい先刻に佐野が話した言葉使いだった。
誰もが聞き流すだろうその言葉の言い回しを俊介は拾い上げていた。
俊介は佐野が言った言葉を心のなかで何度も復唱していた。
鉄をやすりでかけるような佐野の声。
―大橋。遠藤。覚えておけよ。後悔することになるからな…。
佐野はあの場所で鉢合わせしたときに彰の名前、つまりは大橋という名を初めて知った風だった。
なのに感情高ぶるあの場面で彰の名前を言うものなのだろうか。しかも目の前にいたのは壮太なのに、先に大橋、そして遠藤と言った。
まあもちろん鼻を潰したのは彰なのだが…。
違和感がある。
佐野の立場なら。
―おまえら―で済ます。
ひとまとめだ。
何故わざわざ個別に名前を?
しかも何故におれの名前は省いた?
おれの名前は知っているはずだ。
なのに。
このわだかまりを解消するためには…。
佐野は以前から彰を知っていたとの推測に至るのか。
しかも。
あの場所に大人が現れたタイミングがあまりに早く感じた。
ほとんどの教師が職員室に戻っている時間なのにも拘わらず二人で来たのだ。
じゃあさっきのは仕組まれていたというのか?
佐野が仕組む?
その理由は?
一年生と戦争をするために?
理由が薄い。
佐野がその気になればどうにでもなることだ。わざわざ演じる必要性がない。
巨大な何かが裏にひしめいているのか…。
杉田奈緒子が柱となって引き起こされていく祭りはまだ始まったばかり。
悪魔に睨まれる女か。
彰…
どうする?
これは強敵かもしれない。
俊介は職員室から戻り席に座っている彰の横顔をどこか悲しげに見つめながら歩いていた。
彰のもとへ。
@
彰は席に着くなり隣りの席に座っていた樹里に話しかけていた。
同じく職員室から戻ってきた壮太もこちらに歩いてくるのが樹里には見えていた。
「須田。杉田奈緒子先輩のことを詳しく教えてくれないか」
樹里は眼鏡のブリッジに触れながら彰に眼を移した。予期したことだ。
職員室から戻ってきた彰はなにかを聞いてくるはず。
予測通り。
ただ…有り体に話していいのだろうか。樹里は一文ごとに最大限の気を張るかのように頷いてからゆっくりと話しはじめた。
「うん。杉田先輩と…大橋君は幼なじみなんだよね。それ以外には…」
「ない。同じマンションに住む幼なじみ」
彰は樹里から目線を外し前を向くと瞳を閉じた。
「幼なじみだから。イジメにあってるならやはり助けないといけない」
深呼吸まじりの彰の言葉は樹里を徐々に悲しくさせていく重りがまじっていた。




