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初恋。  作者: 冬鳥
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作為的な罪

美雪の細長い指が崩れ落ちようとする彰の両肩を懸命に支えた。



「キャッ!大橋部長!大丈夫ですか!」



「す、すまない…あ…ありがとう。大丈夫だ、たんなる立ちくらみだ。もう収まってきた」



「いえ…」



美雪は、彰の脱力しきった肩を支える両手をゆっくりとそのまま下に降ろしていった。その手は背中で止まる。



「部長…働きすぎですよ…」


せっせと営業部に足を運び遠巻きなれど彰個人を見てきた美雪だからこそ解ることがあった。


営業を統括する大橋彰の一心に傾倒される職務姿勢によって他の社員達はどこか恐れるように仕事を進めているように見えた。

彰の完璧ともいえる態度は部下の脅威となっているのだ。


営業部の同期の男性社員と二人で飲みに行ったとき、相手が酔った勢いで漏らした言葉が美雪の心にいまも残っている。


「部長はさ、たしかにやり手だよ。冷酷に確実に仕事を取ってくる。毎朝誰よりも早く出勤して誰よりも遅く退社する。すごいよ。ほんとすごい。だけどそれだけなんだよな。営業って皆で盛り上げていくとこあるだろ?、なのにあの人は全くの個人プレーだ。感情の起伏なく仕事をそつなく熟していく。あの人はさ、能面のなかの顔を絶対に見せないんだ。まるで無表情のままに殺戮をしていくどこかの将校みたいにね。誰にも心の内を見せない。そしてあの人は自分以外の誰も認めていない。永遠に冷酷なんだ。体温が全く感じないんだよあの人からは。波多野にわかるか?そんな人の下で働く奴らの気持ち。自分の未熟さを無言のままに戒められ続けるのって辛いもんだぜ」



隣りでグラスをあおりながら愚痴をこぼす男に、美雪は激昂しながら反論していた。


「何よそれ。ただあなたは大橋部長の持つ資質に対して雲泥の差があることに悔しいだけじゃない。素直に認めたらいいのよ。あの人には勝てないって」


男はグラスを叩き付けるようにテーブルに置く。


「ああ、そんなのはわかってる!絶対に超えられない壁が間近にある圧迫感を毎日ひしひしと味わってるよ!。部長は!部長は…あらゆる人の人生を狂わすんだ。無言のままに自信を剥ぎ取っていくんだ。相手の自己顕示欲を打ち消し素っ裸にしてそして心の内で嘲笑うんだ。お前は無能だなって…」



「何よ…それ。あなた…部長に対してなんてことを…」


否定し反論しながらも美雪にはその気持ちが理解できていた。


私はこれから先、男を愛していけるのだろうか。


大橋彰と出会ったばかりになにか重要なものを欠落させたような不安感があるのだ。

彰と出会ったことによって入り込んだ迷宮は、深い闇のなかへと導いていくのだろうか。


だが。もう悔やむのは遅い。出会ってしまったのだ。大橋彰に恋を抱いたのだ。

崖の上にそびえる白い灯台は。


どこまでも美しい。



美雪はいま全身が疼きだすのを感じている。酩酊するほどの滾りが電撃となってほとばしる。

一瞬にして濡れだした体は彼のすべてを求めている。



肌に伝わる大橋彰の皮膚の内側に宿る筋肉の固さと鮮明な心地好い香りと温もり。美雪は彰の背中に両腕を回したまま顔を彰の弾力ある胸元に埋めた。


端から見れば抱きしめ会う男女に見える。



「大橋部長…大橋さん…私…あなたのこと好きです。ずっと…ずっと前から好きでした」



「波多野…」



「お願い…しばらくこうさせてください。私…、身体を離されてからどう生きて行けばいいのかわからないんです。何を糧に夜を迎え朝を待てばいいのか。私…わからいんです…。もし離れるならば…教えてください…いまの私には何が残されてるの。何をこれからの至福とするの。教えてください。好きです…大橋部長のことが好きです。たまらなく好きです。もう他は何も欲しくないんです。いまあなたを失ったら私は生きていけないんです」



彰は背中に回された彼女の手をそっと握りしめてからゆっくりと離していく。


「いや…離さないで…お願い…私は…行ってはいけないところまで足を踏み入れてしまったの…部長…お願い」



「波多野…。も…もう大丈夫だ…ありがとう」


何事もなかったように、衿元に触れて衣類を正してから靴音を鳴らし歩きだして車に乗り込もうとする彰の背中に美雪は悲痛混じりの声を放つ。


「………大橋さん……私はあらゆるものを失う覚悟でいま告白をしました…。迷惑ですか?私が大橋さんをこれからも好きでいるのは…迷惑ですか?」



彰は足を止めた。

風は止んでいる。だが上空では悲鳴のような音が続いていた。


「波多野…。すまん…俺は…ずっと想っている女性がいる…だから…」



「この会社にですか?その女性はここにいるんですか?」



彰は寂しそうに笑った。


「違うよ。ずっと過去に愛した女性をいまも想っている」



美雪に見せた彰の顔はあまりにも儚かった。

そして少年のような純粋さが追随する表情だった。


―能面のなかの顔は決して見せない―


美雪にはわかった。

彼はいま見せたのだ。

彰の内面に籠もり続ける悲痛を。



この人は。


ずっと悲しみを背負いながら生きている。


営業部の同期の男性の顔が思い浮かぶ。


あなたには絶対に勝てない。


この人には。



深い。何もかもが。



「いまその人は…?」



「もう15年会ってない。すまない。もう行くよ」



悲しげに佇む彼女を振り向きもせずに彰は再び歩を進め運転席に身体を滑らせた。フロントガラスには霜が降りはじめている。

そのままエンジンをかけて走りだそうとする。だがアクセルに乗せた右足は下りなかった。


彰は充血させた瞳を閉じて流れ始めたクラシックの鍵盤を叩く音を聞く。


そして佇むままの彼女を見て窓を開けた。



「波多野。駅まで歩いて行くのか?」




「はい…」



「夜も遅い…送ってく。乗って」


美雪は頬を伝う涙を拭きながら無理に笑顔を作りあげた。


「いえ…大丈夫です。ゆっくり…歩いて帰りますから。私のことなんてもう…気にしないでください。振った女性に優しくするのは罪ですよ」


涙を流しながら掌を見せて断る美雪だったが、彰は勢いよく車を降りて彼女に駆け寄って腕を掴んだ。その力は強い。



「そんなのはいい。とにかく乗って。送ってく」



「え…で、でも……」



「いいから!何があるかわからないだろ」



声を荒げて強引に美雪を助手席まで連れていきドアを開けた。



「夜も遅い。危ないから。乗って」



次は優しく問い掛けるように話す彰。


「はい…」


彼女は助手席に乗り込んでから身体を震わせながら泣きつづけた。


10分後、薄暗い小さな駅の小さなロータリーで二人は別れた。



「また会社で」



「はい…大橋部長…メリークリスマス」


そう言うと彼女は口元を押さえたまま車を降りて改札口へと走っていった。




彰は彼女の赤いマフラーが改札口の向こうへ消えるのを確認してからアクセルを踏んだ。

そして駅近くのコインパーキングに車を入れて、イルミネーションに彩られた小さな街を一人歩いた。




街行く恋人達を祝福するように煌めくイルミネーション。


奈緒子と自分を彩るイルミネーションは高速道路を行き交う車の列だった。


彰は奈緒子と見つめあう。

見上げれば高速道路が上空を覆っていた。


畑の隅にある農工具が置かれた古ぼけた小屋。


その壁に二人はもたれ見つめあいながら、時折笑い声をたてて話していた。だがやがてお互いに表情を強張らせる。



「彰君…」



彰は奈緒子を抱きしめて唇を重ねた。


恥じらう素振りを見せる彼女の髪を優しく撫でながらキスを繰り返す。そしてされるがままだった彼女もやがて彰を求めだす。奈緒子の柔らかい唇を何度も吸い、舌を滑らせ絡めあった。


「彰君…ずっと離れないよね?。ずっと…」



「ああ。ずっと一緒だよ」



奈緒子の上着のなかに手を入れて乳房に触れていく。


「うっ…」


喘ぐ奈緒子の声に彰の血は一層に騒いでいった。


スカートをまくり乳房を露わにする。


「奈緒ちゃん…」


乳房に唇を当てたときだった。悪夢がそこから始まった。


突然、後頭部に激しい激痛が走った。


「ぐっ…」


振り向いたときにもう一度鈍器で頭を殴られた。



あれから15年。




彰はイルミネーションから目を逸らした。そしてそのまま新潟の街を出ることを決意した。






三日後。


彰は遠藤壮太に会いに行く。


いま黒のヴァンガードは岡崎市内を走っていた。

オレンジの光りに照らされる岡崎城が左手に小さく見える。



俺は…

過去に操られる機械じゃないとしたら…。

過去に支配される愚者ではないとしたら

いまここに心があるとしたら…

杉田奈緒子に会いたい。


彰はダッシュボードから再び”お守り”を取り出して額に持っていった。

軽く額に当てられたキーホルダーはひんやりとしており脳に送られる血液を多少惑わしていく。


まるで追憶の血膿がそこから抜け出していくかのように冷たく柔らかく感じる。

壮太。お前に会いに行く。


2009年12月24日。

壮太は実兄の遠藤賢治を惨殺した。


そして日本中を巻き込みながら逃亡を続けた。


@


岡崎城の天守閣には一羽の大きなカラスが留まっている。

カラスの鋭い瞳が見上げる暗黒の空からは雪が落ちつづけていた。


カラスは羽を大きく広げると、一度だけ大きく鳴いた。そして二度三度と羽根を羽ばたかせてから夜空へと飛び立っていく。


ただひたすらに西へと向かう黒のヴァンガードが見える。

カラスは弧を描きながらみるみる高度をあげていく。アングルは散らばる街と街が一つに繋がっていく。


カラスは遥か天空から対象物を探し求めた。

ある光りは東海市で愛する人の下へ帰る奈緒子のものであり、ある光は名古屋市内の小さな公園で待ち続ける壮太のものだった。



「……マド…ワ…サレルナ」


カラスは何事かを呟やくと、高度を下げながら彰が来た道を逆流するように豊橋方面へと向かっていった。

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