勃発
本当の優しさとは相手を知る努力のことなのかもしれない。
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九月。二学期。
今日も変わらず彰は朝7時前にはマンション入口にある自転車置場と壁の隙間に身体を這わせていた。そしてここで奈緒子の気配が階下へ下りてくるのをひたすら待つのだ。たとえ中学生だとしても不審者に見えるのだが彰はいたって真剣だった。
夏休みが終わり二学期が始まってからも彰は奈緒子が登下校する姿を血眼になって探した。
朝はマンションで、帰りは南門が見える路地裏で彼女が来るのを待った。そして奈緒子が現れたら気付かれないように後を追うように付いていく。
九月も半ばが過ぎた。その間、ほぼ毎日奈緒子の用心棒のごとく不即不離の距離にて彼女を見守っていたが、いままで言い掛かりを付けてくるような生徒は誰一人としていなかった。それによって彰のなかに宿った怒りと不安は徐々に薄れていった。
イジメという凶器は奈緒子を脅すところまでは行ってないのではないか?彰はそう思うようになっていた。
ただ異変は如実に把握できた。登下校中、壮太が言った通りに奈緒子はいつも一人だった。徒歩10分の間、誰も寄ってきたり話しかけたりしなかった。奈緒子はずっと孤独のままに学校と家を往復していた。
イジメの規模は小さいが陰湿に行われている。そう考えるのが妥当だった。
彰はあまり苦にならないことだが、やはり無視をされることは辛いことだろう。
そして夏休みにおそらく吹奏楽部の誰かがクラリネットを公園に隠したのだ。
犯人を突き止めてやる。
必ず。
彰は頃合いを見て吹奏楽の教室に乗り込もうかとも考えていた。
とにかく彰は奈緒子を悲しませる人を絶対に許したくなかった。
だがそのイジメの実態が掴めないのも確かだった。
夏休みが明けてからすぐに壮太が樹里に聞いた。そのとき彰も隣りにいた。
「須田。聞きたいことがあるんだけどよ。吹奏楽部に杉田って二年生の先輩いるだろ?クラリネット演奏する人だけどわかるか?」
「え?す…すぎた先輩?」
壮太に聞かれた樹里はやけに動揺した素振りを見せた。
「ああ。わかるか?その人…、なんつうか…イジメとかよ…受けてねえかな?」
「イ、イジメ?うーん…私はよくわからないけど…見た限りでは…ないと…思うよ…」
「そうか…」
「ちょっと待って。私からも質問だけど遠藤君は杉田先輩とはどういう関係なの?大橋君も知り合いなの?」
樹里は彰の顔を見上げた。
「ああ。幼なじみなんだよ。俺と彰の」
樹里は驚愕の表情を見せた。
今日の朝も奈緒子の登校時間に合わせて早く家を出た彰は距離にして50Mほど間隔を開けながら奈緒子の後ろを付いていく。そして奈緒子が角を曲がり見えなくなると足早になり先を急いだ。
「大橋君おはよう。今日は早いんだね。陸上部も大変だね」
路地の交差点まで来たところで声をかけられた。
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女子生徒の顔はよく知っている。クラスメートで俊介の近くの席にいる女子だった。
名前は確か…中島…さんかな。
彰は仕方なく足を止めた。奈緒子の背中が離れていく。
「おはよう」
彰にボソッと挨拶を返されただけでも嬉しかったのか中島は満面に笑みを浮かべた。恋をするのは自由だ。勝手に人を思い勝手に想像を膨らませる。13歳の多感なときに馳せる恋はあらゆる不安をぼやけさせていく力がある。中島は大橋彰が抱く深い何か(言葉では上手く言えない)に心を惹かれていた。
「大橋君て新人戦で優勝したんだよね?すごいことだよそれって」
「うーんどうだろ。県大会とかはもっとレベル上だろうし。俺なんてまだまだだよ。ところで中島さんは何部なの?」
中島は笑顔を浮かべたままちょっと寂しそうな顔をする。よくラケットを教室のロッカーに置いてあるんだけどな。それに名前は呼び捨てでもいいのに…。
「えーとね、私はテニス部だよ。もう顧問の先生がすごく厳しくて大変なの。だから朝練もすごく早いの。陸上部も早いんだね、よく大橋君と会うよね」
「うん…陸上部の朝練はそんなに厳しくないけどね…朝練、頑張ってね」
彰は会話を打ち切るように中島に軽く会釈をしてからすたすたと歩いていく。
そんな彰の後ろ姿を中島は残念そうに口をすぼめながら見送った。
まあなんていうか、大橋君が陽気に話しかけてくることなど有り得ないことか。それが彼の魅力でもあるのだ。
また明日この時間にここで待ち伏せをしよう。
ここから学校まで一緒に行くことがまずは目標ね。
と中島は深呼吸をしながら思った。それからくるっと反転して朝日を浴びた。
「お、大橋じゃん。今日も早いんだな」
奈緒子の背中を追いかけて学校の南門が見えるところまで来た場所で、今度は男子に声をかけられた。
近づいてきたのはB組の男子生徒で、以前に壮太経由でこの生徒と知り合っていた。
確か野球部員だ。
名前はたぶん…藤原のはず。
「おはよう。そっちも朝早いんだな。確か…野球部…だよね?」
「ああ」
忘れたのかよ?と、藤原はちょっと嫌な顔をしたが、気を取り成すように手を挙げてから
「やべ、ちょっと遅刻だ」
藤原は走って離れていった。
彰は物憂いな表情で藤原を見送った。
最近は自分が作り上げた沈黙の壁が徐々に取り払われていくのがわかる。
気付いたことがある。
人はもっと他人を知りたがり、他人に自分をもっと知ってもらいたいのだと。
そう思ったときに自分に目を向けると、果たして自分は他人に何を求めているのだろう。と考えてしまう。
自分をさらけ出すことも相手を知ることも正直苦手だ。
だが此処の所それを直したいと思うようになっている。
きっかけはそれを空手の指導員である渡辺に相談したことだった。
「試合で勝ちたいなら相手を見抜け」
渡辺は近付いて右拳を彰の顎にコンコンと当てた。顔は笑っている。
「お前は相手をまったく見ていない。自分のなかだけで戦っている。もっと想像しろ。何を見られているか、何が見えているか。二つの心を探るんだ。それは案外楽しいことでもあるんだぞ。何事も苦手だからって避けるのは簡単だが、強くはならんからな」
「はい……」
彰はいま自分が着る内向の鎧の感触を確かめることができる。
先ほど話しかけてきた中島や藤原に対しても、後になってからもっと上手く会話をしたかったなといろいろと後悔するようになった。
きっと。
彰は南門のすぐ手前にある奈緒子の背中を見つめた。
杉田奈緒子の存在によって少しでも自分を高めたいと思う。
空手も。他も。
渡辺に叱られた数学と英語もまだ手探りの状態だが真剣に勉強を始めた。
奈緒子の後ろ姿。
いつか一緒に肩を並べて歩くときが来るのだろうか。
奈緒ちゃんをもっと知りたい…。
彰は奈緒子の背中を見ながらいろんな思いを張り巡らせていた。
そんなときにすべての始まりを告げる事件が起きる。
「ん?」
彰は前方でなにか異変が起きたことを察知した。
奈緒子の後ろに忍び寄るように近付いた男子生徒がいきなり奈緒子の頭を叩くのが見えたのだ。
長く綺麗な黒髪が理不尽なままに乱れた。
「ちっ!やりやがった!」
彰は表情を変えて走り出していた。
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二年生の宮崎と山下という二人の男は南門の手前で奈緒子を囲むように前後に壁を作っていた。
奈緒子の足は無理矢理に止まらされる。
「杉田!」
後ろにいる山下という男のほうが奈緒子をからかうようにせせら笑いながらまた頭を叩いた。
「きゃっ…」
奈緒子の頭を抱えながらあげた小さな悲鳴が前面にいるもう一人の男、宮崎の耳に届いた。
宮崎は眉間にしわを寄せている。
「なぁ山下。やべえって。佐野君は外では絶対にやるなって話しだぜ」
忘れたのか?と奈緒子の後ろにいる山下と目を合わせた。
「いいんだよ。だいたいさなんで外じゃだめなわけ?教室じゃあんなに男女皆でやってんだぜ。だけどなぁ宮崎。これは佐野君には絶対内緒な。ここで杉田をイジメてることは絶対に」
しーっだぞ。と山下はすぼめた口元に人差し指を立てた。
「おい!こら!逃げんな」
奈緒子が宮崎の隙間を抜けて逃げようとしたのだが咄嗟に山下に後ろ髪を掴まれた。
「お願い…やめて…山下君…」
山下は奈緒子に名前を呼ばれたことに対して憤りをあらわにした。
「おいこのアマが!」
後ろから奈緒子の髪を思い切り引っ張りあげる。
「不幸女のくそったれが。俺の名前を気安く呼ぶな。汚い穢れが移るだろうが。おい奈緒子。お前さ、外じゃやられないって思ってただろうが今日は残念だったな」
男は喚くようにいうと髪を離してからすぐに頭を平手で叩いた。そのパチンという音は周りにいた生徒数人の視線を向けさせた。
奈緒子の前にいた宮崎がおどおどと口を開く。
「山下…やっぱやばいって。続きは教室にしようぜ。な?これはまじで佐野君に見られたら…」
山下は怖じけづく宮崎を見てにたりと笑う。
「おい奈緒子。お前さ、何度も言ってるけど、もし学校休みだしたら家まで絶対に行くからな。お前の大事なパパのリンチ決まりだから。嘘じゃないよ。俺達がやるかやらないかの判断はお前にもつくだろ?俺達から逃げれると思うなよ。ああ、それよりさ、その可愛いおっぱいを後で揉ませてくれないかな。トイレとかで楽しもうぜ。あ、そうだ、いっそ全部やらせてくんない?。俺、まだ経験ないんだよねぇ。だからゴムっていうの?ああいうのとか無いけど頼むよ奈緒子。そうしたらお前へのイジメを佐野君に頼んで半減させてやるからさ。な、頼むって」
「山下。やばいって」
「うるせえよ。どうせこいつは直に佐野君に犯されるんだ。なら先にやったっていいだろ?こんないい女は一発やってから死んでもらわないとだな。キャハハ。あれ宮崎。やばいって妊娠とかってことか?それは大丈夫だって」
こいついずれ死ぬんじゃね?
山下はニタニタと笑いながら後ろから下半身を奈緒子の臀部にピッタリと付けながら耳元でつぶやいた。
「俺達からは逃げれないよ奈緒子。絶対にな」
山下が下半身を押し付けながら奈緒子の髪を撫でようとしたそのときに突然後ろから肩を叩かれた。
「ん?」
振り返った瞬間だった。
山下の顔面になにかとてつもない物が直撃した。誰かが振り回した棍棒が当たったような衝撃だった。
「グギャアアアッ」
皮膚を突き破るほどの痛みが山下の右頬を襲った。
左足で蹴り抜いた彰は無言のままに奈緒子の隣りに来た。そしてもう一人の男、宮崎に迫っていく。
「え…っ…あ…どう…して…」
泣き顔の奈緒子は彰を見て声を上擦らせていた。
彰の左上段蹴りをくらった山下は地面にはいつくばり藻掻いている。
彰は奈緒子の声に対して無言のまま宮崎の数十㎝手前で眼光するどく睨みつけた。
それはいままでに彰が見せたことのない目線だった。鬼のような視線だった。
「お…お前はなんだ!い…いち…一年だろ!俺になんか用かよ!」
宮崎が大声を出すが、彰は冷たい視線を向けたまま宮崎を見続ける。頬はぴくぴくとひきつっている。
「違うの…」
彰の目線に怖じけづく宮崎に奈緒子が頭を下げて謝りだした。
「あ、彰君…。い、いいから。これはね、ただふざけてただけだから…。ごめんなさい…み、宮崎君…ごめんなさい。違うの…違うから」
「うるせぇ!なんだよこいつはよ!よくも山下をやりやがったな!」
宮崎は、痛みに悶絶しそうな山下の声と一年生に睨まれて後退りする自分自身の恐れと怒り。それらすべてをぶつけるように奈緒子の身体を突き飛ばした。
「キャッ」
奈緒子が小さく悲鳴をあげたと同時に彰は大きな舌打ちをした。
そして身体を猛る獅子のごとくに躍動させた。
溜めのない動きだった。
鋭い突きが繰り出される。予備軌道を省略した獅子の鋭い牙が獲物に向かう。
「ぐぇぇぇぇっ」
強く握りしめた左拳は、宮崎の右脇腹を思い切りえぐり取るようにねじりこまれていた。
相手の悶絶するような声を聞いても彰の動きは止まらない。
投下爆弾を抱いた爆撃機のように次々と遂行に移る。それは対象物がずたずたに破壊されるまで。




