表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
初恋。  作者: 冬鳥
28/85

105号室の灯

月って満月の一日前か一日後がやけに綺麗なんだよな〜。今年は火星(乙女座付近)も土星(天秤座付近)も見えて賑やかな南天ですねo(^-^)o


「壮太はどう思う?ここのところ奈緒ちゃんが元気ないのは近く引っ越すからだと思うか?」


暴走族のけたたましいエンジン音がすぐ近の県道から聞こえてくる。

五台のバイクが蛇行しながら連なって走って行くのが鉄棒の奥から小さな齣として現れては消えていった。


彰は再び蝉の「ギギッ」と鳴く音が耳に届いてくるほどの静寂が訪れてから尋ねた。


「壮太はどう思うんだ?」


制止したままの四つのブランコの前の手摺りに並んで腰を掛ける大小の二つの背中は時を同じく微動して真向かいにあるマンションを見上げた。


そして二人の視点は一つの場所へと辿る。


402号室に灯る明かりはここから良く見えた。


視力が良い二人には黄色いカーテンの裾が小さく揺れているのも確認できた。


マンション付近には同じ背丈の建造物が無いので開けられた窓からは心地好い南風が入っていくのだろう。

そしてきっと奈緒子はその風を感じている。


奈緒ちゃんは夏の柔らかい微風を感じながら何をしているのだろう?


奈緒子の揺れる髪。揺れるスカート。彰の思考がそこまで辿り頬を赤く染め上げたときに、同じくマンションを見上げていた壮太の野太い声が返ってきた。


「どうだろうな…。なぁ彰。俺の思う意見を言っていいか?俺の予測に過ぎない意見だが」



「頼む。教えてくれ」



彰は両膝に両腕を乗せて前屈みになった。日々鍛え上げる背筋が背骨を中心に盛り上がていく。


「俺が思うに奈緒ちゃんの引っ越しは中学校卒業するまでは無いと踏んでいる。考えてみろよ、転校となると新天地でまた馴染むまでが大変だろ。それに奈緒ちゃんも友達と離れ離れになるのは嫌だと思うしな…。だからもし引っ越すなら同じ学区内だと予測する。このマンションから奈緒ちゃんは居なくなっちまうが学校では会えるってわけだ。おじさん…いや奈緒子の父さんは金儲けてそうだしなぁ。下手すりゃ一軒家とか買っちまいそうだよな」


「確かに。同じ学区か」


彰はうんうんと頷く。



「だが奈緒ちゃんが最近元気がないのも確かなことなんだよな…。引っ越すからって理由であそこまで…。いったい原因はなんだろうな…本人に聞いてみるか…」



二人はまた402号室の明かりを見つめた。

奈緒子が着る白いスカートのようにカーテンが優しく揺れている。まるで奈緒子がこちらに向けて手を振っているように微笑みが追尾する揺れかただった。


「他か…なにかあるのかな…おじさんと親子喧嘩しちゃったとか?」



「どうだろうな」


壮太が即答した言葉はどこか投げ遣りだった。



「何か他に心当たりあるのか?」



彰の返答を予測していたように壮太は口元を引き締める。



「彰…。俺さ、ずっと気になることがあるんだ」




「気になること?」



壮太は俯くと地面に靴を擦りつける。ザッザッと小石と砂が混ざり合った。

それを二度三度と繰り返す。


「なんだよ。言ってくれ。気になるじゃないか」



「ああ…。あのな彰。中学生になってから思うことがあるんだ。単刀直入に聞くが奈緒ちゃんが友達と一緒にいるとこ見たことあるか?」


彰のなかで時が一瞬だけ止まった。目の前ではカーテンだけが揺れている。黄色のカーテンだけが。




「え?なんだよそれ。そ、そりゃあるよ」



壮太は踏ん切りをつけたように顔を上げた。



「奈緒ちゃんが小学校のときとかじゃないからな。俺が言ってんのは奈緒ちゃんが中学校にあがってからだ。たまに登下校で見掛けるときあるよな?そんとき奈緒ちゃんいつも一人じゃないか?俺は奈緒ちゃんが友達と一緒にいるところ見たことないんだ。いつも一人で歩いてる。彰はどうだ?見たことあるか?それともこれは俺の気のせいなのか?」



「ちょ、ちょっと待ってくれ」



心なしか元気なく歩いていく奈緒子の背中が思い浮かぶ。

登下校に何度か目で追いかけた情景だ。


そのとき隣りには。

隣りには。



「そう言われると…いつも一人かもしれない。で、でも一人で帰る人はたくさんいるぞ。俺だって壮太と一緒じゃないときはいつも一人だ」



「お前はそれが様になるからいいんだよ。もしお前が仲間大勢と連れ立って馬鹿騒ぎでもしてたらお前じゃなくなる。偽りのお前だ。それに比べて奈緒ちゃんは友達ときゃっきゃ言いながら帰るタイプだ。勝手な決め付けかもしれないが俺は一人で伏し目がちに歩く奈緒ちゃんが偽りに見えちまう。彰もそう思わないか?奈緒ちゃんが小学生のときはよく見たろ。背の高い友達といつも一緒にいた」


早口で捲し立てる壮太の言葉には切実さも織り交ぜられていた。

彰はいままで見てきた奈緒子の隣りにいた何かしらを思い出す。

修学旅行のときはその背の高い人と一緒にこの公園の前に現れた。

その前には男子と楽しげに話す奈緒子を見て壮太と二人でヤキモチを妬いたこともあった。



「じゃ、じゃあ…奈緒ちゃんは友達ができなくて悩んでるってことか?」



「いや…出来なくて悩むとかじゃなくてもっと大きいことかもしれないな。夏休みが明けたら須田に聞いてみるか。同じ吹奏楽部だろ。奈緒ちゃんがどうなのか」



彰は話を聞きながら、壮太も自分と同じなんだなと思った。


学校で奈緒子を探す日々。

壮太も奈緒子のことで一喜一憂する一日を歩み続けている。

心を染め上げる甘酸っぱい感情。



ずっと抱き続ける初恋をこれからも二人は育んでいくのだろう。



壮太も同じなのだ。




@




奈緒子はカーテンの隙間から外を覗いた。月は南西の方角にあった。


妹の美椙も月見が好きだった。

奈緒子は昔よくこの場所で美椙と月を探していたのを思い出す。



「美椙…お姉ちゃんは弱いね」


奈緒子は月に問い掛けた。

「もう…嫌だよ…逃げ出したいよ…」



月は変わらず輝いている。美椙は変わらず心のなかにいる。



「もう…嫌…」



いま深い悲しみが奈緒子の目の前を覆っている。

いや、悲しみ以上の恐怖のベールが眼前にあるのか。


もう 逃げ出したい。何もかもから。


いつしか奈緒子はイジメに立ち向かうことを諦めていくように反抗を露わにしなくなった。

それによって加害者達はいたぶる度合いを一層に高めていった。


ただし奈緒子は完全に敗北を認めたわけではなかった。彼女は体調不良以外で学校を休むことはしなかったのだ。

奈緒子の心のなかにはまだ人としての排斥に抗う屹然さが宿っていた。


彼女が抱く小さな希望の光の一つは、いま見上げる月光の美しさが美椙と母親を回想させることだった。私を愛してくれた人がいた。

そしてもう一つは。


夏休みに入るとよりイジメは苛酷になった。

無数の無慈悲が奈緒子の全身を縛り上げた。


今日の昼過ぎ、部活動を終えて音楽室を出たときに同級生達に囲まれた。


他の生徒は目を反らすか呆れた視線を投げ掛けながら通り過ぎていく。


誰も救いの手を差し延べることはない。


「先生に泣きついたりでもしたら呆気なく殺すからね」


奈緒子に味方する者は記憶のなかにあるだけだった。


「奈緒子!それ貸しな!」



「やめてください…お願い…」



「触るな!汚らわしい!」



奈緒子は頬を真っ赤になるほどに張られて廊下に倒される。


「奈緒子。これ没収ぅ」


女達はにたにたと笑いながら奈緒子を見下ろしクラリネットが入るケースを掴み上げた。


その後、奈緒子は学校内を探しまわったがどこにも見つからず、何も対処できないまま家に帰ってきたときに電話機が鳴った。



「杉田〜。やっと帰宅なんだぁ。いったい何してたの?キャハハ。そうそう、あんたのクラリネット隠したからぁ。どこだろうねぇ。かわいそうだから教えてあげるね。あんたが暮らす腐りかけのマンションの隣りに公園あるよね?そこのどっか。キャハハ。さぁ探してらっしゃい。ああ、あとあんたんちの電話番号わかっちゃったからぁ。これからいたずら電話しちゃうからねぇ。毎日。死ねコールしちゃうかも。じゃあね。ばいばい。早く死んでね」



奈緒子は電話が切れてからもしばらく受話器を持ったまま放心した。ついにここまで来たのかと思った。ついにあの公園まで。ついにこの家まで。


奈緒子は巨大な悪寒に襲われはじめた。


夜九時から公園で探しはじめたがクラリネットは見つからず、彰と壮太が公園に入ってきたときには奈緒子は憔悴しきっていた。



南西に輝く月が奈緒子の横顔を仄かに照らす。


奈緒子は襲いかかる動悸を抱えながら窓を開けてベランダへと勢いよく踊り込んだ。

まるで発作が起きて解決策を求めるように手摺りに両手をついて身を乗り出す。


見える。


奈緒子の肺に大量の酸素が入り込む。



105の明かりが。



大橋彰の灯があそこにあるのだ。



奈緒子にとってそれは闇に閉ざされた大海原での一筋の光明のようなもの。



もう一つの希望を胸に抱く。

階下の明かりを両手に包み込む。落とさないように、そっと優しく。


奈緒子の表情が緩んでいきそして涙が溢れ出す。


いつか。

いつか私は彰君に。

告白をする。



「よし。行こう」


時計の針は0時近くを指している。


また早朝に探しに行こうかと思っていたが焦る気持ちが打ち勝っていた。


奈緒子にとって多少の危険性を考えてもすぐにでも探し当て手元に起きたい大切な代物なのだ。


奈緒子はリビングの椅子にかけてあった薄い上着を羽織り玄関の扉の鍵を開けた。


マンションの階段を下りていく音が静まり返る空間に響いていく。


奈緒子は一階まで下りると共同廊下に一歩足を踏み入れて105号室の標識をちらっと見た。そして小さく頷く。



いま私にできることは。


クラリネットを見つけて、少しでも彰君から離れずにいること。


イジメ。これは時が解決する。


奈緒子の心中にたえずあることだった。

中学を卒業するまではまだ途方もない時間があるのは確かだ。父親に頼めば引っ越すことはできるかもしれない。登校拒否する逃避も何度も考えた。だが奈緒子にはそれ以上に彰と離れることが辛いことなのだ。


登校拒否などでもしたら彰はきっと自分を嫌うはずだ。

彼には絶対にイジメられていることを知られたくない。


マンションを出た奈緒子は一層に深まった夜空の下に身体をさらけ出し、急ぎ足に公園へと向かいだしたときに道路脇に一台の車が停車していることに気付いた。


もしかして…


奈緒子は足を止めた。


その車はタクシーだった。

後部席から身を乗り出してきた背広姿の男は奈緒子を見て驚いた声をだした。


「奈緒子。こんな時間にどうしたんだ?」



「う…うん」



奈緒子の父、杉田薫(かおる)はタクシーの運転手に一言かけてからドアを閉めた。


走り出したタクシーのテールランプによって朱く染まる薫は訝しげな表情でゆっくりと奈緒子に近づいていく。


「奈緒子。こんな時間にどうしたんだ?」



「お帰りなさい…うん。ちょっと…」



「ちょっと?もう0時過ぎてるぞ」


薫が奈緒子の隣りまで来ると香水の匂いがした。甘く苦しくなるような香りだった。


「こんな時間までお仕事だったの?」


「ん?あ、いや。ちょっとな。さあとりあえず家に行こう。夏休みだからって夜更かしばかりじゃダメだぞ」


薫の乾いた笑い声がアルコールを含んだ息と一緒に届いた。


薫が手を差し延べる。

奈緒子は困った表情をしたが笑顔でこちらを見つめる薫に従った。


「こうして手を繋ぐのも久しぶりだな」


「う…うん」


奈緒子は父親の真実が掴めずにいた。薫の何もかもが軽薄で虚偽に見えてしまうのだ。それは母親と美椙を失った事故からたった数ヶ月後には女の気配を漂わせたからなのか。それとも奈緒子の心中を無視するように女を家に連れてくることか。そして娘の奈緒子を紹介してから二つの位牌の前で声を震わせながら事故の詳細を話す父親と、同情からか同じように泣き出す女を何度か見てきたからか。

いままでに薫が連れてきた女は五人だ。そして今日も父親は香水の甘い匂いを部屋中に吐き出しながら位牌に手を合わせるのか。奈緒子は父親を見ると無性に寂しくなる。母親と美椙の生きた価値と存在が掻き消されていくように感じるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ