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初恋。  作者: 冬鳥
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ライトの温もり


「しかし…ばれてたな」


窓から見える夏の風景はただただ眩しく感じた。

広がる田園では稲穂が背丈比べをするように競いあっている。


いま二つの人間の輪郭が陽炎のなかに消えていこうとしていた。


それを見ながら森は苦笑いをするしかなかった。


必死に演じた嘘は少年のほうにいとも簡単に見抜かれてしまった。


「だがそれは仕方ないことだ」



森は窓から目を離して先程まで学生服を着た男女が座っていた椅子を見やった。


森は自分に言い聞かせる。自分はそもそも嘘が嫌いであるし話し下手なのだ。それにどう足掻こうとあの猫の運命は変えられなかった。




森はもう一度窓の向こうに顔を戻す。



「しかし。やられたよ」



森はいま獣医師である自分と向かい合うことができた気がするのだ。


中学生の子供が轢かれた猫を連れてきた。

服を血で汚してまでも。


それはいままでに森が経験したことのない事柄だった。



残念なことに結果には奇跡が伴わなかったが、彼らのその優しさは森の心を強く高鳴らせたのだ。


轢かれた見ず知らずの猫を病院に連れて来る。


しかも中学生が。だ。



森は最近の子供は大が付くほどに嫌いだった。


中学生となるとまったく可愛いげがない。


登下校中に平気で病院の前にゴミを落としていく。目撃したときに怒鳴りつけてやったら謝るどころかキッと睨んできやがる。


あいつらには大人を敬う気持ちなどさらさらないのだ。


憂える将来のこの国。


誰がこの国をだめにした!

俺達団塊の世代か!

浮世絵のごとくのバブル経済か!


最近の新聞を賑わせる未成年者による事件はあまりに惨たらしい。


リンチ殺人やアベック殺人など、集団で手当たり次第に人をいたぶり殺す。


そんなのは動物以下な行為だ。


犬は畜生、ガキも畜生。


だ。



だが。森はあの二人の顔を思い浮かべてまだまだ捨てたもんじゃないと思った。

この国もまだまだやるんじゃないのか?と。


物事を壮大に考えると楽しくなるもんだ。



そして獣医としての自分。


動物の命を少しでも延命させ痛みを和らげることが目的であるこの仕事の傍らで、平気で動物を殺す飼い主達もいるのだ。

殺処分される動物はいったい何が悪いというのか?

骨も内臓も皮膚も目も。なんら病に侵されていない健全なる命達なのだ。それが無残に裏切られ捨てられ殺されるのだ。


先週仕事で行った保健所(ガス室に送るまえに諸事情によって薬で安楽死させる犬猫は多数いる。もちろん経費削減も兼ねる)で見かけたのは、いま流行りだとかいうシベリアンハスキーの山だった。


数匹のハスキーが俺を見つけると、でかい身体を擦り寄せながらクンクンと鼻を鳴らした。


その前の流行りはコリー犬だったか。

実に大量に呆気なく殺されていった。


森は思う。

こいつらが抱く愛はいったいどこに行くというんだ。


こいつらは物じゃないのだ。



針を入れたときにこちらを見つめる瞳は実に悲しげだ。

(いつも思う。針を入れることは飼い主がやれ!ガス室の二酸化炭素が噴き出すスイッチもだ!)


俺はすでに何かが瓦解していた。無数の命を奪っていくなかで(みなが愛をまだ信じ待ち続けているなかで奪う命だ)

実にまっとうな空虚に覆われていった。病院でもたかが足の骨折で安楽死を求める飼い主がいる。


俺は、動物と人間の関係に辟易していた。

この仕事の真意を見失いかけ嫌気がさしていた。そしていつしか金儲けだけを考えるようになっていた。


今日の出来事は森自身が救われたのだ。 彼らの目、そして死んでいった猫の目は純粋に輝いていた。


人間と動物が友人になる。

素晴らしいじゃないか。




「ありがとな」


森は見えなくなった背中にもう一度感謝の言葉を述べた。





彰と樹里は中学校に向けて歩いていく。



「あ、そうだ。ちょっと待って。私の家すぐそこなの。お兄さんのシャツがあるから持ってくる!」


「いいよ。俺、体操服あるから」



「いいから。ちょっと待ってて。すぐそこだから」


樹里は回れ右をして走りだそうとした。



「やめてくれ…もういいんだ…」



「大橋君…」



横に並んだ二人はしばらく立ち止まっていたがやがてゆっくりと歩きだした。



「ありがとな…」


「え?」


「付き合ってくれてありがとな」



「うん…」


彰は意気消沈したように俯きながら歩いている。

樹里は首を傾げる。


「はぁ。今日はいっぱい走ったな。私にしてみればたぶん一週間分は走ったよ。でも。ほんとよかった…ライトが助かって。また明日ライトの容態を見がてら先生にお願いしてみるね。ライトがうちに来たら…」



遊びに来てよね。


樹里はそう言おうとして彰を見た。


「大橋君…どうして?」



彼は泣いていた。


肩を震わせながら涙が頬を伝っていた。

静かに泣いていた。



「大橋…君…え?どうして…。だってライトは…」




彰は歩くのを止めた。



「あのとき…田中を止めておけばよかったんだ…。もっと早く。もっと強く。俺…は…それができたのに…助けられたのに」



「え…だってさっき先生はライトは助かったって。大丈夫だって言ったよ!」



脇に広がる水田の稲穂から湿気が運ばれてくる。

バッタが勢いよく飛んでいく。

流れる用水路の音が混乱する樹里に拍車をかける。


そして涙が出る。



「嘘…だって…やだ…だってさっき先生は…そうか…。だから私が飼うっていったら先生は…あんなに怒ったんだ…」



樹里は座り込んで泣いた。

猫の、ライトの鳴き声がまだ克明に思い出せた。


やがて彰が手を差し延べる。


「帰ろう」


樹里は彰の手に身を委ねた。




東門と体育館が間近に迫ってくると樹里は半歩だけ彰に近付いた。肩が触れ合うほどの距離になる。


空に広がるのは純白な入道雲。

夕立を引き起こしそうな灰色の雲が西の空に見える。青空に二つの雲がにらめっこしてるように見えた。


東門を抜けた彰と樹里は心中同じように体育館へと足を向けた。


「だめだったな」


彰の顔からは悲しみは消え失せていた。 少しはにかむようにして隣りを歩く樹里に言った。


「うん…」



それからまた無言で二人は歩いていく。

授業が始まっているのだろう、体育館を取り巻く敷地に人気は感じられなかった。体育館のなかからは激しい物音や歓声が聞こえてくる。

彰と樹里は体育館裏を目指して歩いていく。


きっと二人は似た者同士なのだろう。


自分の失敗を再認識するためにあの場所に戻るのだ。

「大橋君。教室に帰ったらすぐに着替えるんだよ」


「わかってる。いまの授業が終わったら教室に帰ろう。そうだ。須田が体操服持ってきてくれないか?机の横に置いてあるはずだから。俺、下駄箱のとこで待ってるからさ。頼むよ。これじゃちょっと入りにくいからさ」




樹里は顔を赤らめる


「だからさっきお兄ちゃんのカッターシャツ持ってくるっていったのに。まったく。大橋は相変わらず馬鹿ね。少しは先のこと考えてよね。はいはい。わかりました。わたくしめが持ってきますから貴公は下駄箱でお待ちください」



「相変わらず厳しいな」



彰が笑うと樹里もまた笑う。


二人は寄り添うように座ってフェンスの穴とその向こう側を見続けた。樹里が少しずつ彰の肩に顔を寄せていく。



チャイムが鳴るまで。



このままでいさせて。





樹里は獣医師を目指すことになる。

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