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初恋。  作者: 冬鳥
18/85

夏の体育館裏

「もう…。大橋君からはまったくやる気が感じられない」


先頭をいく樹里は最後尾に離れたまま歩いている彰を見て不平を漏らした。


彰はいかにも眠たげな欠伸を繰り返している。

踵が踏まれた靴はただ底を減らすようにざっざっと地面を擦り、ズボンのポケットに突っ込まれた両手は方向を見失った方位磁石のようにだらし無い。

彼の全身からはとにかくしまりなさが強調されていた。


「もう…」



樹里は口を尖らせた。


たとえこの真夏にしかも野外の掃除だとしても学校のカリキュラムのなかにしっかりと組み込まれたプログラムなのだ。


そのあからさまなやる気のなさは周りに伝播していく。大橋はそれがわからない。

きっとすぐに大橋以外の二人の男子も掃除道具を投げ捨て遊びだすのが予想される。


集団生活を主とする生徒としてあまりにも意識が薄い。

樹里は大橋彰の態度や言動によって何回溜息をついたのだろう。

そして何故いつもあんなに眠たげなのだろう。


樹里は、彰の血液型はO型なのだろうか?と入り込んてきた邪念をすぐに振り払った。




「ほんと迷惑」



先生は必ず掃除箇所の見回りに来るはずだ。きちんと清掃されているかチェックが入る。それは授業態度として採点される。


よりによって何故大橋君と一緒なんだ。


樹里は頭痛に苛むように額を抑えた。



掃除箇所の位置的にいけば先生の見回りは自転車置場のが先になると予測される。それから中庭、武道場脇、プール横と続くだろう。

離れた体育館は後ろのほうになるはずだ。


樹里は少しだけ安堵した。

自転車置場を受け持つ中央後衛の席の六人には遠藤君と沢村君コンビがいる。きっと先生を立ち止まらせる何かを作りあげるはずだ。


沢村君が真面目に掃除をするとはまず考えられない。

こんなときこそあの不良が役に立つはずだ。(日頃苦労させられてるんだから今くらい役に立て)



樹里は足幅を開いた。スカート裾が僅かばかり持ち上がった。


ある程度の成果を得るまでの時間的余裕はあるわけだ。


大橋君をやる気にさせて六人が一丸となり体育館裏を綺麗にする。


いまこれが私の精一杯にできることなのだ。



樹里は希望の眼差しで彰を見てみた。



彰は顎が外れそうな大欠伸をしていた。



「はぁ…ほんと嫌い」



一筋縄では行かない男子よね。わかってる。



学級委員長という肩書も日々樹里を焦らせる。



「大橋君!遅れてるよ!」



樹里は我慢が限界まで来たように声を張り詰めていた。


「はいはい」


彰は樹里の光らせる眼鏡の奥にある瞳を見ながら笑った。欠伸によって潤う瞳を見せつけながら。


「もう…」


それでも足をまったく早めようとしない彰のポケットに突っ込まれた両手を見て樹里はもう一度大声を出していた。




「大橋君!箒はどうしたの?」




「あれ?忘れた」


ポケットから指が長い白い手を出してひらひらとさせた。


「もう!馬鹿!ほんと馬鹿」


他の生徒は苦笑いをする。

また樹里のあれが始まったなと言わんばかりの表情だった。



樹里は地団駄を踏むようにして彰を睨みつけた。


「もう!あんな奴ほっといて行こ!」



どこ吹く風の彰から目を逸らす。


来週には必ず席替えよ!


絶対にする!



六人は体育館裏まで来るとそれぞれに掃除を始めていった。(彰は足先で枯れ葉をそれなりに集めようとする。もちろんポケットに手を入れたまま)


「これ使って!」



見兼ねた樹里は持参した竹箒を彰に押し付けるように渡した。


「これ俺が使うのか?」





「何言ってるのよ。使ってよ、足でこちょこちょやってても綺麗になるわけないじゃない。私はごみ袋で回収してくから。早く!」




「はいはい」




返事は一回だ!この馬鹿!

打ち捨てられた野良犬みたいな顔だね!


欠伸で顎外れちゃえば?


樹里はいつものように心で彰を罵った。



この場所は背の高い体育館によって南側は完全に遮られており、北側に目を移せば給食センターの二階建ての建物が迫ってきていた。いま夏の強い陽射しに照り付けられる時間であってもここは日陰に覆われて風が気持ちよく感じるほどだった。


両面を建物に遮られ向かいの県道との境には高さ1・5Mほどのフェンスが張り巡らされている。ここは学校の敷地内で死角となる場所といえた。

樹里は広げるごみ袋を片手に空を見上げた。


照明らしき物も少ない。

夜になると暗闇が支配する場所になるのだろう。


樹里はなにかこの場所に薄気味悪さなるものを感じていた。


ここは学校に見捨てられたような場所だった。


誰かが植木の物陰で立ち小便でもしているのかアンモニア臭らしき悪臭も微かにする。


嫌な場所…。



悪寒が走る。




樹里は変な想像を働かせるのをやめて手を動かしはじめた。あまり手入れをされていない小さな花壇に敷き詰められた枯れ葉を集めだす。

そこで何かを発見した。



「キャッ!」


突然の樹里の小さな悲鳴に皆が注目する。



「どうした?虫に刺されたのか?」



樹里を好む男子生徒が駆け込んでくる。


「違う…こ、これ見て。これって…」



「え?なになに?」



彰を除く他のクラスメイトも駆け寄ってくる。




「うわ!」



誰かが突如飛びのいた。


枯れ葉の下から出てきたのは大量の煙草の吸い殻だった。



「なにこれ…すごい量…」

よく見ると虫の死骸のように花壇のあちこちに吸い殻が混ざりあっていた。



「たぶん、ここは不良上級生のたまり場なんだよ。一応、先生に言っておこうぜ。あ、この空き缶て…」


ビニール袋や空き缶が吸い殻に混じって花壇の土から頭を出していたり生える木の枝に作為的に引っ掛けられている。


「もしかしてシンナーとか?」



男子生徒がしゃがみ込み匂いを嗅いで「当たりだ。シンナーだな」


と言った。



「え…やだ…」



樹里の声は震えていた。


学校の敷地内で煙草を吸いシンナーを吸う人がいるというのか。しかもそれらは大人達への挑戦状のように隠されることなく有りのままにさらけ出されていた。


これがいったい何を意味するのか。


ここにいる生徒達は薄々とそれなりに理解をした。


一人一人がそれぞれに膨らんだり萎んだりするなか得る認識だった。



とにかく言えることは。



ここには近付くな!



ここはあらゆる暴力的な感情が浮遊している。


この場所は学園生活から密閉されるべき場所なのだ。


「先生来たら言っておこうぜ」



樹里の隣りにいる男子生徒は強がるように吸い殻を靴底と箒で弄びだした。



給食センターの細長い建物の窓は締め切られている。部活動を終えた体育館の扉が締められればここは完全なる遮断だ。

唯一県道からフェンス越しに見ることができるが、わざわざ視線を送る場所ではない。


錆び付いた大人の背丈ほどの柵が仕切るのは、大人と子供の狭間の最北端だった。


五人の生徒は荒涼とした威圧感を察知したかのようにきょろきょろと何度も周りを見回した。


花壇近くにおいては風があまり通らないのだろう、かび臭い湿気も伴っていた。

恐怖からなのか、樹里はやけに喉が渇いていた。


「怖い…ここは不良グループのたまり場なのね。こんな場所は近づかないほうがいい。なんか最悪な掃除ね」


他の生徒達も樹里と声を揃えて不満を言い出して小さく笑いあった。



「まあここはちょっとこえー場所ってことで。女子はとくに近付くなよ。とくに日が暮れてからはな」



きっとここは日によっては不良達の巣窟になるのだろう。



「とりあえず、早く掃除して先生に見てもらってこんなところさっさと出ようよ」



樹里はそう言って再びごみ袋を広げはじめた。


周りの生徒も花壇から離れて適当に箒を動かしていく。


樹里はふと彰が見当たらないと思った。


「あれ…」


周りを見渡す。



大橋彰は、一段高いところにある体育館の壁にもたれ掛かっていた。

足を交差させて腕を組んで何かを思案しているように見えた。


竹箒は忠実なペットのように足元で寝そべっていた。



「ちょ、ちょっと!大橋君!掃除は?」



樹里の大声に彰は無視を決め込むように左右を見渡している。


「ちょっと」


樹里は足早に近付いて行き階段を一段上がって彰の目前で腰に手を当てた。


「大橋君。竹箒はペットじゃないのよ。足元で寝そべってるじゃない」



彰は突然顔を動かして樹里を見つめた。

軽いジョーダンに彰が笑ってくれるかと思った。



「なぁ須田。ここは確かに不良達のたまり場にはもってこいだよな」


彰はそう言うと思い出したかのようにクスッと笑った。


「え…なによそれ」


樹里は彰の見せた笑顔に対して何か脳天に響く衝動を感じた。


「さっきの笑えたよ。たしかに竹箒はペットじゃない」



「それはもういいの。それより大橋君聞いてたの?さっき私達が話してたこと」



「いや、聞こえてきたから。結構みんな大きな声だったし。そこの花壇に吸い殻があったんだろ?不良達がここでたむろをしている。そんな場所だと予測した。だろ?」


彰は人差し指を地面に向けながらまたにっこりと笑った。


「何言ってるの。きっと夜は不良達がたくさんいるんだよ。学校の敷地内で煙草とか吸うなんて信じられない。怖いよすごく。でも大橋君。まずは掃除をして」



「この場所に入るのはこことあそこしかない」


彰が表情をきりっと変えて指をさしたのは西側と東側にあるこのスペースに通じる狭い通路だった。


「もしあそこと、そしてあそこに見張りがいたらこのスペースのなかではなんでもやれるだろうな」



「え…」




「ここは夜はかなり暗闇が勝つ場所だ。ほら、街灯が一つしかないよね。顔が判別できるような明るさすらおそらく無いだろうね。秋口からは日が沈むのも早くなるだろうし。だからこれからは部活が終わった時間には夜が訪れている。それにそこの道路は交通量もあるだろうけど歩行者はあまりいない。ここはまったくの死角になる。車の騒音である程度の音も消されてしまうだろう。体育館は扉が閉められ給食センターの裏窓が開かれる気配も感じられない」



「え…じゃあここに無理矢理連れてこられたら…終わりってこと?やだ…」



彰の顔は引き締まったままだった。


「もしだよ、もしここに連れてこられたとしたら。ほら、あそこ。わかる?見えるかな。あそこまで全力で行くんだ。必ず逃げられる。外に出られる。境界線はあそこだ」


彰が指をさしたのは、樹木の後ろにあるフェンスが破けている部分だった。よく見ると人間が十分に抜け出せる穴があった。出た先は車が走る道路だ。


「あそこからね…」


樹里は大きく頷いていた。

「やばいと思ったらとにかく逃げることが大切だよ。勇気を振り絞ってなにをするかといえば隙を狙って逃げることをたえず念頭に考える。まあそもそも危険を避けるってのが一番大切だけどね。この世界は確率の世界だから」



「へぇ。そっか」


樹里は妙に納得してしまった。



「いまのは僕の尊敬する人の受け売りだけどね。まあ逃げるならあそこからってことで」


穴は開いている。


希望の先へと。



樹里は眼鏡に触れながらその穴を感慨深げに見ていたが


「わ、私がここで不良達に絡まられるわけないよ。それより大橋君、掃除して」


彰があそこまで滔々と弁ずる姿をいままた思い出しそして気圧されるように樹里は駆け出していた。



いつも見せる眠たげな表情に窓際から校庭を見下ろす風に吹かれる柔らかい表情。

いま彰が見せたのは自信にみなぎる精悍さだった。


距離を取ってから振り返ると、彰は竹箒を片手にこちらに向かってくる。


「よかった…」


樹里が胸を撫で下ろしたときに男子が突然、あ!と言った。


「おい!見ろよ。あそこに猫がいる!ほらあそこ野良だ」


フェンス手前の低木の陰で身を隠すように伏せている猫が皆の目にも見えた。



「かわいいね」


女子が言った。

猫の毛色は茶虎で身体は細く痩せている。

人慣れをしているわけがなく、こちらをきつい視線で見続けている。明らかに警戒しているようだった。

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