表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
初恋。  作者: 冬鳥
16/85

思惑

@


彰と壮太は時を同じくして一人の女性を頭のなかいっぱいに浮かべた。


杉田奈緒子。


彼女を思い浮かべると二人は必然的に童心へと返っていく。

それは空手で培った不動なる自信という名の羽衣を脱ぎ捨て無垢だったあのころへと戻っていくということだった。

そこに彼女がいるからこそ二人は自分自身を見極めるためのアクションを続ける。

空手との出会いにより、揺るぎない自己を身に纏う戦いができる。だが彼女が中心にいる世界へと飛んでいくとき、その全てはリセットされる。


彼女のために自分は戦い続ける。

強さを求める。

そして彼女の前では忘却の彼方に置き忘れる。



マンション入口脇にある自転車置場の前に彼女は佇んでいた。

彼女の肩越しにはいつもの公園の断面が寄り添うように静寂を与えていた。


それは彰と壮太が描く彼女とのいつもの風景だった。

回想のワンシーンであっても偽りのない純朴さが当たり一面には広がっている。


二人が見る視点は一点に絞られる。黒いケースを持った杉田奈緒子が正面にいた。


「奈緒ちゃんが持ってるそれはなに?」


彰が指差したのは奈緒子が大事そうに抱える黒く長細いケースだった。


「これ?これはねクラリネット」



「クラリネット?」


壮太が聞き返した。


「えーと、まあ大きな縦笛かな」


仄かに笑う奈緒子の顔はいつも寂しげで優しげだった。



クラリネット。


彰と壮太は樹里に視線を向けたまま次の言葉を待った。



「二年生のクラリネット演奏者で親しい人?」



樹里は頭のなかで吹奏楽部のいつも顔を突き合わす先輩らを思い出していった。唇に人差し指を当てながらしばらく右斜め上を見る。


「えと、遠藤熊…。じゃない。しまった。違った」


「え?熊?」


樹里の思いがけない応えに壮太は驚いた表情をする。



「ち、違うの…ごめんなさい。私何言ってるんだろ。はぁ…。あ、そうだ。遠藤君は吹奏楽部の二年生に知り合いの人でもいるの?」


壮太はちらっと彰を見た。


「いや。知り合いとかじゃなくてさ。まああれだ、吹奏楽はみんな仲良くやってんのかなぁって思ってさ」


樹里の動きが止まった。


「え…それって…どういうこと…?」



「いやいや深い意味はないぞ。ただ先輩後輩の関係での問題点ってもんはどこの部でもあるもんだからな。剣道部にもそれなりに目障りな先輩はいる。まあちょっと聞いてみたかっただけだ。文化系はどうなのかなってな」



「吹奏楽の…先輩はみんないい人だよ…」


壮太の質問に樹里は明らかに動揺を示した。

一瞬言葉を失ったかのように間を作ったのは彼女には珍しいことだった。


彰は再びペンを止めて、顔を上げ樹里の真意を探ろうとした。



「須田。お前うざったい話しかたすんな。なんかあるのかよ。もしお前が吹奏楽の先輩にイジメられてるなら俺に言え」




人差し指を立て言い放つ俊介の言葉に樹里は何度も首を横に振った。




「違うの違う。そんなのないよ。ごめんなさい」





「謝るな」





また俊介にきつく言われる。

樹里は額を濡らす汗を拭った。


「なにもないわ…ただ、うーん。先輩方はそれなり厳しいかな…頭悪いくせにちょっと一年二年早く生まれたからってふざけんじゃないわよって話しよね。それはどこの部でも同じだよね。遠藤君の剣道も大橋君の陸上も沢村君の…」


「俺は帰宅部だ。それにお前はやはり一言多い。先輩らが聞いたら血相を変える」


珍しく俊介が笑い出した。笑うと八重歯が覗く。



樹里は同じクラリネットを演奏する二年生のなかでも取り分け上手く演奏をするある人を思い浮かべていた。ただ、その人はイジメにあっている。いや、イジメというレベルをとうに超えている代物だった。 毎日行われる行為はあまりに酷く目も当てられない有様。しかも日に日に残虐さはエスカレートしていく。


以前に吹奏楽部の一年生全員が集まり話しあったことがある。


たとえ上級生同士であるとしてもあまりにひどいイジメを見て見ぬふりをしていていいのだろうか。

これは先生に言うべきではないのか。

大人の先生なら対処できるのではないのだろうか。


誰かが言う。


もしちくったのがばれたらイジメの矛先が私達に変わるかも。と



誰かがまた言った。


あれはイジメではない。と。あれは先輩達が杉田先輩を殺そうとしているのだと。早く言わないと最悪な事態になるかもしれない。


全員からため息が漏れる。

結局答えはだせなかった。

一年生は杉田奈緒子へのイジメにただただ目を背けるだけだった。




いま樹里にとってノートを大橋に見せる屈辱などもうどうでもよくなっていた。


そんな思いにさせた遠藤の発言にも腹立だしく思い、何もできない自分にも腹が立つ。

そして悲しくなる。


樹里はいま話す三人の男子に聞きたかった。


ねぇ。君たちならどうする?私はどうすればいい?

これを無視してていい?

戦うならどう戦えばいい?杉田先輩を救いたい。



心にあるたくさんのシグナルが噛み合う言葉をいま、このタイミングで言ったら三人は私にどんな答えをくれるのだろう。



おそらく

遠藤君はこう言う。


「須田。見て見ぬふりは駄目だ」


沢村君はこうだ。


「おい学級委員長。戦争しろ」


最後に大橋君は…


あれ…大橋君はなんて言うんだろう



「おい須田。どうした?」


壮太の声によって現実に戻る。


樹里は彰の机を軽くノックするように叩いた。


「大橋君。部活に行くからノート返してください!」


「あ、まだちょっと…それに」



「もう時間ですタイムオーバー」


樹里は黒板の上に掲げられた時計を見て首を傾げた。予想された針の位置が1時間違った。



「学級委員長。次は国語だ部活はそのあとだ」


俊介が睨みつけながらいう。


壮太は苦笑いをしながら席を離れていった。


樹里は顔を真っ赤にしながら鞄に入れた教科書を机の上に再び出し始めた。

それを見ていた俊介がクックと笑うと、


「大橋君お願いもう返して」


懇願するように言ってからノートを引っ手繰るように取り上げると楽器が入る黒いケースの上に置いた。



「シュン。ノート見せて」

彰が俊介に向かって手をあわせる。



「なんら見せてもいいが、俺のにはなんにも書かれてない」



「だよね」



俊介が笑うと彰も笑った。


国語の授業が終わると樹里は滲み出る不機嫌さを身体全体で発散するように友達の席へと大股で向かっていく。



「ねぇ、ちょっと聞いてよ」


樹里が後ろから友達の背中に抱き着いて泣く真似をしてみせた。


「お?樹里ちゃんどうした?よしよし。なんだなんだ、また大橋君となんかあったのかい?」


樹里は友達に優しく髪を撫でられたまま、さきほどの出来事を話す。


「聞いて。もうあの人は最悪よ。授業中に居眠りばっかりなの。私ね来週にでも絶対席替えしてもらおうと思う。先生に直談判してみる。お馬鹿さんの隣りだと成績落ちますってね。それを先生は責任持てますかって言う」


「あらあら」


友達は笑って肩を竦めた。


学級委員長としての須田樹里の発言力はそれなりにあるのかもしれない。来週は席替えかなとも考えてみる。

友達は思う。


須田樹里の父親は開業医で、樹里の兄は有名な神童だったらしい。きっと樹里は、人は見下すために存在するのだと両親から教え込まれてきたのだろう。


樹里の友達は、樹里が大橋君を馬鹿扱いするのは失礼だと思った。


だけど樹里の性格の根の部分はとても優しく正義感溢れる人だというのを知っている。


ただちょっと一言多いだけなのだ。


この統率のとれた一年A組に樹里は似合うと思う。


遠藤君のリーダーシップ力は凄まじいものがある。と。


友達はこのクラスの一員でよかったと心底思う。それは私も樹里もだ。とくに樹里がイジメられずに済んでいるのはこのクラスの一員だからだろう。



友達はやれやれとした表情で後ろを振り返って大橋彰を見た。


彰の隣りには壮太がいた。二人は校庭を見下ろしながらなにか話しをしていた。陽に照らされる二人の横顔がここからは柔らかく見えた。


「ねぇ樹里。席替えで大橋君と離れちゃったら案外寂しくなっちゃうかもよ」


そう言われると、樹里は髪に触れたままでいた友達の手を優しく掴んだ。


「大橋君て私の一番嫌いなタイプなの。だから大丈夫絶対に大丈夫。来週席替えしてもらう」


最後に樹里は顔をしかめて見せた。


周りでは生徒達がそれぞれに部活動に行く用意をしている。


「そっか樹里はタイプじゃないんだ。大橋君てすごくモテるらしいよ。走るのも早いし外見もいいし」


友達は明白なまでに会話を楽しんでいた。


樹里が毛嫌いする大橋彰の話しはいつも盛り上がる。


「足が早いだなんて当たり前よ。陸上部だもん。しかも小学生じゃないんだから足が早いからモテるってのは無理があるわ」



「噂だけど三年生と喧嘩して簡単に捩伏せちゃったて話しだよ。それによーく見てよあの外見は文句ないんじゃない?。樹里よく見たことある?。授業中の居眠りなんて帳消しになっちゃうんじゃない?」



「きゃー喧嘩だなんてすごく野蛮。ただ動物臭いだけってことよね。それに大橋君の外見?私はまったくだよ。だって目が大きくて髪が長くて、どこかにいる野生生物みたいだよ。あ…なんか…」


樹里は急に楽しそうになり口を手で押さえつけた。


「こらこら樹里。それ以上はもうダメ。そんな悪口みたいなことばっかり言ったら楽しくないよ」


友達に言われた樹里は「そ、そうねちょっと言い過ぎだよね」と、口元を抑えていた手を離して影を薄くさせた。


友達はそんな樹里の純粋と素直さが好きだった。



「自慢できる男子はこのクラスには多いと思うよ。まずはやっぱ遠藤君でしょ。それに沢村君は生粋の刃よね。毎日なにをしでかすのかワクワクしちゃうし先生達も完全にびびっちゃってるよね。そして…ごめんやっぱり大橋君かなぁ」



樹里は小声で反論する。



「私は沢村君が大人になったときのことを想像するとやばいと思う」



「誰がやばいって?」


その声に樹里はびっくりして思わず鞄を床に落とした。

俊介が樹里の後ろから話しかけてきたのである。


「な…なんでもない」



「ふん」


鼻で息をして立ち去ろうとした俊介だったがなにかを思い出しかのように口を開いた。


樹里には解っていた。俊介はこれから聞くことを私に聞きたくてここに来たんだと。


彼は小学生のときから洞察力が鋭い。



「ああそうだ。お前さっき言ってただろ?吹奏楽部のこと」


じわりと身体を寄せる。



「なんかあんのか?」



「え…?…なにもないです…」


樹里は自分の身体が震えているのがわかった。吹奏楽部の教室で行われている残虐な差別行為と、目の前にいる沢村俊介の鋭く心の全てを見抜くような瞳。その二つが重なり樹里を萎縮させるのだ。



「さっき壮太に聞かれたときにお前があんなに動揺を見せたのは珍しい」


じゃあな。と立ち去っていく俊介の背中。



「ねぇねぇ樹里。最近の沢村君てなんか変わったと思わない?。私、小学生のときよく髪を引っ張られたもん。あの人、泣いても絶対止めてくれなかった。なのにいまは…」



「そうかな。怖いよあの人」


樹里にとってはいろんな意味で俊介は怖い。



「最近はよく笑ったりもしてるよね。沢村君に笑顔だよ。小学生のときは有り得なかったな。ああやっぱり遠藤君がいるからかなぁ。沢村君の刃をぽきっと折っちゃった」



「遠藤君ファンなのね」



樹里は投げやりな言葉と共に彰と壮太のほうに視線を送っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ