君を守るということ 7
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湿度をふんだんに閉じ込めたままの廊下に姿を現した俊介は、突き当たりの階段を目指し蟻の行列のように歩いていく生徒たちを見つめていた。そのなかで突出する壮太の背丈と広い背中は隔てる幾つもの頭越しからも窺えた。
俊介はピンク色のスリッパを地面にこすりつけ乾いたキュッと音を鳴らす。
あいつが中心を作りあげる。
俊介は遠藤壮太の背中を見つめる。
あいつがいるだけで、成す蟻は人となるのだ。
たった二ヶ月…。
廊下の窓際から外を覗けば梅雨空が灰色の世界をもたげていた。
二ヶ月間のうちに遠藤壮太は一年A組の教室を斬新なままに染めさせた。生徒たちの表情は謳歌の境遇に染めあげられた。きっとそれは一層に濃厚になっていくのだろう。迷走と消失が行き交う暗雲たる13歳の心を急速に一つへとまとめあげ光へと導いていく力。
狭い教室の空気を分け合うようにひしめくA組45人が一様に壮太に抱く気持ちは絶対なる安心感。
まさしくカリスマ的。
俊介はその存在意義を否定するつもりなどさらさらない。
英雄が有する非合理で神秘的な資質を壮太は保有しているのだ。
それは遠目に見える背中だけでも感じる。
絶対的な存在。
統一されるA組のなかで俊介は唯一の危険分子といえる。
壮太の広い背中に食らい付いていく醜い獣だ。
生徒たちから見れば足掻き続ける寄生虫のようにも見えるだろう。
噛み付く理由?
きっとあってないようなものなのだ。
自分の体内で彷徨い続ける弱者が一匹狼になることへの恐怖による拒否反応を示すためなのか、粋がることを何よりの有効活動と見做し、詰まらない人生の暇つぶしをしているだけなのか。
きっとあってないようなもの。
虚勢を張り続ける惨めで虚しい野犬。
ただそれだけだ。
濡れた窓ガラスの向こうから聞こえる雨音は催眠術のように俊介の心を落ち着かせる。
雨は好きだ…。
俊介は小学五年生のときにこの地に引っ越してきた。
黒板に書かれた自分の名前を前にしてもじもじと挨拶をする俊介は対人関係を築くのがいかにも苦手そうな内気な少年に見えた。
無菌。
培われてきた生徒たちの安寧を脅かすことはないと刻印された少年。
俊介は差別を予防するために無菌を演じた。
だがある日、同じ教室で勉学をする生徒たちのあまりの無能ぶりを垣間見たときに演じることが馬鹿らしくなり止めた。
解き放たれた真実の自分によって周りは一斉に警戒し隔離を謀った。
俊介を教室から、学校から排除しようとする迫力は日に日に増大していった。
そして中学生になり執拗に遠藤壮太へ食らい付く。それは唯一の自分が示す誇示なのだ。
偽りだらけの虚勢だ。
孤独が何よりも怖いだけのぺてんだ。
自分を真正面から相手にしない壮太は気付いているのかもしれない。
体内を制圧し続ける弱さを見抜いているかもしれない。
まったく。
そうならば俺は踊らされている。
だが。
自分の体内から剥脱した感情が怒りを誘う。
壮太の隣りを歩く大橋彰という男は対処しなければいけない。
目障りな男。
きっと自分にないものをすべて持つ男。
恵まれた家庭環境。
恵まれた友人。
何も苦労せずに得てきたのだろう。
あいつをやらねば自分は壊れていく。
きっとそうだ。
俊介は自分の内部から訴え続ける反論の声には耳を貸そうとはしない。
それは壮太を殴ろうとしたときに止めに入った大橋彰の猛々しさに身震いしたこと。
それは窓際で浮かべている何もかもを包み込むような柔らかい表情に見とれていたときのこと。
―不思議な男―
さらなときに抱いた印象はいまも幽けく脳裏に残っている。
打ち消す。
燻り続けるその心のすべてを暴力へと移行しなければいけない。
あの横顔を殴り倒す。
俊介は右手を強く握りしめたままゆっくりと歩きだした。後ろには仲間二人が従うようについて来る。
雨脚が強くなったと同時に鳴らすピンク色のスリッパの音が変わる。
俊介はまるで壮太と彰の背中に吸い寄せられるように歩を幾分速めた。
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数日後。
俊介の目の前で仲間の一人が同じ一年生の男子に喧嘩を吹っかけていた。
理由は至って簡素なものだ。
すれ違うときに視線が二回合った。ただそれだけの理由で俊介の仲間は相手の肩を掴んでいた。
「おいお前、何見てんだ。何組だよ?」
「うるせえ」
そう言った矢先に男子は俊介の仲間に頬骨を殴られた。
「やったな!」
赤く腫れ上がった部分を痛そうに抑えながらも男子は殴った男を睨みつけた。
「やろうってのかおい!シュンどうする?こいつトイレにでも連れてくか?」
俊介は「やめとけザコだ」と言って立ち去っていく。
残った俊介の仲間二人は、交互に男子の頭を平手で思い切り叩いてから嘲笑した。
「意気込んで睨んできたくせに弱え奴だったな」
追い付いてきた仲間二人がハイタッチしあうのを俊介は無表情で見送っていた。
「あいつ何組なんだろ?」
「なんで?気になる?」
ま、いいや。次、次、と
もう一度ハイタッチしあう二人。
「なぁシュン。次は誰をやるとか考えあるの?」
「喧嘩売られたらやる。ただそれだけだ」
―やるのは大橋彰だ―。
俊介は心のなかでそう呟いていた。
その日の夕刻。
生徒達が部活を終わらせてぞろぞろと帰り始めた時刻にある出来事が起きた。
南門をいつもの仲間と三人で歩いていた俊介は仕組まれたごとく一斉に上級生によって周りを囲まれていた。




