ナナホシ
私が息切れを起こしながら歩道橋の階段を上っているときだった。
「久しぶり。」
と声を掛けられた。驚いて上を向くと冬の太陽が輝き、目を刺激する。
「ん…。」
逆光で影にしか見えていなかった目の前の人が次第に色づいていく。瞬きを繰り返して、やっと声の正体が分かった。よい意味でも悪い意味でも忘れもしない人物であった。
「あぁ、久しぶりね…。」
暫しの沈黙。沈黙、というより時が止まったという方が近いだろうか。私達二人を除き、周りの全てが色を失い、止まっている。お互いにどうすれば良いのか分からず、微動だにしない。
「……っ。」
歩道橋の下を通る車のクラクションが鳴ったのを良いことに、私はその人物から目を反らして脇をすり抜ける。すると、通り過ぎる前に腕を掴まれまたもや動けなくなってしまった。
「何の用事か言ってくれなきゃ分からないじゃない」
ため息混じりに呟きながら、私の腕を強く掴む手をやんわりとほどく。どうしてこういうときこの人はこんなに切ない顔をするのだろう。言いたいことが言えないという気持ちが滲み出ている。
「私も仕事帰りで疲れてるの…。お願い、また今度にして。」
急ぐ用事なら手短にお願いするわ、と付け足して手すりにもたれ掛かる。壊れそうに古びた手すりは微かに嫌な音を立てた。
「少し会いたくなっただけなんだ。迷惑だったよね…」
「えぇ、まぁ…迷惑ではあるけども。少しなら付き合うわよ。近くの喫茶店で話しましょ。勿論、あなたの奢りね。」
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自宅の隣にある喫茶店。ここは彼とよく来た店だ。自然消滅したのをきっかけに私がこの店に来ることはなかった。久し振りの店内で落ち着かず、ぐるりと周りを見回す。よくよく見れば店内に置かれた椅子、テーブル、雑貨まで見覚えのある。以前は覚えてしまうほど頻繁に通っていたと言うことだろう。
「懐かしいわね。この内装を見るのも、あなたと話すのも。」
「そうだね…。」
彼はうつむいたまま私の顔を見ようとしない。この時間は誰のための時間だと思ってるのよ、と私は内心苛立つ。それとは裏腹に店内では跳ねるようなリズムのBGMがかかっている。
「ねぇ、あなたは私をどうし」
「僕は君のことを愛してる」
そっぽを向いている私が一言言い終わる前に、彼は断言した。突然の告白に驚き、私は彼を見つめ直した。いつもの人の機嫌を伺うような瞳ではなく、覚悟を決めた瞳が、屈折することなく私を見ている。頬が熱くなり思わず目を反らしてしまった。
「私はあなたのこと嫌いよ。」
私だって今でも彼のことを想ってる。けれど気の短い私と、優しくておっとりした彼が一緒になっても続かないのは目に見えている。
「僕は君のことを守っていきたいと思ってる。」
先程よりやや強調して私に精一杯の愛情を投げ掛けてくる。やめて、よして、私はあなたのこと…。
「やめて…やめてよ…私はあなたが思っているほど優しい人じゃないわ…。」
「長いこと一歩引いた場所で君を見てきたんだ。間違えるはずがない…。君は優しい人で…すごく気疲れしやすいタイプだ。」
私は手で顔を覆いうつむいた。泣きはしない。みっともないから泣くもんかと目に涙を溜めていた。
「ねぇ、場所を移そうか。」
彼は黙って会計を済ませてしまった。
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「懐かしいでしょ、私の部屋。」
私は缶ビールが転がるテーブルを片付け、慌ててソファーに二人が座れる場所を作る。別に座る場所がないわけじゃない。ここが二人の特等席なのだ。彼は何故か嬉しそうな笑いを溢してから、黙って私を抱き締める。そしてそのままソファーに押し倒した。
「なんで僕を殴らないの。」
彼は私の首もとに顔を埋めてきつく抱き締めてくる。私も応えるように抱き締め返してしまう。気がついた時にはもう涙が溢れていた。
「愛してる人を殴るなんて出来るわけないじゃない…。」
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「そういえばタバコ、変えたんだね。」
「うん。ちょっとしたおまじないかな。ロゴが七つの星で出来てるから良いことに起こるかもって言ってたから。」
愛用のタバコを見つめて微笑する。
「でももう必要ないわ。私にとってこれ以上良いことはないの。」
テレビの隣に置いてある小さなゴミ箱を目掛けて、タバコを投げた。こけそうになったゴミ箱はぐらぐらと揺れ、元に戻った。
最後までお読みいただき光栄にございます。相変わらずの超短編ですが、いかだったでしょうか?
何処にでも転がっていそうな話。今回はそれを目指しました。
自然消滅した恋人はまた互いを求めて愛を育む。そんな甘くて切ない恋愛小説になっていましたでしょうか?
それではごきげんよう