第1話
その昔、武蔵の国に、史上最大にして最深の沼がありました。
その沼は、底無しの泥に無数の恨みのこもった遺体をもっていました。
怨念をまとったその沼の名は「魔宮沼」。
しかし、その沼も今では埋め立てられ、町もできました。
人々は希望こめて、その街を「魔宮沼町」と名付けました。
しかし、怨念を消すことはできなかったのです。
怨念はその町の住人に影響をあたえて、数々の異常犯罪者を作りました。
怨念はその町の土地に影響をあたえて、数々の超常現象をおこしました。
いつのまにか……。
「魔宮沼町」は最も奇怪にして、最も危険な町になっていました。
私の名前は新田秋子。普通の高校一年生です。
この街も今日でさよならです。
住み慣れたお家も、通い慣れた通学路も、友達の春ちゃんや、
憧れの鈴木先輩も、今日でさよならです。
明日の朝は別の町の空の下で迎えます。
荷物が整理されて、がらんとした部屋は、わたしの部屋じゃないようです。
いつもは洋服箪笥の後ろに隠されて見えなかった柱。
カーペットの下に隠れてた畳。
いままでありがとう。
「秋子! そろそろいくわよ」
お母さんの声。もう出発するんだ。
くるっと部屋の出口に向いて、扉を開けた。そうだ、最期に……
「さよなら! わたしの部屋!」
扉の外からもう一度、部屋を見て、深~く頭を下げて。
荷物は先に緑猫武蔵引越センターの人に送ってもらってる。わたしの荷物も、
今着てる、白いワンピースを除いてみ~んないっしょ。
ぬいぐるみのクマゴロもいっしょ。
わたし達……お父さん、お母さん、小学5年の弟の家族は、みんな揃って
電車で行きます。
新しい町へ。新しい家へ。
東京駅に出たら、もう19時を10分くらい過ぎていました。さすが休日。電車も
空いています。ここから「中武魔宮沼線」に乗り換えます。
銀の車体にオレンジのラインが入った車両の連なりが、静かにホームに
入って来ます。さすが始発駅。余裕で座れました。
「さ、駅についたら起してやるから、少し寝てなさい」
お母さんの優しい声。実は少し疲れてます。あら、伸二ったらもう、いびきかいて。
じゃ、わたしも……。
気がつくと、わたしは暗闇に立っていました。ふと、目の前に、懐かしい人影が。
あの、すこし曲がった腰に、優しい顔は……
「おばあちゃん!」
去年、亡くなったおばあちゃんだ。とても優しくて、大好きだったおばあちゃん。
わたしは、思わず抱きつきました。涙が出てるかもしれない。でもいいや。頭に優し
い手の感触。懐かしい温もり。
「秋子や」
懐かしい声で呼ばれて、うれしくて、急いでおばあちゃんの顔を見たら、
「おばあちゃん、なんで、そんなに悲しそうな顔をしているの?」
笑顔だったはずの顔が、悲しそうな顔だった。なんで?
「これから行く町はね、とても、とても恐ろしい町なんだよ。わたしの力じゃ、もう、
秋子を守ってやれないのさ。心配でしょうがないよ」
恐ろしい町? これから行く町が? あれ? おばあちゃんの姿が薄くなってる。
「ほら、近くなるにつれて、おお、恐ろしい。なんて怨気なんだい? だめだよ、も
う限界。いいかい、秋子! 向こうについたら無法文太っていう……」
「おばあちゃん!」
おばあちゃんがいない。あるのは、電車の椅子と家族。
「夢……?」
体中、汗だらけ。横で寝ていた伸二も、はあはあ言って、飛び起きたみたい。
「恐い夢を見たのかい?」
心配そうにお父さんがわたし達を見つめてる。あれ、おかしいな。お父さん、なん
だか、悲しそう。
20時25分。魔宮沼町駅につきました。
新天地への第一歩を践んだ時、背中に冷たい氷でも入れられたみたいに、
寒気が走りました。
空気がひどく冷たい。
「極楽口」と書かれた改札を出た時、お父さんが
「みんなすまん……」
と言ったような気がしましたが、それがどんな意味を持つのかは、まだわかりませ
んでした。
朝が来た。新しい家は和風なムードで一発でお気に入り。
2階の6畳をわたしの部屋にしてもらって、もう最高。こんな広い部屋が、自分の
部屋なんて夢みたい。
窓を開けて、新しい町の空気を吸う。おいしい! 都会の空気と全然違う。
住宅街なのに、隣の家との間は充分すぎるほど開いている所もいい。
深い緑色の山が、三つほど風景にあるのも、自然とのバランスがとれていて最高!
寝巻を脱いで、新しい制服を着ると、くるっと1回転。スカートがひるがえる。
紺のブレザー。胸に大きな、赤いリボン。いいなあ、これ。これからの学生生活に、
すごーく期待できそう。
「いってきま~す!」
元気よく言って、道路に出た。新しい黒皮靴が、気持ちよく道路の感触を
伝えてくる。ああ、なんだかスキップしたい気分! 最高の気分。
少し高いフェンスの向こうに見えてきた。
あれが、新しく通う「魔宮沼高校」か。白い鉄筋5階立てで、大きいアナログ時計
がシンボルみたいな、すてきな学校。校庭も広いし、プールもある。
体育館もあるじゃない。
少し離れた建物は食堂かしら。男女生徒が入っていく、あれが校門ね。
わたしが校門へ行こうとした時、後ろに人の気配がした。振り返る瞬間、おなかに
痛みを感じて気が遠くなっていく。誰? 男性の声が……不気味な……声が……。
「ようし、いい物が手に入ったぞ」
昔、某所で書いた短編連載SSです。
菊地秀行大好きなので、設定などに影響がでています。
リハビリと精神修行のたま、晒します。
ぐわーーー