第9話 体育倉庫
「もう帰るんじゃなかったのかよ?」
「そうだけど。せっかく体育館に来たんだから、見ていこうよ。
死体が現れるっていう体育倉庫ってこの中でしょ?」
寿々菜と森田は、体育館の脇の水飲み場から、体育館の正面に移動していた。
体育館は校舎と渡り廊下で繋がれており、今はもちろんどの扉も施錠されている。
「さっきの生物室みたいに、どこかの鍵が壊れてたりしないの?」
「そう都合よく壊れてるかよ。あ、でも、ちょっと待てよ」
森田が体育館の壁沿いに歩き出した。
「入れるところ、あるの?」
「ない。でも、要は体育倉庫の中を見れたらいいんだろ?」
森田はそう言って足を止め、頭上を指差した。
そこには簡単な鉄格子のはめられた小窓がある。
「これ、体育倉庫の窓なんだよ。こっから中を覗いたらいい」
「そっか!なるほど!」
「でも、本当に死体なんかあったら、警察沙汰だ。七不思議どころじゃねーぞ」
ごもっともである。
森田はジャンプして鉄格子につかまると、
懸垂の要領で身体をぐいっと持ち上げ、中を覗いた。
「誰もいねーよ。死体もない」
「本当に?」
「白木センパイも見てみたら?」
森田が地面に下り、寿々菜に場所を譲る。
が。
「・・・私に懸垂ができると思ってるの?」
「だな。肩車してやろうか?」
「死んでもいや!」
そこで仕方なく森田が四つんばいになり、その上に寿々菜が靴を脱いで乗るということになった。
「お、重い!何キロあるんだよ!?そんなんでよく芸能人なんかやってられるな!」
「失礼ね!」
そうは言いつつ、やはり恥ずかしいのと申し訳ないのとで、寿々菜はなんとなく爪先立ちになった。
だからと言って軽くなる訳でもないのだが・・・
「ほんとだ。誰もいない」
「だろ?」
月明かりでうっすらと照らされている体育倉庫には、
本来体育倉庫にあるべきものしかなかった。
体操用のマットにボール類、バレーのネット、跳び箱・・・
窓は閉まっているが、見ているだけで体育倉庫独特の匂いがしてきそうだ。
暗いので隅々まで見える訳ではないが、誰もいないのは明らかである。
もちろん、死体もない。
寿々菜は森田の背中から下りた。
「さすがに死体はないわね」
「当たり前だ。気が済んだか?」
「うん・・・でも、変ね」
「何が?」
森田が背中をさすりながら立ち上がる。
「骸骨とプールはどうやったのか分からないけど、今まで散々手の込んだことやっといて、
体育倉庫だけ何もなし、っていうのは変じゃない?」
「さすがに死体は用意できないだろ」
「だけどせめてマネキンとか」
「・・・ある意味、死体より怖いな」
寿々菜は腕を組んで、鉄格子を見上げた。
実は窓からは見えないけど、中に何かあるのかな?
それとも・・・
「体育倉庫って、ここだけだっけ?」
「そりゃそうだろ。そもそも倉庫なんて他に・・・」
「「あ」」
2人は同時に声を上げた。
「運動場の小屋がある!」
昼間に、大橋と中村という教師がその影でキスしているのを見たばかりだ。
「そうだな。あそこは運動場で体育の授業やる時に使う備品とかボールがおいてあるから、
体育倉庫とも言えなくはない。でも、やっぱ死体はありえないだろ」
「そうだけど、行くだけ行ってみようよ」
寿々菜は気乗りしなさそうな森田を引っ張って、
再び運動場の方へ戻っていった。
昼間でも、運動場の一角にあるこの小屋付近はひと気がなく、どこか薄暗い印象だ。
ましてや夜ともなると、気味の悪さは倍増である。
「見るならさっさと見て帰ろうぜ」
森田が薄気味悪そうに辺りを見回した。
「うん。さっきみたいに窓とかないかな?」
「こんなちっこいプレハブに、窓なんかねーよ」
「じゃあ、鍵は・・・」
かかってるよね、当然。
そう思って寿々菜がドアノブを回すと、
意外なことにそれは何の抵抗もなくカチリと音を立てて回った。
寿々菜と森田は思わず顔を見合わせる。
「開いたよ」
「・・・ああ。鍵の掛け忘れだろ」
「そうかな・・・」
寿々菜がゆっくりとドアを引く。
外もじゅうぶんに暗いと思っていたが、
窓一つないプレハブ小屋の中は、本当に真っ暗だった。
今寿々菜が開けた扉から入る月明かりが唯一の光だが、
目が慣れずに、まだ中に何があるのか分からない。
しかし、次第に目が慣れてくる。
中にあるものは、先ほどの体育倉庫と大差ない。
ただ、運動場に引く白線の粉があるのか、どこか粉っぽい空気だ。
寿々菜は小屋の中を見回し・・・最後に床を見た。
黒い皮製の靴が落ちている。
靴だけではない。
暗闇で見えないが、どうやら「本体」もくっついているようだ。
「も、森田君!!!」
入り口に立っていた寿々菜が小屋から飛び出すと同時に、
森田が中を覗き込む。
「・・・あれって・・・」
「人、よね・・・?」
森田がゴクリと唾を飲んで、小屋の中へ入って行った。
寿々菜もそうしたかったが、足が動かない。
中から森田の声がした。
「大橋だ」
「世界史の大橋先生?」
「ああ」
森田が出てくる。
顔が青く見えるのは、月明かりのせいばかりではなさそうだ。
「後頭部にでっかいたんこぶがあったよ。滑って転んだのかな」
「こんな時間に世界史の先生が運動場の小屋に1人で来て、滑って転ぶの?」
「じゃあ、誰かに殴られたってか?それこそ、なんでこんなところで」
「・・・私、お昼休みにこの小屋の前で大橋先生と保健室の中村先生がキスしてるの見ちゃったの」
「中村!?うわー、ショック。俺、結構好きなのに」
森田が本気でガッカリする。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「んじゃ、中村が大橋を殴ったっていうのか?でも、中村はもう帰ってるぞ」
「どうしてそんなこと知ってるの?」
「帰り際に保健室に絆創膏を貰いに行ったら、『私も今から帰るの』って言ってたから」
「・・・無理矢理用事を作って保健室に行ったのね?」
「べつにー」
「でも一度帰って、また来たのかもしれないじゃない」
「大橋に会うために?一旦帰ったんだったら、わざわざ学校で会わなくても、
どっか外で会えばいいじゃん。ホテルとか」
寿々菜が思わず赤くなる。
この手の話は、どんな状況でも苦手なのだ。
「とにかく、早く警察に・・・
その前に、職員室にいる先生に言った方がいいよね?井ノ口先生、まだ居るかな・・・」
その時、寿々菜の頭の中に、「違和感」という名の小石が転がり込んできた。
初めて見る小石ではない。
今日の昼休みに見たのと同じだ。
あの時、ここで大橋先生と中村先生がキスしてて・・・
私と夏帆がそれをこっそり見てて・・・
小部屋の外から予鈴が聞こえてきて・・・
「・・・」
「白木センパイ?」
寿々菜はジッと立ち尽くし、頭の中を転がる小石を追いかけた。
小石を捕まえれば真実が分かる気がする。
でも、捕まえたくない。
だって、捕まえてしまえば・・・
「森田君」
寿々菜は覚悟したように顔を上げた。
「ん?」
「台本を取りに来たんだよね?」
「へ?何を今更・・・まあ、そうだけど」
「じゃあ、ちゃんと取りに行こうよ」
寿々菜の言葉に森田は目を丸くした。