第5話 呼び出し
まず第1の「ありえない」ことは、教師同士のキスを見た日の夜に起こった。
後から思えば、これが一番「ありえない」ことだったのかもしれないが・・・
「寿々菜ー!電話よー!」
1階から母親の声がする。
2階の部屋にいても、充分に聞こえる大きさの声だ。
しかしこれは寿々菜の母親にとって大声ではなく、ごく普通の声である。
「はーい!」
寿々菜も負けじと(?)大声を張り上げた。
デビュー以来、寿々菜は携帯電話を持っている。
いつ事務所から連絡が来るか分からないし、
突然仕事が入って学校から仕事場へ直行する時などに、家に連絡しやすいからだ。
・・・まあ、ご承知の通り、そんな状況は今後1年以上、ほとんど発生しないのだが・・・
それは今はまだ寿々菜には内緒にしておくとして。
家に電話をかけてくるということは、
寿々菜の携帯の番号を知っている家族・事務所の関係者・夏帆と数人の友達、以外ということになる。
でも、それ以外で私に電話して来るって誰だろう?
「2階のコードレスで取ってー!森田君って子からよー!」
森田君!?
って、あの森田君!?
寿々菜の知っている「森田君」と言えば、「煙たくてありえない」存在の「森田君」しかいない。
しかしその「森田君」が自分に電話してくるとは思えない。
寿々菜は、両親の寝室に置いてあるコードレスホンを恐る恐る取り、
青く点滅しているボタンを押した。
「・・・もしもし」
「あ、白木センパイ?」
・・・森田君だ。
寿々菜は愕然とすると同時に、背中に汗が流れた。
何の用だろう?
目障りだからもう学校に来るな、とか?
電話を耳にあてたまま、両手でギュッと握り締める。
しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは、意外な言葉だった。
「今、暇?」
「うん、暇、だけど・・・」
「今から、出てこれる?」
「え?今から?」
思わぬ話に驚きながらも、スカートのポケットから携帯を取り出して時間を見る。
(コードレスホンで電話をしながら、携帯を見るというのもおかしな話だが・・・)
夜の9時だ。
暇は暇だが、外出するような時間でもない。
第一、こんな時間に森田が寿々菜に何の用だというのだろう。
寿々菜が返答に困っていると、
森田が珍しく情けない声を出した。
「ちょっと頼みがあって・・・白木センパイじゃないとダメなんだ。学校まで来れる?」
「学校?」
「うん」
「・・・」
行けなくはない。
だが、行ってやる義理もない。
ううん!
森田君は演劇部の後輩なのよ!
後輩が困ってるんだから、先輩として助けてあげなきゃ!
「分かった。行くわ」
「ありがと」
森田君に「ありがと」なんて言われたの、初めてじゃないかしら、
などと思いながら、お人好しの寿々菜は出掛ける仕度を始めた。
「あはは。やっぱ制服で来たんだ」
昼間より大きく黒く感じる校門の前で、
森田はセーラー服姿の寿々菜を見て小声で笑った。
「だって、学校に行くんだったら、やっぱり制服かなと思って・・・。
森田君だって制服じゃない」
森田が、さっきまでとは違うニヤッとした笑顔で学ランの首元を指でつまんだ。
「白木センパイなら制服で来るかなと思って、合わせてみた」
「・・・あっそう」
思考回路を読まれている気がしてなんだか情けない。
しかし、事実そうである。
「そんなことより、何の用なの?」
「今度の部活紹介の時に演じる劇の台本を部室に忘れちゃってさ。
取りに行くの、付き合ってくれない?」
「・・・は?」
「白木センパイ、今度の劇の責任者だろ?」
確かにそうである。
来週、新1年生に対して部活紹介があり、演劇部は当然劇を行う。
そして寿々菜がその責任者なのだ。
寿々菜がそんな大役を担うなんて信じられない方も多いだろうが、
持ち回りなので仕方がない。
実際は、夏帆が何も言わずにサポートしてくれているので、
なんとか成り立っているようなもんである。
「だからって、どうして私が森田君と一緒に忘れた台本を取りに行かなきゃいけないの?」
「ちゃんと家でも練習しとかないと、本番で失敗しちゃ洒落にならないだろ?
だから台本をどうしても取りに行きたいんだけど・・・その・・・1人じゃ怖いし」
森田の声が段々と小さくなる。
寿々菜があっけに取られていると、
顔を赤くした森田が畳み掛けるようにして言った。
「とにかく!!台本を取りに行きたいんだよ!責任者なら付き合え!」
「う、うん、いいけど・・・」
「こっち来い!」
頭から湯気でも出しそうな勢いで、森田がドスドスと学校の塀に沿って歩き始めた。
寿々菜は森田の後ろを歩きながら笑いを噛み殺した。
怖い、って!!
あの森田君が!!
寿々菜も夜の学校は怖い。
職員室はまだ明かりがついているが、それ以外は真っ暗で、
まるで昼間とは別の建物だ。
しかし、今の森田を見ていると笑わずにはいられない。
「プププ」
「・・・笑うな」
「笑ってないもん。ププ」
「・・・」
「ねえ、どこから学校に入るの?正門は閉まってるわよ」
「分かってる」
「学校に電話して先生に開けてもらう?正直に忘れ物を取りに行くって言ったらいいじゃない」
「漫画も台本と一緒に置いてあるから、先生には内緒で取りに行きたいんだ」
「ふーん」
ま、いいや。
寿々菜は森田と共に、正門よりだいぶ高さの無い裏門を乗り越え、
夜の学校へと忍び込んだ。