第11話 幽霊
「おい。帰るぞ、早とちり2人組」
「・・・」
悲しいかな反論できない。
寿々菜と夏帆は小さくなって森田の後をついて行った。
校舎の階段を下りながら、森田が左向きに振り返る。
「モップで殴って倒れたくらいで、死んだって思いますか、ふつー?」
「・・・はい」
今度は右向きに振り返る。
「人が倒れてたら、死んでるって思う前に、気絶してるんじゃないかとか病気で倒れたんじゃないかとか思って、確認するだろ、ふつー」
「・・・だって、七不思議で体育倉庫に死体が現れるっていうのがあるから、
てっきり・・・」
夏帆が森田の言葉に素直に反省したのに対して、
寿々菜が言い訳しているのは、いたしかたない事かもしれない。
森田は再び左に振り返った。
「でもまあ、大橋が生きててよかったですね」
森田がそう言うと、夏帆はホッとしたように頷いた。
「うん。どうして私、大橋先生なんかに夢中になってたんだろう。
なんか急に目が覚めた感じ」
「うんうん。そうよ!大橋先生には夏帆なんてもったいなさすぎる!」
寿々菜も頷く。
夏帆はちょっと照れたように笑った。
いつもの夏帆の笑顔だ。
「でも、あんな人でも死んだら悲しむ人もいるだろうし、私も後味悪いし・・・
ありがとう、寿々菜、森田君。2人のお陰で色々とサッパリしたわ。
あ・・・森田君。学ラン、借りたままでもいい?」
制服がボロボロになってしまった夏帆は、
まだ森田の学ランを羽織っている。
森田は、当然のように「もちろんです」と言った。
「ねえ夏帆。取り合えずうちに来ない?私、制服もう一着持ってるから、貸してあげるよ。
今日はそれ着てお家に帰って。っていうか、ずっと使ってていいよ。
お家の人に、今日のこと知られたくないでしょ?」
「うん・・・ほんとありがとう、2人とも」
夏帆の目にはまだ光る物がある。
だがそれは、拭けば消える古い涙だ。
夏帆は「ちょっと顔洗ってくるね!」と言って、廊下の奥へ走って行った。
寿々菜達は、ちょうど最初に寿々菜と森田が忍び込んだ生物室の前にいて、
近くにトイレや水場はない。
夏帆は少し離れたところにあるトイレまで行くつもりだろう。
戻ってくるのに5,6分かかるかもしれない。
森田がポケットに手をつっこんで、壁にもたれる。
が、すぐに背中を浮かして、今自分がもたれていた壁を見た。
そこには鏡がある。
「とんだ七不思議だったな」
「うん。でも、もうどうでもいいや。取り合えず夏帆が無事で、
大橋先生も生きてたんだから!」
もちろん、誰が何のために音楽室のピアノとベートーベンの肖像画、それに下足室の水槽に細工をしたのか分からないままだし、
生物室の骸骨が勝手に動いた謎とプールの中の生き物については、本当に七不思議なのか、それとも人為的なものなのかすら分からない。
釈然としない物は残るが、とにかく今の寿々菜には夏帆の無事と無実が全てである。
「音楽室と水槽は、もしかしたら大橋がやったのかもな」
「大橋先生が?どうして?」
「長谷部先輩に小屋に呼び出された時点で、話の内容は分かってたんだろ。
生徒である長谷部先輩ともめるのは避けたかっただろうから、
長谷部先輩をビビらせて家に帰らせようと思って、小細工したのかもよ」
「うん・・・そうかもね」
だけど結局ビビッたのは寿々菜と森田で、
夏帆はおそらく七不思議に関しては何も見ていない。
やはり、寿々菜はすっきりしないのだが・・・
「そう言えば、最後の七不思議はどうなったんだろう?」
「最後の七不思議?」
「白い服の少女の幽霊ってやつよ」
「ああ。ここでキスしてるカップルが、この鏡の中で見たってやつか」
森田が壁の鏡をコンコンと叩いた。
「それこそ、ただの見間違いだろ」
「でも、他の6個は実際に起こったのよ?」
「『死体』はともかく、な」
「・・・」
森田の嫌味っぽい言い方に寿々菜がむくれていると、
森田がケラケラと笑いながら寿々菜の腕を引き、鏡の前に立たせた。
「じゃあ、本当に幽霊が現れるか試してみようぜ」
試す?何を?
寿々菜がそう聞くより早く、森田の唇が寿々菜のそれに触れた。
寿々菜は「ピキーッン」という音がしそうなくらい硬直して息を止めたが・・・
森田はすぐに寿々菜から顔を離して、ゆっくりと鏡の方を向いた。
森田が目を見張る。
その森田を見て、寿々菜も硬直が解けた。
そして、怒るのも驚くのも忘れて、森田と同じ方向を見る。
そこには、白い影がボンヤリと浮かび上がっていた。
落ち着け。
落ち着け、私。
これは、ただの鏡よ。
お化けなんている訳ないじゃない。
そう、ただの鏡なんだから・・・
ただの鏡。
と、いうことは。
寿々菜は、今度は顔を反対方向へと恐る恐る向けた。
森田も同じことを考えていたらしく、寿々菜と一緒に顔を動かす。
生物室の扉の窓から射し込む月明かりを背に、白い服の少女が立っている。
黒く厚い前髪の下から、大きな黒目勝ちの瞳が寿々菜と森田をじっと見ていた。
その少女の赤い唇の両端が、キュッと上がった瞬間。
寿々菜と森田は夏帆のことをすっかり忘れて、
一目散に校舎から飛び出したのだった・・・。