揉めない婚約解消、承ります――破談専門の仲人令嬢は、本日も円満にお別れさせます
シャペル家といえば、王都で知らぬ者のない名仲人の家系である。
祖母が結んだ縁は三百、母が結んだ縁は二百五十。社交界では「シャペルの帳面に載れば婚礼は決まったも同然」と言われ、貴族の母親たちは娘が生まれるとまずシャペル家に挨拶に来る。
その三代目の長女であるわたくし、ミレーヌ・シャペルの看板は、これだ。
『円満婚約解消請負処 ――揉めないお別れ、扱います』
初めて看板を掲げた日、母は寝込み、祖母は「氷屋の娘が火事を売り歩くようなものだよ!」と怒鳴った。
でも、わたくしは知っている。祖母の三百、母の二百五十の縁の中に、ほどきたくてもほどけないまま、じっと冬を耐えている糸が何本あるかを。
縁を結ぶ人がいるのなら、ほどく人も要る。
そして、ほどき方が綺麗なら――その糸は、また使えるのだ。
◇
わたくしの仕事を、少しご紹介しよう。
先週の案件。ボードワン伯爵令息とクレール子爵令嬢。家同士が決めた婚約で、お二人とも相手を「嫌いではない」。だが、お互いに手紙の返事が三週間遅れても何とも思わない程度には、関心がない。
こういう「善良な塩漬け」がいちばん厄介だ。双方礼儀正しいので、誰も言い出せないまま十年経つ。
わたくしは両家に別々にお茶会を設え、それぞれにこう尋ねた。
「単刀直入に伺います。お相手が明日、他の方と恋に落ちたら――ほっとなさいます? それとも悔しい?」
令息、五秒沈黙ののち「……ほっと、するかと」。
令嬢、二秒で「ほっとします。あっ」。
二秒。よろしい、診断確定である。
あとは手順の問題だ。解消の理由は「双方の将来設計の相違」で統一し、違約金は相殺、社交界への発表文はわたくしが起草し、両家連名で「今後も家同士の親交は続く」の一文を必ず入れる。発表の翌週、お二人が夜会で笑って挨拶を交わしているのを確認して、案件完了。
後日、令嬢から菓子折りが届いた。添えられた手紙に曰く、『生まれて初めて、深く息が吸えました』。
これだから、破談屋はやめられない。
◇
モルガン公爵ルシアン様がわたくしの店の扉をくぐったのは、春の終わりのことだった。
噂は聞いていた。二十七歳で公爵位を継ぎ、領地経営の手腕は当代随一。そして三年前に決まった侯爵令嬢との婚約は、政略として完璧――という御方が、なぜ破談屋に。
「単刀直入に言う。私の婚約を解消したい。ただし条件がある」
公爵様は、帳場の前の椅子に長身を折りたたむようにして座った。
「相手のソランジュ嬢に、傷が一つもつかないこと。解消の原因はすべて私が引き受ける。彼女の次の縁談に、埃ひとつ残したくない」
「……理由を伺っても?」
「彼女には想う相手がいる。三年前からだ。相手は彼女の家の護衛騎士で、身分ゆえに双方が想いを封じている。私との婚姻が成れば、彼女は完璧な公爵夫人を演じきるだろう。生涯かけて、完璧に、幸福なふりを」
公爵様は、そこで少しだけ目を伏せた。
「私は政略結婚を厭わない。だが、人の一生分の演技の上に家を建てるのは、趣味ではない」
わたくしは帳面を開いた。この依頼、受けない理由がない。
「承ります。ただし公爵様、『原因をすべて引き受ける』のはおやめください。あなたが泥をかぶれば、ソランジュ様は『公爵に落ち度があっても捨てられなかった気の毒な方』になります。同情は埃より落ちにくいのです」
「では、どうする」
「侯爵家が、断る側に回っていただきます」
筋書きはこうだ。モルガン公爵家の家憲に「当主は婚姻後五年、領地に常駐する」という古い条項がある(実在した。公爵家の家憲は長すぎて誰も全文を読んでいない)。これを盾に、「王都の社交を重んじる侯爵家のご意向とは相容れない」という理由を組み立て、侯爵家側から「娘の将来を思えばこそ」と解消を申し入れる形を作る。断ったのは侯爵家、受け入れたのは公爵家。ソランジュ様は「家の方針で身を引いた孝行娘」となり、どこにも傷が残らない。
三月後、すべては筋書き通りに運んだ。ソランジュ様は半年の喪が明けるように静かに社交へ戻り、来年には例の騎士が男爵位を叙されるらしいという噂まで、風向きよく流れ始めた(騎士の叙爵の推薦状を誰が書いたのかは、依頼人の秘密である)。
案件完了。報酬受領。上客だった。
それで終わるはずだった。
◇
一月後、公爵様がまた店に来た。
「依頼だ。祖母が私に見合いを組んだ。相手はデルフィーヌ嬢。断りたい」
「……お見合いの、お断りですか。破談屋の領分より手前ですが」
「シャペル家の裏の家業は『縁の管理全般』と聞いた。頼む。祖母の組む縁談は外堀から埋めてくるので、私では断り切れん」
調べてみると、デルフィーヌ嬢には想い人がいた(またか)。彼女の父親が資産目当てに公爵家との縁談へ押し込んだ構図だったので、彼女の祖父君を動かして父親を黙らせ、円満にお流れにした。
その一月後、公爵様がまた来た。
「祖母が次の見合いを組んだ。断りたい」
その翌月も来た。
「祖母が」
「もう分かりました」
わたくしは帳面に「モルガン公爵家・月極」と書いた。
通いはじめて半年になるころには、公爵様は依頼のあと、帳場の前でお茶を飲んでいくようになっていた。無駄口を叩く方ではない。ただ、わたくしの仕事の話を聞きたがった。先週の塩漬け案件がどう解けたか。発表文の一文をなぜその語順にしたか。
「不思議なものだな」あるとき、公爵様が言った。「君は縁を切る仕事なのに、話を聞いていると、どの案件も最後は誰かの縁が『始まって』いる」
「破談は、次の縁の始まりですもの」
わたくしは、湯気の向こうで答えた。
「わたくしの伯母は、祖母が結んだ『完璧な縁談』の相手と、四十年、完璧に不幸でした。誰も、ほどいてあげなかったから。結び目は、放っておくと固くなるのです。固くなる前に、綺麗にほどく。そうすれば糸は傷まない。傷んでいない糸は、必ず、次の何かを結べます」
「……君がほどいた糸が、次に結ばれたところを、君は見るのか」
「ソランジュ様の婚礼の招待状なら、先週届きましたわ。騎士様、来春に男爵ですって。どこの誰が推薦状を書いたのかしらね?」
公爵様は、珍しく、声を出して笑った。
その笑い方が存外にやわらかいことを、社交界は多分、知らない。
◇
年が明けてすぐ、公爵様は十三度目の来店をした。
いつものように帳場の前に座り、いつものように依頼書を差し出す。ただしその顔は、いつになく強張っていた。
「依頼だ。……婚約解消の、事前相談になる」
「お祖母様も懲りませんね。今度はどちらのご令嬢です?」
「読んでくれ」
わたくしは依頼書を受け取り、目を落とし――固まった。
『解消対象:モルガン公爵ルシアンと、ミレーヌ・シャペル嬢の婚約(調印予定日:明後日)』
「…………公爵様。事務手続き上の確認ですが、わたくし、あなたと婚約した覚えがございません」
「明後日する予定だからな。祖母の承認は昨夜取った。『十三回も断った孫が自分で選んだ相手なら文句はない』だそうだ。侯爵家への挨拶状の下書きもある。手回しは君に習った」
「習わせた覚えも、ございません!」
「毎月ここで半年、君の仕事を見ていた。十分な講義だった」
公爵様は、それから居住まいを正した。冗談の気配が、すっと消えた。
「ミレーヌ嬢。君の診断法を、私は覚えている。――私が明日、ほかの誰かと恋に落ちたら、君はほっとするか。それとも、悔しいか」
ずるい。それは、わたくしの台詞だ。
わたくしは口を開いた。ほっとします、と言えば、この話は終わる。職業人として正しく、綺麗に、円満に。
二秒経った。五秒経った。十秒、経った。
……言えなかった。
「診断結果が出たようだな」
「っ、まだです! 精査中です!」
「では精査の間に申し上げる。私は十三回、縁談を断った。理由は毎回同じだ。帳場の向こうで糸をほどいている君より面白い人間に、一人も会わなかった。私の依頼はこうだ――この依頼書を、破棄してほしい。破談屋の君にしか、頼めない」
破談屋に、破談の依頼書の破棄を頼む。
まったく、なんて依頼だろう。理屈が通っているのが、いちばん腹立たしい。
わたくしは依頼書を両手で持ち、ゆっくり、縦に裂いた。三代目の名にかけて、これほど綺麗に破いた書類はない。
「……手数料は、高くつきますわよ」
「生涯分、前払いする」
◇
後日談を二つ。
一つ。婚礼の仲人は、祖母が務めた。「氷屋の娘が」と怒鳴った人は、式で誰より泣き、いまでは店に客を回してくる。『結ぶ前に、ほどけそうな縁はお前が先に見ておくれ』とのことで、シャペル家の家業は三代目にして、検品部門を持った。
二つ。わたくしたちの婚姻契約書には、解消条項がない。起草したわたくしが、書かなかったのだ。
夫はそれを見て「職務放棄では?」と笑ったけれど、違う。これは破談屋、生涯一度の職業判断である。
ほどく必要のない結び目だけは、最初から、ほどき方を用意しなくていい。
(了)
お読みいただきありがとうございました。
「縁結びの名家に、縁切り専門の娘がいたら」という思いつきから生まれた話です。結ぶ仕事が尊いのと同じだけ、綺麗にほどく仕事も尊いはず。世の中の円満なお別れの陰には、きっと名もなき破談屋さんがいます。
ミレーヌの破談屋台帳から、別の案件のお話(塩漬け案件の続きなど)もご要望があれば書くかもしれません。
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