第九話 小さき戦乙女たちの戦場
中央演習場は、前にトーマが落ちてきた場所とは思えないほど整え直されていた。
砕けた地面は埋め戻され、中央の大穴も見えなくなっている。
ただ、よく見れば草の色がそこだけ少し違う。
新しく張られた土。
急ごしらえの補修。
そして、まだ残っている微かな違和感。
トーマは馬車を降りて、演習場の中央を見つめた。
あそこに落ちた。
空から。
光に包まれて。
記憶を失ったまま。
あの日から、まだそれほど時間は経っていない。
なのに、随分遠い日のことのように感じた。
【ノア】
「大丈夫?」
ノアが隣から声をかけた。
【トーマ】
「大丈夫だ」
【ノア】
「顔、少し怖かった」
【トーマ】
「そうか?」
【ノア】
「うん」
ノアはトーマが見ていた場所へ視線を向けた。
【ノア】
「ここに、落ちてきたんだよね」
【トーマ】
「ああ」
【ノア】
「不思議だね」
【トーマ】
「何が?」
【ノア】
「トーマが落ちてこなかったら、私たちは普通に試合してた」
ノアは杖を握り直す。
【ノア】
「今は、ただの大会じゃない気がする」
トーマは頷いた。
【トーマ】
「俺もそう思う」
演習場の周囲には、三国の旗が掲げられていた。
青と銀のシェイン。
金と赤のベイル。
黒と蒼のテリア。
その三つが、風の中で揺れている。
観覧席には各国の兵や関係者が並び、中央には巨大な魔法映像盤が浮かんでいた。
集団戦は広大なフィールドで行われるため、観客は魔法映像を通して戦況を見ることになるらしい。
地形も前回とは少し変わっていた。
森。
丘。
川跡。
岩場。
崩れた小砦。
そして三か所の拠点候補地。
【トーマ】
「広いな」
トーマが呟く。
ユナが隣で答える。
【ユナ】
「広い。だから二人一組だと、判断を間違えた時の修正が難しい」
【トーマ】
「シェインは三人だが、その分制限があるんだったな」
【ユナ】
「うん。私たちは初期拠点の防御値が低い。あと、一定時間ごとに大まかな位置が敵側に表示される」
ミアがむっとする。
【ミア】
「つまり、隠れてもバレる!」
【ユナ】
「完全にバレるわけじゃない。区域単位で表示されるだけ」
【ミア】
「それでも嫌だ!」
【ユナ】
「だから早く動く必要がある」
【ミア】
「じゃあ私の出番だな!」
ユナはミアを見た。
【ユナ】
「勝手に突っ込まないなら」
【ミア】
「……努力する!」
トーマは思わず笑った。
【トーマ】
「そこは断言しないのか」
【ミア】
「したいけど、嘘になる!」
ミアの正直さに、ノアが小さく笑う。
緊張はある。
だが、三人の空気は悪くなかった。
数日間の訓練で、彼女たちは少し変わった。
ミアは突っ走る前に一度ユナを見るようになった。
ユナは指示だけではなく、二人を信じて待つようになった。
ノアは怖がりながらも、杖を握る手から逃げる力が抜けてきた。
まだ完璧ではない。
だが、確かに前へ進んでいる。
【???】
「おーい!シェインの三人組!」
明るくも刺々しい声が飛んできた。
振り返ると、ベイル王国のリトルヴァルキリー二人がこちらへ歩いてきていた。
一人は黒髪を短く切り、鋭い目をした少女。
腰には小型の曲刀を二本差している。
もう一人は淡い桃色の髪をゆるく結んだ少女で、ふわふわした雰囲気をしていた。
手には小さな杖。
だが、目だけは妙に油断ならない。
黒髪の少女が腕を組む。
【???】
「あんたたちが例の三人組ね」
ミアが一歩前に出る。
【ミア】
「そうだ!シェイン王国リトルヴァルキリー、ミア!」
ユナが続く。
【ユナ】
「ユナ」
ノアは少し遅れて、小さく頭を下げた。
【ノア】
「ノア、です」
黒髪の少女はふんと鼻を鳴らす。
【キリカ】
「私はキリカ。ベイル王国リトルヴァルキリー。こっちはメル」
桃色の髪の少女、メルがにこっと笑う。
【メル】
「よろしくねぇ。三人って、賑やかでいいねぇ」
【ミア】
「そっちは二人でも賑やかそうだな!」
ミアが言う。
キリカは目を細めた。
【キリカ】
「言っておくけど、人数が多いからって有利だと思わないでよ。ベイルのリトルは弱くないから」
【ミア】
「思ってないぞ!」
【キリカ】
「本当に?」
【ミア】
「たぶん!」
ユナが小さくため息をつく。
【ユナ】
「そこは断言して」
キリカは呆れた顔をしたが、すぐにノアへ視線を向けた。
【キリカ】
「あなたがノア?」
【ノア】
「うん」
【キリカ】
「ふうん」
キリカはノアの魔力を探るように見た。
ノアは少し身を固くする。
メルがキリカの袖を引いた。
【メル】
「じろじろ見たら怖がっちゃうよぉ」
【キリカ】
「別に怖がらせてない」
【メル】
「キリカは顔が強いからぁ」
【キリカ】
「顔の話じゃないでしょ!」
二人のやり取りに、ミアが笑う。
【ミア】
「なんか、仲いいな!」
キリカとメルは同時に言った。
【キリカ・メル】
「よくない!」「いいよぉ」
そして互いに顔を見合わせる。
キリカが頬を赤くしてそっぽを向いた。
【キリカ】
「と、とにかく!試合では手加減しないから!」
メルがにこにこしながら続ける。
【メル】
「でも痛くしすぎないようにするねぇ」
【トーマ】
「それを言うと逆に怖いぞ」
トーマが思わず言うと、キリカが彼を見た。
【キリカ】
「あんたが空から落ちてきた男?」
【トーマ】
「ああ。トーマだ」
キリカは上から下までじっと見た。
【キリカ】
「普通ね」
【トーマ】
「よく言われる」
【キリカ】
「本当に空から落ちたの?」
【トーマ】
「俺も記憶がないから、実感は薄い」
メルが首を傾げる。
【メル】
「記憶がないのに、怖くないのぉ?」
【トーマ】
「怖い」
トーマは素直に答えた。
メルは少し目を丸くする。
【メル】
「でも逃げないんだぁ」
【トーマ】
「逃げたら、もっと分からなくなる」
その言葉を聞いて、キリカは少しだけ黙った。
そして小さく言う。
【キリカ】
「変な人」
【トーマ】
「それもたぶん、よく言われるようになる」
【キリカ】
「まだ言われてないの?」
【トーマ】
「最近増えてきた」
メルがくすくす笑った。
そこへ、別方向からまた声が響いた。
【???】
「ずいぶん楽しそうね」
今度はテリア王国のリトルヴァルキリーだった。
二人はよく似ていた。
姉妹だと一目で分かる。
姉と思われる少女は、薄紫の髪を肩で切りそろえ、胸を張って歩いている。
腰には魔法剣。
妹と思われる少女は、その後ろを軽やかについてくる。
こちらは人懐っこい笑みを浮かべているが、瞳の奥が妙に鋭かった。
姉が名乗る。
【ルチア】
「テリア王国リトルヴァルキリー、ルチアよ」
妹が手を振る。
【フィナ】
「フィナだよ。よろしくね」
ミアがまた元気よく返す。
【ミア】
「ミアだ!」
ユナが頭を下げる。
【ユナ】
「ユナ」
ノアも小さく言う。
【ノア】
「ノアです」
ルチアはシェインの三人を見て、ふんと鼻を鳴らした。
【ルチア】
「三人組なんて、随分と特別扱いね」
ミアがむっとする。
【ミア】
「特別扱いじゃない!例外処置だ!」
【ルチア】
「似たようなものじゃない」
ユナが冷静に返す。
【ユナ】
「人数が多い分、制限もある。単純な有利ではない」
ルチアはユナを見た。
【ルチア】
「分かっているわよ。それくらい」
【ユナ】
「なら言わなくていい」
【ルチア】
「あなた、結構言うわね」
【ユナ】
「事実だから」
フィナが楽しそうに笑う。
【フィナ】
「お姉ちゃん、負けてる」
【ルチア】
「負けてない!」
ルチアは頬を赤くして言い返す。
それを見たメルがのんびり言う。
【メル】
「どこの国も、二人組って大変だねぇ」
【キリカ】
「あんたが言うな」
リトルヴァルキリーたちが集まったことで、空気は一気に賑やかになった。
ベイルのキリカとメル。
テリアのルチアとフィナ。
シェインのノア、ミア、ユナ。
年齢は近い。
国は違う。
性格も戦い方も違う。
けれど、彼女たちは皆、リトルヴァルキリーだった。
子どもでありながら、国を背負う小さな戦乙女たち。
トーマはその光景を見ながら、複雑な気持ちになった。
これが大会。
ルールのある戦い。
だが、それでも彼女たちは戦場へ向かう。
「心配?」
隣から声がした。
ソルだった。
【トーマ】
「分かるか」
【ソル】
「顔に出ている」
【トーマ】
「……子どもが戦うのは、やっぱり慣れない」
ソルはリトルたちを見る。
【ソル】
「慣れなくていい」
【トーマ】
「でも止めないのか」
【ソル】
「止めるだけでは守れないものもある」
ソルの声は静かだった。
【ソル】
「彼女たちは力を持っている。力を持つ者が、それを知らずにいる方が危険な時もある。だからルールの中で学ばせる。傷つき方も、守り方も、勝ち方も、負け方も」
トーマは黙る。
【トーマ】
「レッドフラッグスとは違うな」
【ソル】
「ああ」
ソルの目が少し鋭くなる。
【ソル】
「ここはまだ、戻れる戦場だ」
戻れる戦場。
その言葉が、トーマの胸に残った。
確かに、大会には終わりがある。
勝敗が決まれば止まる。
傷ついた者は治療される。
殺すことは禁止されている。
だが、セイレンとルークがいる場所は違う。
負ければ死ぬかもしれない。
戻れない戦場。
トーマは自分の腰の剣に触れた。
【ソル】
「お前も、今日は見るだけだ」
ソルが言う。
【トーマ】
「分かってる」
【ソル】
「本当に?」
【トーマ】
「本当に」
【ソル】
「ならいい」
そこへレナが駆け寄ってきた。
【レナ】
「ソル!ロイドが呼んでるぞ!あとトーマも来いって!」
【ソル】
「分かった」
【レナ】
「私はリトルたちの護衛兼応援係だ!」
ロイドの声が遠くから飛ぶ。
【ロイド】
「応援係は任命していません!」
【レナ】
「今、自分で任命した!」
【ロイド】
「却下です!」
レナはしゅんと肩を落とした。
【レナ】
「却下された」
トーマは笑う。
【トーマ】
「護衛だけで十分だろ」
【レナ】
「応援も大事だぞ!」
【トーマ】
「声が大きいからな」
【レナ】
「褒めたか?」
【トーマ】
「たぶん」
【レナ】
「よし!」
ユナが遠くで「大丈夫じゃない」と呟いた。
大会開始前、出場者たちは控え用の広場へ集められた。
そこには各国のヴァルキリーも揃っていた。
シェイン側にはロイド、ソル、レナ。
ベイル側にはリン、ガーネ、ベイル女王。
テリア側にはアリス、ロイ、テリア女王。
トーマはシェイン側の後方に立っていた。
正式な出場者ではないため、参加者席には入らない。
だが、彼の周囲にはやはり視線が集まっていた。
「あれがトーマか」
「忘却の剣の……」
「本当に普通の青年に見える」
「レッドフラッグスが狙ったんだろう?」
小声が耳に入る。
トーマは反応しないようにした。
ロイドから言われている。
視線に慣れろ。
噂に反応するな。
重要人物になるということは、ただ守られるだけではなく、見られ続けることでもある。
それも訓練だ。
【リン】
「固い顔ですねぇ」
横から甘い声がした。
リンだった。
気づけば、いつの間にか距離を詰めている。
トーマは一歩下がる。
【トーマ】
「近い」
【リン】
「あら、警戒されてしまいました」
【トーマ】
「ロイドに注意しろと言われた」
【リン】
「ふふ。ロイドさんは賢いですねぇ」
リンは楽しそうに笑う。
【リン】
「今日はリトルの大会ですけど、あなたもしっかり見ておくといいですよ」
【トーマ】
「そうするつもりだ」
【リン】
「特に、弱い子の戦い方を」
【トーマ】
「…弱い子?」
リンの視線は、ノアへ向いていた。
【リン】
「強すぎる力を持っているのに、心が追いついていない子。そういう子は、戦場でとても危うい」
【トーマ】
「ノアのことか」
【リン】
「ええ。でも、悪く言っているわけではありませんよ」
リンはチャクラムに指を滑らせる。
【リン】
「勝つために必要なのは、強い力だけではありません。自分の弱さをどう隠すか、どう補うか、どう利用するか。それを覚えた子は強くなる」
トーマはノアを見る。
緊張している。
けれど、ミアとユナの横に立っている。
一人ではない。
【トーマ】
「ノアは強くなる」
トーマは言った。
リンは目を細める。
【リン】
「そう信じている?」
【トーマ】
「ああ」
【リン】
「なら、その信頼が足枷にならないように」
【トーマ】
「どういう意味だ」
【リン】
「信じることと、見誤ることは違うという意味です」
リンはそれだけ言って、ひらりと離れた。
入れ替わるように、ロイドが来る。
【ロイド】
「何を話していました?」
【トーマ】
「ノアのことを少し」
ロイドの目が鋭くなる。
【ロイド】
「リンの言葉は半分だけ聞いてください」
【トーマ】
「半分?」
【ロイド】
「全て嘘ではありません。ですが、全て親切でもありません」
【トーマ】
「難しいな」
【ロイド】
「彼女はそういう人です」
トーマはリンの背中を見る。
妖艶で、掴みどころがない。
だが、先ほどの言葉には確かに重みがあった。
信じることと、見誤ることは違う。
胸に引っかかる言葉だった。
その時、広場の中央に魔法の光が集まった。
テリア女王が前へ出る。
自然と周囲の声が消えた。
小柄な姿。
だが、その存在感は場を支配していた。
彼女はリトルヴァルキリーたちを見渡し、次に各国のヴァルキリーたちを見た。
【テリア】
「よく集まったのう」
その声は、魔法によって演習場全体に響いた。
【テリア】
「先日のリトルヴァルキリートーナメントは、予期せぬ事態によって中断された。空から男が降ってくるなど、さすがのワシも予定表には書いておらなんだ」
視線が一斉にトーマへ向く。
トーマは少しだけ居心地が悪くなる。
ベイル女王が豪快に笑った。
【ベイル】
「ははは!予定に書いてあったら怖いわ!」
テリア女王も少し笑う。
【テリア】
「まったくじゃ」
場の緊張が少しだけ和らいだ。
だが、テリア女王の表情はすぐに引き締まる。
【テリア】
「とはいえ、大会は遊びではない。三国の未来を担う小さき戦乙女たちが、己の力、判断、連携を示す場じゃ」
リトルヴァルキリーたちの表情が変わる。
ミアは拳を握った。
ユナは静かに目を細める。
ノアは杖を両手で持ち、深く息を吸った。
キリカは堂々と胸を張り、メルは柔らかく笑っている。
ルチアは誇らしげに顎を上げ、フィナはにこにこしながらも周囲を観察していた。
「本大会は、予定通り集団戦を行う。ベイル、テリアは二人一組。シェインは例外処置として三人一組での参加を認める。ただし、シェイン側には事前に通達した制限が課される」
テリア女王の視線が一瞬だけノアに向いた。
ノアはそれに気づき、少し緊張する。
トーマも気づいた。
テリア女王は、やはりノアを見ている。
ただの出場者としてではない。
何かを確かめるように。
【テリア】
「勝利条件は二つ」
テリア女王が続ける。
【テリア】
「敵側拠点核の破壊、あるいは敵チーム全員の戦闘不能。殺害は禁止。戦闘不能者への追撃も禁止。降参の意思表示が確認された場合、即時戦闘停止。違反者には厳罰を下す」
その言葉は、レッドフラッグスとはまったく違う世界のルールだった。
ここでは殺してはいけない。
ここでは止まることが定められている。
トーマはその違いを、改めて強く感じた。
【テリア】
「また、今回の大会では警備を強化しておる」
テリア女王の声が少し低くなる。
【テリア】
「外部勢力の介入が確認された場合、試合は即座に中断。出場者は避難。ヴァルキリーが対応する」
外部勢力。
その言葉が誰を指すのか、全員が分かっていた。
レッドフラッグス。
紅い旗を掲げる者たち。
トーマは無意識に周囲を見た。
演習場の外。
森。
丘。
観覧席の影。
どこかにセイレンがいるのではないか。
そう思ってしまう。
腰の剣は反応していない。
だが、それが安全を意味するとは限らない。
【ソル】
「トーマ」
ソルが小さく呼んだ。
【ソル】
「探すな」
【トーマ】
「……分かった」
【ソル】
「お前が気を取られれば、向こうの思う壺だ」
その通りだった。
今日はリトルヴァルキリーたちの大会。
自分は見るために来た。
セイレンを探すためではない。
テリア女王は最後に、リトルヴァルキリーたちへ向き直った。
【テリア】
「お主らはまだ小さい。未熟で、迷いも多いじゃろう。じゃが、未熟であることは恥ではない」
その声は、不思議と優しかった。
【テリア】
「大切なのは、己の未熟さを知り、それでも前へ出ることじゃ。仲間を信じ、敵を侮らず、最後まで己の役目を果たせ」
ノアが少しだけ顔を上げる。
テリア女王の言葉が、自分に向けられているように聞こえたのかもしれない。
【テリア】
「小さきヴァルキリーたちよ」
テリア女王は手を掲げた。
【テリア】
「今日、この戦場で、お主らの力を示せ」
大きな拍手が起こった。
大会が始まる。
その空気が一気に場を満たした。
開会式の後、各チームは控え区域へ案内された。
試合順はくじ引きではなく、前回中断時の状況を踏まえて再編成されていた。
初戦は、シェイン対ベイル。
つまり。
ノア、ミア、ユナの三人と、キリカ、メルの二人が最初にぶつかる。
【ミア】
「いきなりか!」
ミアは燃えていた。
【ミア】
「よし、さっきの黒髪に勝つ!」
ユナが冷静に言う。
【ユナ】
「キリカは罠と速攻が得意そう。メルは補助と妨害。正面から行くと崩される」
【ミア】
「じゃあどうする?」
【ユナ】
「こっちも役割を崩さない。ミアは前に出るけど、深追いしない。ノアは防御を張り続けるんじゃなく、必要な時だけ。私は二人の間を繋ぐ」
ノアは頷く。
【ノア】
「うん」
だが、その手は少し震えていた。
トーマはそれに気づいた。
【トーマ】
「ノア」
【ノア】
「何?」
【トーマ】
「怖いか?」
ノアは一瞬迷った。
そして、小さく頷く。
【ノア】
「怖い」
【トーマ】
「それでも出るんだな」
【ノア】
「うん」
【トーマ】
「なら、大丈夫だ」
ノアは目を丸くする。
【ノア】
「どうして?」
【トーマ】
「怖いのに逃げてないから」
何度か交わした言葉。
けれど、今のノアにはそれが一番届いた。
彼女は杖を握り直す。
【ノア】
「うん。逃げない」
ミアが二人の間に割り込む。
【ミア】
「大丈夫だ、ノア!私が前に出る!」
ユナが続く。
【ユナ】
「私が止める」
トーマも言った。
【トーマ】
「俺は見る。ちゃんと見て、覚える」
ノアは三人を見て、小さく笑った。
【ノア】
「うん」
ロイドが最後の確認を行う。
【ロイド】
「シェイン側の制限を再確認します。拠点核の耐久値は通常の八割。十分ごとに現在位置の区域情報が敵側へ開示されます。補給地点は通常三回のところ、一回のみ使用可能」
ミアが顔をしかめる。
【ミア】
「やっぱり不利だな!」
【ロイド】
「だからこそ、短期決戦か、区域開示を逆に利用する必要があります」
ユナが考え込む。
【ユナ】
「区域開示を囮に使えるかも」
ロイドがわずかに頷く。
【ロイド】
「良い視点です」
ミアがユナを見る。
【ミア】
「どういうこと?」
【ユナ】
「後で説明する」
【ミア】
「今して!」
【ユナ】
「時間がない」
【ミア】
「ひどい!」
レナが三人の前にしゃがみ込む。
【レナ】
「いいか、みんな!」
ロイドが少し不安そうに見る。
【ロイド】
「何を言うつもりですか」
レナは真剣な顔だった。
【レナ】
「勝とうとして焦るな!でも勝つ気は忘れるな!敵を見ろ!仲間も見ろ!あと走る時は足元も見ろ!」
ユナが少し驚いた顔をした。
【ユナ】
「意外とまとも」
【レナ】
「意外とは何だ!」
ミアは大きく頷く。
【ミア】
「分かった!」
ノアも頷く。
【ノア】
「足元も見る」
ロイドが静かに言った。
【ロイド】
「最後の助言は、ミア向けですね」
【ミア】
「なんでだ!」
ソルは三人を見つめる。
【ソル】
「戻ってこい」
短い言葉。
だが、その言葉に三人は背筋を伸ばした。
勝て、ではない。
戻ってこい。
それが、ソルの一番大切な命令だった。
【ミア・ユナ・ノア】
「はい!」「はい」「…はい」
やがて、係員が呼びに来た。
「シェイン王国リトルヴァルキリー、入場してください」
三人は互いに顔を見合わせる。
ミアが笑う。
【ミア】
「行こう!」
ユナが頷く。
【ユナ】
「うん」
ノアは深く息を吸う。
【ノア】
「行く」
三人はフィールド入口へ向かって歩き出した。
トーマはその背中を見送る。
ミアの小さな背中。
ユナの静かな背中。
ノアの少し震えながらも前へ進む背中。
その背中を見て、トーマは胸の奥が熱くなるのを感じた。
守られるだけではない。
彼女たちも戦っている。
自分の弱さと。
恐怖と。
役割と。
【ロイド】
「トーマ」
ロイドが記録板を渡してきた。
【ロイド】
「あなたの役目です」
【トーマ】
「ああ」
トーマはそれを受け取る。
【トーマ】
「全部見る」
ベイル側の入口では、キリカとメルが待っていた。
キリカは曲刀を抜き、メルは杖をくるりと回す。
【キリカ】
「来たわね、三人組!」
ミアが短槍を構える。
【ミア】
「勝つぞ、ベイル!」
メルがにこにこと笑う。
【メル】
「よろしくねぇ。痛かったら言ってねぇ」
ユナが静かに構える。
【ユナ】
「言う前に止める」
ノアは杖を胸元で握った。
そして、三人の周囲に淡い光が一瞬だけ灯る。
強すぎない。
弱すぎない。
制御された、柔らかな魔力。
ロイドが小さく呟く。
【ロイド】
「…いい出力です」
ソルも静かに頷いた。
フィールドの上空に、巨大な魔法陣が展開される。
テリア女王の声が響いた。
【テリア】
「第一試合」
観覧席が静まる。
【テリア】
「シェイン王国、ノア、ミア、ユナ」
三人の名が呼ばれる。
【テリア】
「対するは、ベイル王国、キリカ、メル」
キリカが低く構える。
メルの杖の先に淡い光が灯る。
ミアが前へ出る。
ユナが少し後ろに位置取り、ノアが二人の中間に立つ。
トーマは息を止めた。
始まる。
ノアたちの戦いが。
三国の視線が集まる、小さな戦場が。
テリア女王が手を振り下ろした。
────────試合、開始じゃ!




