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AIのリアル化と人間のフェイク化

作者: エンゲブラ

最近、AIが生成するコンテンツの精度が、ぐんぐんと上がり、非常にリアルなものになってきている。おどろくべき進化速度だが、そこは人間だって負けてはいない。


そもそも、AIのリアル化よりも「人間のフェイク化」の方が、始まりが早い。まずはSNS時代の到来によって、「虚構の暮らしぶり」を自己演出する人種が登場する。一般人が、あたかもセレブのような毎日を過ごしているかのように、虚飾の投稿を開始する。


多くの人間が「すでに価値のある人間にしか敬意を払わない」ということを身に染みて理解している連中が、「自分は敬意を払われるべき存在だ」とばかりに、嘘の価値を作り始めた。


そんな空間用に、顔のディテールを加工するアプリが登場し、大ヒットする。さらにそのニーズの究極的な答えとして、ディテールはおろか、顔そのものを別人に挿げ替えるディープフェイクや、フェイススワップが登場する。


現実を加工する。

自分自身のフェイク化であるが、ここまで来ると「自分とはいったい何か?」ともなってくる。


友人といっしょに写真を撮る際、お互いが加工アプリで撮影を行う。そこに映るのは「加工された後のお互い」となるわけだが、数十年後、その写真や動画を見た時、果たして、ふたりは「加工前のお互いの顔」を思い出すことが出来るのだろうか?


ショックというのは、その「落差」によって生まれる。こどもの頃から、現実を拡張し、上方修正を重ねることが習慣化している現代人ほど、歳を取ってからの現実へのショックも、厳しいものとなるだろう。


ディストピア的ユートピアを思い浮かべるなら、国民の大半が脳に直接、端末をインプラントし、脳処理を半スマホ化させ、加工アプリの常時起動も義務付ける、といった未来あたりか。これなら「加工された世界こそが現実」とすることも出来るかもしれない。


「魂だけで、自分を見てくれる理想の世界」と考える人間も出てきそうだ。しかし、魂は姿・形にも引きずられる性質を持つのため、そこにある魂もまた、二次的な「加工を受けた魂」ということになる。―― あっ、あまりSF的な仮説は、ここらでやめておくべきか。整形論とも繋がってくる話だ。


「人格」の話をしよう。

言語生成AIは、そのモデル設計上、非常に「中庸な人格者」であることを、キャラとして強いられているものが多い。あまりにも中庸であるため、尖った発言などには眉をひそめるように、無反応になるケースも少なくはない。


一方、人間はその人格の破綻ぶりを加速させているようにも見える。インターネットという「バカが集まれる空間」が作られたことによって、バカとバカが共鳴し合い、バカが「誤った情報」を「誤った解釈」で「誤った確信」をもって、集団でバカ騒ぎ出来るようになったためだ。


本来、「孤独であるべきバカ」が集団化することによって、「少しはまともになる機会」をも失ってしまっている(自省の消失)。人生には、あまり、お手軽に下げない方がよい留飲もあるのだが、バカはバカであるがゆえに、それが理解できない。―― あっ、またいつもの脱線&暴言か。


フェイク化の話だった。

人格のフェイク化でいえば、やはりChatGPTなどの登場の影響が大きい。なまじっかAIが提示する答え(のようなもの)が、それなりのクオリティを示してくれるようになったため、自分で考えない、調べない人間が激増している。AIから得た知識をあたかも、もともと自分の知識であったかのように、ひけらかしもする。


この行為自体は、その後に訪れる恥ともセットなので、かまわないのだが、問題は「恥の後にとる態度」だろう。恥の経験から実際に学習を始めるのか、それとも恥をかき捨て、永遠にAIに全ての判断を委ねるのか。圧倒的に後者が増えそうなのは、現段階でも容易に予測ができる。


AIは、人類が作り出した。

人類は、いわばAIの親でもあるわけだが(別に我々自身が「設計者」であるというわけでもないのだが)、実際にはAIが親で、人間がその子供化し始めているのが、ここ最近の風景か。まだシンギュラリティには、到達していないはずだが、大半の人間の知能よりも、すでにAIが上になってきているための現象なのだろうが、その先には、いったい何が待ち受けているのだろうか。


人間のフェイク化(=空洞化)は、さらに加速していくことになるだろう。その究極的な形態が、政府も推し進めている「ムーンショット計画」―― 都市伝説ではなく、ちゃんと内閣府のHPにも、何年も前から掲載されている夢物語。――なわけだが、 自分自身をデジタルデータ化した際、地上に置き去りになる、かつては人間の主体であったもの=肉体は、その存在意義をどう残すのだろうか。本来、アナログであるはずの魂のデジタル化に関しては、筆者は懐疑的なのだが、フェイク化になれた人間たちは、すでに自分自身のデジタル変換の訓練を日頃から繰り返しているので、案外、違和感を覚えることもないのかもしれない。


―― どのみち、日本はAI技術に関しては、致命的に遅れている(プログラムの感性もない)ので、中国製のサーバーに、日本人の魂も随時アップロードにされるという未来図も、また見えてきそうである。


設計思想の観点から考えれば、保守的な人間ほど、実は中国が作る仮想空間の方が、死後も生きやすいのではないか、と個人的には考えている。


何も考えずに、アメリカ製のサーバーにアップロードされてしまっては、それこそ「多民族国家の価値観」の渦の中に放り込まれ、混乱に陥ることが明白だ。しかし、保守的なつもりの日本人ほど、中国よりもアメリカを選びそうなのが、また、なんとも言えないバーレスク的未来を予想させる。

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