数字の使い方の是非
俳句での、「数字の使い方」の分かりやすい解説がありました。
某和服コスプレの毒舌先生のテレビ番組では、「分かってるなら情報を入れなさい」とか「リアリティーが大切」という話を聞いたことがありますが、テレビのコーナーの一部なので解説は少ないと思います。
確かに十七音の中に数字を入れると、間違いなく数字が目立ちます。その目立つ=強調された数字に、意味があるかどうかの是非でした!
例えば「星月夜」が、「万」や「億」という数字ならば、想像の範囲内の当たり前のことで不要。「月」が「一つ」でも、同じく不要なことで、ただ数字を使って繰り返しただけなのに、数字が目立ってしまう。
逆に「星月夜」が「一つ」・「月」が「2つ」ならば、それが何かという話になり効果あり。他にも時間表現でも同じ。「夜」ではなく「2時」と具体的でなければならない意味・狙いがあるのか? と考えると何となく分かるような気がします。
そこで思い出すのが、秀作句となった「三年で離婚決めた夜千切る萵苣《萵苣》」です。
この句の「三年」には、意味があるのでしょうか? 時間ではなく「窓際で」・「鼻歌で」のように、場所や動作ではダメなのかと考えてみます。
「三年」が示唆するのは、離婚を決意するまでに蓄積された感情のつもりでした。ただ一般的には、結婚してから三年で離婚となると、ある程度の年齢が決まってくるはず。やはり20~30代の人が多くなると思います。
これが熟年離婚であれば、何年・何十年前からの秘めた思いであったり、悟られまいとする強かさ。父の千切るよりは、鋭い包丁で切る方がイメージに合うかもしれません。
そう考えると、千切るレタスの感触や音が活きるのは、「若さ」=「三年」。幾つもの想定外の要素が組み合わさった句だったのかもしれません!




