3話
自室のベッドの上で、メスティー・スライミは自分の指先を眺めていた。手の甲に刻まれた紋章。切っても切り離せない血縁の証拠。
この手が触れたものはどんなに美しいものでも溶けてしまうだろう。
だから彼は誰にも触れないし、誰も彼には触れたがらない―――
「おい!メスティ!迷宮にいこう!」
―—この男を除いて。
「ユリウス・・・部屋に入る時はせめてノックしてくれないか。心臓に悪い。」
ベッドから体を起こしながらドアの方に声をかける。
「ああ。そうか、ごめんごめん。それで、どう?迷宮探索。」
ユリウスは明るい笑顔を崩さない。
「わかった、行くよ。でも・・・二人では行かないだろ?他の人たちがなんていうか・・・」
ため息をつき、手袋をつけながら部屋から出る。
「ははっ!気にするなって!それに、今回は君の力が必要なんだ。」
「ユリウス遅い!」
二人が寮の外に出ると、今回のメンバーが揃っていた。
回復術師のビスタシオンと、コボルトのモモ。こいつはなんだかんだ寮で冒険者として生活している。そしてもう一人。不愛想に鉄剣を磨いている少年、リッシュ・アンバーがいた。
「紹介するよ。リッシュ。最近ウチに入ったんだ。リッシュ、こいつはメスティ。今回の後衛担当だ。」
簡単に自己紹介を済ませ、迷宮に向けて歩き出す。
前方を歩くリッシュとユリウス。彼らが何か話しているのを見て、メスティはまた一つため息をついた。
「どうしたの?ため息なんかついて。」
この後、迷宮に着くまでの話を考えて。リッシュの秘密には触れないように
「いや……ユリウスは相変わらずだなって思っただけだよ。僕みたいな嫌われ者を、平気で新しい人に紹介するなんて」
メスティは手袋に包まれた自分の両手をギュッと握りしめた。スライミ家の悪名は冒険者の間でも知れ渡っている。今は何も言っていなくとも、いずれあのリッシュという少年も自分を気味悪がるに違いない。
彼の生まれであるスライミ家は、大陸に名が知れ渡るほどの暗殺者の一族である。血継魔力であらゆるものを高温にすることなく溶かしてしまう。もちろん、人体すらも。
「ユリウスはそういう人よ。それに、リッシュくんも何か事情があるみたいだし、気にすることないわ。うちのパーティはそういう人の集まりなんだから」
ビスタシオンはクスッと笑い、優しくフォローを入れる。
すると、足元を歩いていたモモが、メスティのローブの裾をふんふんと嗅ぎにきた。
「ひっ……あ、あんまり近づかない方がいいよ。万が一、手袋が外れて君に触れたら……」
メスティが慌てて距離を取ろうとするが、モモは気にする素振りも見せず、短く「ワン」と鳴いて尻尾を振った。どうやら彼なりの挨拶らしい。獣人特有の鋭い感覚を持つモモが警戒していないことに、メスティは少しだけ毒気を抜かれた。
「それにしても、無口な子ね」
ビスタシオンの視線の先には、ユリウスの隣を歩くリッシュの後ろ姿があった。
メスティも彼を観察する。リッシュの腰に下げられているのは、どこにでも売っているような安物の鉄剣だ。しかし、彼は歩きながらもその柄の感触や、鞘との摩擦を異常なほど几帳面に確かめている。
まるで、その「普通の剣」の扱いに必死に慣れようとしているかのように。
「リッシュは剣士……なのかい?」
「ええ、前衛を任せるってユリウスは言っていたわ。でも、どこか緊張しているみたいね」
二人の視線に気づいたのか、前を歩いていたユリウスがくるりと振り返った。
「さて、みんな! 今回向かうのはエルメール迷宮、五階層!全体がレンガ造りになってるエリアで、換金性の高い遺物が狙える。基本は魔物の素材集めがメインだけど……」
ユリウスは少しだけ声を潜めた。
「最近、四階層の浅い場所で、厄介な火トカゲ——いや、フレイムドラゴンの幼体の目撃情報がある。」
フレイムドラゴン。超高温の炎を吐き出す、大型のドラゴンだ。世界的に見ても撃破報告は数件しか確認されていない。
「だから、万が一そいつと鉢合わせた時のために、後衛のメスティ、お前の『現象操作』が必要なんだ」
「僕の……力」
メスティは息を呑む。触れた物を溶かす力。それをユリウスは以前から『現象操作』と言い換えて面白がってくれていたが、実戦でどう使うというのだろうか。
確かに父なら役に立つだろう。人体のような複雑なものでも簡単に溶かしてしまうのだから。メスティにはそこまでの技術はない。単純な構造のものしか操作できない。
「ああ、お前なら絶対にできる。頼りにしてるぜ!」
ユリウスの根拠のない、だが不思議と安心感のある笑顔に、メスティは小さく頷くしかなかった。
やがて、一行の目の前に巨大な口を開けた迷宮の入り口が見えてきた。
地上とは明らかに違う、魔力が混じった重く冷たい空気が肌を撫でる。
「……着いたな」
先頭に立っていたリッシュが足を止めた。彼は腰の鉄剣を軽く叩き、自分に言い聞かせるように低く呟いた。
「僕は、僕の仕事をこなすだけだ。……目立たず、普通に」
「よし、それじゃあ気を引き締めて行こうか!」
ユリウスの号令とともに、一行は仄暗い迷宮の奥へと足を踏み入れた。
迷宮探索を初めて二日目、全員が異変に気が付きだした。
迷宮は深部に行くほど空気中の魔力が濃くなる。そのため深層のほど魔物は強くなる・・・はずだった。
四階層付近から中型の魔物が減っている。
「なあ、ユリウス・・・」
「わかってるよ、リッシュ。明らかに異常だ。」
この異常は、フレイムドラゴンに起因することだと全員が分かっていた。
ドラゴンは魔物の食物連鎖の頂点に立つ存在だ。新たな捕食者現れたことで他の大型の魔物は浅層に逃げ出す。五階層から逃げてきた魔物が四階の魔物を狩ってしまったのだろう。
メンバーの間に緊張が走る。
「さ、五階層に足を踏み入れよう。」
ユリウスの声を合図に、一行は五階層へと続く石段を下り始めた。
階層を跨いだ瞬間、空気が一変するのを感じた。
重たい魔力に混じった熱気。焦げたようなにおいが微かに鼻を突く。
「暑いわね・・・。五階層ってこんな気候だったかしら。」
ビスタシオンが額に浮かんだ汗をぬぐいながら言う。
「いや、自然の熱じゃない。それに・・・静かすぎる。」
ユリウスが周囲を警戒しながら答えた。
五階層は頑強なレンガで構成された広大な回廊である。そのためかなり底冷えするエリアのはずだった。本来であれば徘徊しているはずの魔物が見当たらない。一行の足音だけが不気味に響き渡る。
しばらく歩くと、天井に針がびっしり敷き詰められたエリアに来た。
ふと、先頭を歩いていたリッシュが足を止める。
「リッシュ、どうした?」
壁のレンガにそっと触れると、そのレンガがボロボロと崩れ落ちていく。ビスタシオンが小さく悲鳴を上げる。
「これは・・・ただの経年劣化じゃない。レンガが高温に晒されたことによる変質だ。普通の魔物の仕業じゃない。」
リッシュの言葉にメスティーも壁をのぞき込む。硬いはずのレンガが、炭のようにぐずぐずになっている。
「それに・・・この天井も。」
リッシュは天井の針を見つめる。
「これは・・・溶けたレンガだ。」
「え?」
「おそらくフレイムドラゴンのブレスによって一瞬溶け、垂れ下がった状態で固形になったんだろう。」
メスティーが思わず息を呑んだその時、モモが「グルルルル・・・」と低く、激しい唸り声をあげた。
全身の毛を坂が手て通路の奥を睨みつけるその姿からは普段のかわいらしさは消え失せている。
「みんな、武器を構えろ!」
ユリウスの鋭い声が響く。その瞬間、レンガの壁が歪んだように見えた。通路の先、暗闇に包まれた広大なホールから空気が押し寄せてくる。
熱波だ。息を吸い込むだけで喉が焼けるような、圧倒的な熱量。
地鳴りのような足音が広間から近づいてくる。
やがて暗闇の中から、黒い鱗に身を包まれた巨大なドラゴンが現れた。喉の部分だけが青色に発光している。
「嘘だろ・・・情報じゃ、迷い込んだのは幼体だって・・・!」
メスティーも初めて聞く、ユリウスが焦りの声を上げる。
目の前に立つそれは、幼体などではなかった。広間を埋め尽くすほどの巨体は、鋼のように隆起した筋肉で覆われている。熱せられた空気のみせるかげろうで、その輪郭は不自然に歪んで見える。この階層にいた魔物を食い尽くした張本人。
そのドラゴンが、獲物を見つけたと言わんばかりに一行を見下ろしていた。
ドラゴンは空中で牙をガチガチと鳴らしている。喉の光が、青から緑、黄色へと色を変えていく。それは、超高温のブレスが放たれる予兆だった。
「だめだ・・・」
リッシュは腰の鉄剣を強く握りしめた。
フレイムドラゴンの鱗は温度で変色する。黄色ともなれば、1,000℃はくだらないだろう。
この装備でそんなブレスを食らえば、骨しか残らない。
その時、誰かに強く腕を引かれた。
「こっちだ!!」
メスティーが叫ぶ。
メスティーが気が付くと、レンガの壁には、先ほどまではなかった大きな穴が開いている。穴の周りがドロドロに溶けているのがわかった。
それが、彼が忌み嫌っていたものを溶かす魔法によるものだと、リッシュにも理解できた。
「メスティー・・・」
横穴をふさぎ、レンガの壁の中に身を隠す。壁を隔てたすぐ横で、ブレスが放たれる轟音が聞こえた。
「間一髪・・・だったね。」
ビスタシオンの魔法で明かりがつけられると、メスティーが汗だくになりながら笑みを浮かべているのが見えた。
「お前・・・なんで魔法を・・・」
リッシュは驚きと緊張からの緩和で声を絞り出す。
「あ・・・ああ、ごめん、そうだよね。すぐ手袋付けるから・・・」
「いや、そうじゃなくて。」
「え?」
「孤立するのが・・・怖くないのか?」




