番外編:尊大な男
よく考えたら、佐々木さんが俺を紹介する事自体おかしいんだ。いくら大手の銀行員だからといって、すぐに信用したのはまずかった。
「だから、そんなものいないっていってるでしょ。」
「お気持ちはわかります。でも、これが最初にみなさんに体験頂く事なんです。」
目の前に座っているのは、どう見ても頼りない感じの黒縁メガネの優男だ。詐欺にしては、芝居が下手すぎる。俺より若い。まだ30代半ばぐらいだろうか。
「帰ります。」 ソファーからを立ち上がろうとする俺を、えらく恰幅のいい女が引き止めた。
「まあまぁ、ちょっと待ってください。いきなりこんな事言ってしまってすみませんね。そりゃ驚かれますよね。」
「当たり前でしょ!どう考えてもね。これは詐欺ですよ。こんな6人も集まって。え?マルチですか?こんなのだと知ってたら俺は来ませんでしたよ。」
「あははは。そう思いますよね。でも私からもう一度説明をさせて頂けませんか?せっかくのご縁です。どうか。」
年はだいたい60を過ぎた頃だろうか?どこのブランドかわからない花柄ピンクのセーターで、手にはゴールドの指輪がデカデカとチラつく。女は愛想よく俺に茶を勧めながら、優男の隣へ座った。
「すみません。急に、霊とか言われたら驚きますよね。」
「そりゃ普通そうでしょ。」
「佐々木さんからはどのように聞いていたんですか?セラピーを受けると人生が変わると言われたんでしょうか?」
「まぁそんなもんです。」
先週の木曜の夜、新橋で出版社主催の「歴史小説ファンの集い」があった。幕末の志士から、戦国時代、中国の古代史まで幅広いジャンルの小説のファンが集まる、読書会のようなものだった。
その時、偶然佐々木さんと再会した。佐々木さんは、俺がまだ30代の頃通ったビジネスセミナーで出会い、そこからたまに会って話す仲だったが、もう10年以上会っていなかった。再会を喜びそのまま近くの焼き鳥屋へ飲みに行ったのだ。
前に出会った頃の佐々木さんは、仕事でのプレッシャーに悩まされ彼女ともうまくいっていなかったが、今では、出世し、7歳年下の女性と結婚したと聞いた。昨年二人目の女の子が産まれたそうだ。俺とさほど年は変わらないはずだが、顔のつやも俺よりずっと良い。
一方俺は、娘の中学受験のことで嫁ともめていた。家族とは全く会話をしていなかった。仕事もいつリストラ候補に上がってもおかしくない状況だ。つい佐々木さんに愚痴ってしまう。煙が目にしみ、目頭をおさえていたのが、泣いているように見えたのだろか。えらく同情されたらしい。佐々木さんは、真剣な面持ちで、このセラピーを紹介してくれた。
始め聞いたときは、セラピーなんかで人生が変わるわけないと思っていたが、真面目な銀行員として出世した人が言うことだからと、一度信じてみようと思い来たのだ。
すると、いきなりなんだ。未浄化霊だの、生まれ変わりだの、御守護の神様ってなんだ。
「信じて頂く必要はありません。こんな話疑って当然です。でも、ここへ来られた時点で、もうすでにセラピーは始まっているんです。今日ここへ来る前に何かトラブルはありませんでしたか?」
女はそう言うと、細い目をさらに細くして俺をニコニコと見る。
「いや、そんな大したことは。ちょっと電車が遅れたくらいですから。」
「そうですか。やはり、お守りがあるんですね。」
女はさらに続ける。
「人生で何かよくないことが起こった時、原因は自分にあると考え、努力されてこられたのだと思います。あなたの様な方に、このセラピーは必要なんです。なんでも他人のせいにする方は、ここには辿り着けません。今日これからここで行う神事は一生に一度のセラピーです。ご縁があって来て頂いたのです。お任せ頂けませんか?」
女はそう言うと、「太田さん」と、壁際にいた女を呼ぶ。
「本日一緒にセラピーを担当させて頂く太田好子と申します。よろしくお願いします。」
丁寧にお辞儀をすると、俺のすぐ斜め前に座った。水色のカーディガンを羽織った小柄な女だ。
今更立ち上がることもできず、もう適当に流しておくことに決めた。俺はそのまま、その太田と呼ばれた女からセラピーの流れを聞き、奥の部屋について行った。
部屋には、ポツンと簡易ベッドが1台。両脇に丸椅子が2つ置いてある。別段特に目立ったものはないが、壁の真ん中に聖母マリアの絵が飾ってある。
俺は言われるがまま、簡易ベッドに横になる。もう、どうにでもなれと思い、ぞんざいに足を投げ出した。タオルケットを上からかけられたが、何やらハーブのような匂いがツンと鼻につく。
足下の椅子にさっきの恰幅の良い女が座る。名前を柴田と名乗った。
「これから少し眠くなりますが、楽にしてください。眠くなれば寝て頂いて結構です。」
さっき太田と名乗った女が俺に言う。こんな怪しいところで誰が寝れるものか。
「博さま。これから未浄化霊の方を呼び、私達が話をします。その間、決して博様は声を出さないでください。ご用のある際は、私に手を挙げて教えてください。」
続けてそう言うと、何やら霊を呼び出すための文言を唱え始めた。
とんだ茶番だ。もうすぐに帰ろうと思い、俺はさっさと終わることだけ考えていた。
「それでは、成り代わりを致します。」
足下の女の声が急にしゃがれた、老女の声に変わった
霊体:あー、坊ちゃま、お労しや。坊ちゃま、坊ちゃま。
太田:あなたは、この方とどのようなご関係ですか?
霊体:私は坊ちゃまの乳母でございます。
なんだ?ぎょっとして、足下に目をやるが、さっきと同じ女がそこに座っている。
太田:あなたは、この方に何を伝えたいのですか?
霊体:坊ちゃまに、危険が迫っています。お助けしなければならないのです。
なんだ、なんだ、この茶番は。俺は頭を傾け、すぐ隣の女を見た。冷静なそぶりでカーディガンの袖をキュッと握ると、女は当たり前のように、聞き返した。
太田:何が危険なのです?
霊体:すぐ側まで来ているのです。私がお守りせねば、ならないのです。
突然、足下の女が、息をはぁっと吐き、ポキポキと首を鳴らす。
柴田:この乳母の方。この方と過去世のご縁ですね。この方は過去世、とても裕福なご家庭に生まれています。この乳母の方は、この方を大変可愛がっていたそうです。
するとまたポキポキと首を鳴らし、しゃがれた声に変わった
霊体:旦那様は、それはお優しい方でした。ですが、ある日暇を出されましてね。坊っちゃまを遠くの親戚の家に療養に出すからしばらく来なくて良いと言われたんです。私は大変に落ち込みました。もしかしたら、私に何か落ち度があったかもしれないと思ったんです。私は、どこに行かれたのかを聞いて、その療養先へ向かったんです。
太田:そうだったんですね。会うことはできたんですか?
霊体:残念なことに、私はその療養先に向かう途中で、命を落としました。峠を越えたあたりで、息苦しくて。
太田:そうでしたか。それは大変でしたね。でも今目の前におられるのは、大人の男性です。あながたお世話していた、坊ちゃんではもうありません。お気付きではないですか?
霊体:いいえ!この子は私の坊ちゃんです。やっとお会いできたんです。
迫力がある。下手な芝居を見るよりずっと面白い。すると足下の女が、急に顔色を変えた。
柴田:妙ですね。今もう一人男性の方が出てきています。この乳母の方を押しのけて前に出てこられました。この男性の成り代わりをいたします。
太田:はい。
霊体:はぁ。あなた方よく見つけてくださった。頼む。私の話を聞いてくれ。
こんなことがあって良いものか。女の声が野太い男の声に変わった。それも一瞬でだ。
太田:あなたは、この方とどのようなご関係ですか?
霊体:私は僧侶である。あなた方が先ほど話していた乳母と申し出た者を助けようとしていた者だ。
太田:助けようとしていたとは、どういうことでしょうか?
霊体:この乳母と申したものが、峠で生き倒れいているのを私がみつけた。だがその倒れていた場所が霊道と繋がっており、陰の気で溢れておった。私はすぐにこの乳母を助けに入ったが時既に遅く、妖や陰の気に侵されてしまった。悔しいが、私もその陰の気に巻き込まれ同じく命を落としたのだ。
俺は、もう何が何やらわからなくなっていた。確かに鬼気迫る男の声だ。喉の奥が急に冷たくなるのを感じ、思わずタオルケットを握る。
太田:つまり、この乳母の方を助けようとしたが、あなたも巻き込まれ命を落としたと?
霊体:いかにも。あぁこうしている今でも浸食されている。あなた方からは見えないか?私が今でも陰の気を抑え込んでいるのが。
フーッと大きな息を吐く音が聞こえ、また女の声に戻る。
柴田:あぁ、わかりました。この乳母の方が霊道のアンテナのようになっています。この乳母の方を伝って、妖が出てこようとしてます。それをこの僧侶の方が必死に抑え込んでいます。そして、その事にこの乳母の方は気がついていませんね。
太田:この場合はどうしますか?
柴田:もう一度乳母の方に成り代わり、僧侶の言っておられる現状を見ていただきます。
太田:わかりました。
柴田;成り代わります。
額から油汗の様なものがにじみ出る。拭うこともできず、俺はただ硬直していた。
霊体:はぁ、今何か黒い影が。坊ちゃんご無事ですか?坊ちゃん。
太田:今からあなたに見ていただきたいものがあります。あなたが亡くなったとき、助けに来られた方がいたのをご存知ですか?
霊体:いいえ、そんな方はいなかったと思います。
太田:お気付きでなかっただけです。今から真実をお見せします。しっかりご覧ください。
突然、部屋の空気が変わった。息苦しい。左腕が重く、指先が痺れてきた。
霊体:ああぁ!やめてくだされ!やめてくだされ!
足下の女は一度眉根を寄せると、また首をポキポキと鳴らした。
柴田:この乳母の方、自分が霊道と繋がっていることを理解された様です。自分の体を伝って妖がこの方を襲おうとしているのがわかったんですね。そして、僧侶の方にやっと気づかれました。
どうやら、この方に妖が迫るのが見えたので、それから守ろうとしていたようです。が、結局その妖は、この乳母の方ご自身が呼び寄せていた事に今お気づきになられました。
ふぅ。
女は息を大きく吐くと、もう一度乳母に成り代わった。
太田:ご理解いただけましたか?
あなたが守ろうと側にいることが、この方を苦しめているのです。
霊体:私はなんてことを。坊ちゃん。許してくだされ。どうか許してくだされ。
太田:あなたは、還るべきところへ還るのです。そこで光となりもう一度然るべき道を辿り生まれ変わるのです。
霊体:あぁ、坊ちゃんのためなら、私はなんでもします。なんでも。えぇ、えぇ、坊ちゃん、ぁあ坊ちゃん。
太田:わかりました。それではご準備ください。
なんだ。涙が頬を伝う。俺はなぜ泣いているんだ。
柴田:僧侶の方に一度成り代わります。
霊体:あなた方、ありがとう。礼を言う。私はこのままこの霊道の妖たちも共に連れて行こう。
柴田:準備が整いました。
太田:それでは。お還りください。
パン!
柏手の音が部屋中に響き渡った。左腕の痺れも取れた。一気に血流が戻ってくる。手を開き、もう一度握る。柔らかいタオルケットの感覚が蘇ってきた。
「ご気分は悪くないですか?」
横の女にそう聞かれたが、何も答えられなかった。ただ呆然と天井を見ながら、よくわからない涙が頬を伝うのを拭った。
それからまた、文言を唱え、何やら話していた様だがそれからのことは殆ど記憶にない。気がつくと、俺は簡易ベットから起こされ、最初にいた部屋に連れて来られていた。
「ハーブティーです。どうぞ」
水色のカーディガンの女が俺の前にティーカップをおく。目の前にまた、さっきの優男がいる。
「ご気分はいかがですか?」
男は、少し笑みを浮かべているが、大して腹が立たない。なぜだろう、さっきはあんなに腹がたったのに。なぜ俺はあんなに腹が立っていたんだ?あそこまで喰ってかかる事をこの男はしたのか?
「はい、大丈夫です。」
素直にそう返事していた。
「お顔の色もとても良くなられました。よかったですね。」
「はぁ。どうも。」
そんな感じで、淡々と返事をしていところ、あの恰幅の良い女がやってきた。
「山本さん、おめでとうございます。ようやく本来の魂の生き方ができる様になりました。
魂をピカピカに磨いた事、さらに御守護の神様からの祝福も受けておられる。これからがとても楽しみですね。」
あはははと、大きく笑うと、その女は俺を玄関まで見送る。
「またもし何かあれば、いつでもご連絡ください。窓口は太田が担当しておりますので。」
「はい、また何かあればいつでもお待ちしております。」
俺は、会釈をしそそくさと、その場を後にした。
「山本さん、来週の土曜時間あったよね?新宿御苑でお花見しましょーって柴田先生から連絡来たんだけど参加できる?」
スマホのカレンダーを見ながら、好子さんが俺に言う。
「ああ、うん大丈夫だよ。」と、俺は窓から街路樹の桜を見ながら答えた。
もうすぐ7年になる。
あの時もし俺が、帰っていたらどうなっていたのだろう。
俺はまだ、前の女房と暮らしていたのだろうか?そもそも生きていたのだろうか?
いや、歴史にもしもはないんだ。結局俺はここに来て、こうなるんだ。