ファイル1 高木義夫:前編
「早めに出たんですがね、駐車場の空きがなかなか見つからなくて。すみません、時間もう過ぎてますよね?」
「いいえ、時間通りです。無事に到着されて良かったです。」
男は水滴を拭い、濡れた靴を申し訳なさそうに、脇に置くと、スリッパに履き替えた。黒いダウンジャケットを預かり、奥の部屋に案内する。
部屋には来客者用の白い肘掛け椅子が一つ。木目の四角いテーブルを挟んで、丸椅子が両脇に並べられている。壁には、A4サイズの黄色の光を表した洋画が飾ってあるが、それ以外は簡易ベッドが置いてあるだけだ。
「こんにちは。お待ちしておりました。私、太田好子と申します。」
好子さんが満面の笑みでお出迎えする。
「はぁ。どうも、高木義夫と申します。よろしくお願いします。」
肘掛け椅子に座るよう促し、好子さんはお茶を取りに給湯室へ向かった。
高木と名乗った男は、軽く会釈をすると椅子に腰掛け、曇ったメガネのレンズをを拭いた。頰がこけているせいか、少し俯くだけで影がさす。
好子さんが、香ばしいほうじ茶の入ったカップを持って部屋に入ってきたところで、俺も自己紹介をする。
「初めまして。私セラピストの山本博と申します。本日はセラピストの太田好子さんと共にセラピーを担当させて頂きます。よろしくお願いします。」
俺が挨拶し、高木さんの向かいの席に座った。好子さんは、高木さんから見て左隣の席に座る。
最初に口を開いたのは、好子さんだった。
「高木さんは、確か奥様の妹さんからのご紹介でしたよね?」
「ええ。実は私はこういったセラピーには無頓着な方でして。妻が妹から話しを聞いたようで。私にセラピーを受けるよう勧めてきたんです。」
高木さんは、ポツリと話し出した。
昨年、父親の不整脈が見つかったことをきっかけに、20年勤めた食品会社を脱サラし、実家の印刷業を継いだ。不安ではあったが、長く続いた稼業を潰すことができず、なんとか続けようと奔走してきたが、自分が跡を継いでからというもの、不慮の事故やトラブルが相次いだ。車の当て逃げ、ボヤ騒ぎ、経理の横領。4歳になる息子のアトピーが悪化。父親の病状も悪化し、母も妻も世話で疲れ切っているという。
「私は、こういった事が全部神や、何か妖怪のせいだとは思いたくはないんです。会社に神棚はありますが、蔑ろにしたことはありません。今回セラピーを受けると決めたことは、自分でも大変驚いているというか、もう仕方ないというか。」
「わかります。日常では考えにくい事かと思います。」
好子さんは、うんうん、と相槌を打つ。
「すみません、失礼なことを言って。ただ、不信感がある私でも受けて良いんでしょうか?」
「もちろんです。今ここに来てくださった時点で、既にセラピーは始まっているんです。ご縁があるからこそ来られたんですよ。本当によかったです。」
好子さんに続いて俺からも話す。
「そうです。気を楽にしてください。」
「ありがとうございます。本当は、妻の妹の変化に少し賭けて見たくなったんです。あんなに病弱だったのに、今では別人のように活躍している姿を見て、とても驚いてしまって。」
高木さんはそういうと、ふーっと息を吐き、メガネを外して、軽く目頭を抑えた。
「お話しして頂き、ありがとうございます。ではここからは、私山本が(たまぴかセラピー)について説明致します。」
仰々しく言った割に、取り出したのは、クリアファイルに挟んだ自作の簡単なイラストだ。
「これから話すことは、信じて頂かなくても結構です。私たちの魂は、何度も生まれ変わりを繰り返しています。この世での修行を終えたのち、光の世界へ還り、そしてまた生まれ変わり、魂の成長を続けるのです。」
「はぁ。」
「魂はこの世に生まれるときに、目的を持ってやって来ます。いつ、誰とどこで出会い、どんな試練を乗り越えて、どんな経験をするのか?おおよその台本を書いてきます。(神の青写真)という言葉を聞いたことがありますか?英語で God's Blueprint と表記されたりします。」
「いいえ、全く」
俺は、高木さんの返事に構わず、1ページ目を開き、高木さんの前に出した。
「結構です。この魂の台本に例えば、「料理人になって、お店を出す」という目的があったとしましょう。そのためには勿論本人の努力が必要です。学費を貯めたり、修行をしたり、出資を募ったり。その試練ですらも魂は計画してきていると言われています。ところが、その魂の計画を邪魔する存在がいる場合、本来の目的が達成できません。それがこの図に書いてある、浮遊霊、未浄化霊、先祖や過去世からの因縁霊と呼ばれるものです。」
高木さんは、「因縁霊」とゴシック体で書かれた黄色の丸を見ながら、ポカンとしていた。ムッとして「そんなものいない!」と、怒り出さないだけかなり先進的だ。
「その因縁霊を全て浄霊つまり、魂が元いた「光の世界」に還って頂き、今後高木さんの人生にこういったお邪魔が二度とないようにする。ここまでがたまぴかセラピー前半の「浄霊」になります。」
セラピー前半の説明を一気に終え、間髪入れずに次のページを見せる。
「セラピー後半は、魂をピカピカの元の状態に戻す儀式があります。魂は何度も生まれ変わりを繰り返す間に傷つき壊れ、崩れているものが多いのです。それを本来の形に戻します。」
俺の緊張が伝わったのか、右から好子さんの視線を感じた。ここから、経験豊かな好子さんに説明を代わってもらった。
「私達にはそれぞれ、一人につき一柱、御守護の神様が存在しているんです。高木さんだけをお守りする、高木さんだけの「御守護の神様」です。これは、他の宗教を否定するものではありませんし、新しい宗教への勧誘でもありません。今回、高木さんの魂が新しく生まれ変わるにあたり、御守護の神様としっかりお繋ぎさせて頂き、今後の高木さんの人生が光り輝くようにお導き頂くのです。」
高木さんの視線は、「御守護の神様」というパワーワードに釘付けになっていたが、ふーっと長い息を吐いた。
「すみません、初めて聞いた話なもので。」
「いいんですよ。当然です。ここに来られてから知る方が大半ですから。」
好子さんが悪戯っぽく微笑み、目配せする。
「そうですよ、私も初めは疑ったもんです。」
「山本さんがですか?」
「はい。だから高木さんのお気持ちは良くわかりますよ。」
少しの間をあけて、好子さんが立ち上がり、空になった高木さんのカップにお茶をそそいだ。
「喉も乾きますよね。でも、もう大丈夫です。あとは私達に任せてください。」
好子さんが微笑むと、高木さんの表情が和らいだ。
「質問はありますか?」と、俺から尋ねたところ「いいえ、何も。お任せします。」と、カップを置いた。
「それでは早速、セラピーを始めましょう。」
俺がそう言うと、高木さんに、奥の簡易ベッドへ移動してもらった。横になった高木さんの上から、そっとオレンジ色のタオルケットをかける。
「楽にしてください。もしトイレに行きたくなったり、喉が乾いたら、遠慮なく伝えてください。」
「はい。」
「横になるだけですぐに寝てしまう方が多いのですが、眠くなれば寝てください。」
「はい。」
俺が話している間にも、高木さんは、ウトウトと眠そうに瞼が落ちていた。