プロローグ
浄霊とは
「除霊が単に取り憑いた霊を強制的に排除する、または追い払うだけであるのに対して、浄霊は、霊と対話をして、納得または説得させて成仏させることである。」
ブロロロロー
すぐ目の前を佐川急便のトラックが通り抜ける。以前はあまり見なかった小型トラックの路上駐車が目立つ。
スマホの呼び出しボタンをもう一度押す。歩道の端まで出たせいか、排気ガスを思い切り吸い込んでしまった。呼び出し音は鳴っているが、全く繋がらない。
「はぁ。」
今年は桜の開花が遅い。例年なら既に咲いていてもおかしくないが、まだ底冷えが残る。
悴んだ手をポケットに入れ折り返しを待ったが、一向にその気配はなかった。
タバコは随分前にやめた。以前は別れた女房と喧嘩になる度吸っていたが、禁煙してからは煙の匂いが嫌になった。自動販売機で缶コーヒーBossブラックとミルク入りを二つ買い、オフィスへ戻った。
JR関内駅南口から10分歩いた、雑居ビルの一室にオフィスはある。エレベーターのボタンを押し3階まで上がる間、ポケットの缶コーヒーで指先を温めた。ガコン。と鈍い音がしてエレベーターのドアが開くと、すぐ目の前に「関内ハートの相談室」と書かれた水色の手作りのプレートが見える。
「好子さんコーヒー買ってきたよ。どっちがいい?」
「あー、山本さん。ありがとう。じゃぁミルクが入ってる方で」
好子さんはそう言うと、捲っていた黄色の花柄のカーディガンの袖をおろし、パンパンとスカートのシワを伸ばした。ムーミンのバッグから(Dean and Deluca)のクッキーを取り出し小皿に並べて、どうぞとテーブルに置いた。俺はよく知らないが、先日、好子さんの娘の莉奈ちゃんがバイト帰りに買ってきてくれた高級なものらしい。
好子さんは、チョコレートクッキーを美味しそうに頬張りながら、飼ってる猫が太り出したとか、今度娘とオペラ椿姫を観に行くだの話をする。ふんふんと、適当に相槌を打ちながら、クッキーへ手を伸ばすと、好子さんが思い出したかのように呟いた。
「山本さん、高木さんは明日の3時でよかったよね?」
「うん、場所はメールで送ってるから、直接来られるよ。」
「そう。きっと大丈夫よ。」
向かいのビルの窓に、街路樹がむき出しの枝を広げて映っている。季節外れの大掃除を終え、お茶をする頃には、もう外は暗くなっていた。
ー翌日ー
先にオフィスに着き、鍵を開けていると好子さんが眠そうな顔でやって来た。
「おはよう。もしかして、もう結構眠い?」
「おはよう、山本さん。うん、もう結構きてるみたい。」
そう言うと、鞄をカウンターに置き、そのままオフィスの机に突っ伏してしまった。
「大丈夫?水飲む?」
「うん。ちょっと休んだらお水飲もうかな。」
暖房のスイッチを入れる前に窓を開け、少し空気を入れ替えた。まだ雨は降っていないが、重い曇り空からはいつ降ってもおかしくない。
ウォーターサーバーの水をグラスに入れ、好子さんに渡す。左手で頭を抱えながら、コップを少し傾けた。ゴクリ。喉を鳴らす音が響く。
「ふーっ」
「落ち着いた?」
「うん、もう大丈夫。」
好子さんは何度か深呼吸をした後立ち上がり、セラピー前の準備を始めた。
雨が降り出した。ザーッと雨音が激しくなる。時刻は午後2時32分。後は高木さんが無事に来ることだけを祈る。
3時を少し回った頃、オフィスのチャイムが鳴った。
「すみませーん、高木です。」
俺はいそいそと椅子から立ち上がり、玄関まで迎えに行った。
「お待ちしてました。どうぞこちらへ。」