今更ですが、作者は性格が悪い
矢田の友達 第179夜
後書きで
着付けで諦めた袴を持っていきます これを言ってるのが「歌子さん」
作者 性格悪いね
と書いてますが これもかなりマニアックな話で
着物の袴って元々が 男性用の股のある袴なのです
明治期になり 女性が活動的になりだすと 長着では裾が捲れる
襦袢を見せるのは端ない
富岡製糸場って出来た当初は 良家の子女が行く所でお嬢様が働き手
長着では椅子に座り作業では 裾が捲れるどころか開ける
考えたお嬢様 そや袴 あれなら と男性用の袴をそのまま流用
宮中の官女の赤袴もありましたが それは流石に遠慮して履けない
>昭和の鷹さんの牛鬼の長 武一郎さんの袴が赤いのはこの引っ掛け
明治8年の新聞で 女性袴は醜い とまで叩かれていたのですが
歌子さんという方が 今の女性袴の行灯袴が考案して
女学校の制服とかに採用され一般化される
この辺 諸説ありまして 東京女学校が先とか色々ありますが
下田歌子さんが 今の形にした のエビデンスは多くあり作者は支持
なので考案者と同名の 歌子さんが着付けで諦めた袴 とか
作者は性格が悪い となります
明治18年に学習院の前身の女子部門の先生になり そこで行灯袴を広めた
という説を支持していましたが 浮世絵で明治18年の3月の上野競馬の絵
女性が赤い袴で 観覧席に座る を見て あれ? となって混乱しています
そうは言っても 明治8年に醜い とまで新聞に書かれた(マスゴミだね)
女性袴が10年で 一般化して 浮世絵に描かれるまで 流行る 凄え!
そこから大正期の ハイカラさんを越して セーラー服に移行するまで
若い女性に絶大な人気を誇った 女性袴
そのセーラー服も欧州のどっかの国の王族の男児が着てて可愛いからと
若い女性が着て 爆破的人気となり女学校の制服に上り詰めた訳で
異性裝は 日本女性が先進的なんです
ちなみに 今現在 男性袴
江戸期からの股のある馬乗り袴 トイレが大変なのです
>馬乗りは「大」だと脱がないといけないし「小」でも大変
なので股のないスカートタイプの行灯袴が主流
>馬に乗らないので 女性用に進化したのを男性用に逆輸入
奥だと馬乗りが値が競り上がりますが 実用性だと行灯が楽
両方持ってますが 余程正式な場以外 楽な行灯袴です
先日の口切り・炉開の茶事は 格式が高い茶事と
聞いていましたので 黒の五紋の羽織袴の馬乗りでした
黄色の五紋の長着と羽織が欲しい・・・・師匠!
それでは また