友達の彼女と、行き先のあるドライブ
大学の友人達と土日でキャンプに行くのだが、僕は土曜の朝にどうしても大学へ提出しなければならない書類があったため三十分ほど遅れる。三十分くらいなら待っていてくれてもいい気もするが、北山猛志は「できるだけはよ行ってはよ準備した方がいいやろが。その方が長く楽しめるが」と主張して先に車を出してしまった。まあ書類の提出を済ませていなかった僕が悪いのであまり反論はしない。致し方ない。で、僕はアパート通学なので車を持っていないんだが、どうなるかというと、猛志の彼女が迎えに来てくれる。猛志はテント設営をするためにみんなを乗せて先に行き、彼女を僕の運搬担当として残したのだ。
今回のキャンプは、僕達が通っている上亥大学の仲良しグループでおこなうレジャーで、北山猛志の彼女……地成冷香ももちろん上威大学生だ。大学ではある程度自由に受けたい講義を選べるためクラスという概念は希薄なんだけど、上亥大学において基礎演習だけは二年生になってもメンバーが固定されたままなので、友達を増やすとしたらそこだ。
地成冷香は入学直後から存在感を放っていて、綺麗で、僕も無論狙っていたのだけど、なんだかんだで猛志の彼女になってしまった。決定打なんてなかった気がする。猛志は特段容姿が整っているわけじゃないし、性格は明るく賑やかで親しみやすいが女子に対して繊細な気遣いができる感じじゃないし、冷香の彼氏になるべくしてなったという印象ではない。たまたまだ。その場の雰囲気が猛志にちょっと味方しただけの話だ……と僕は思っている。いつどこでどちらから告白したのかも僕は知らないのだが。
そのあと僕にも一応彼女は出来たんだけど、それはそれとして、今日のこの展開は個人的に少しラッキーだった。冷香の車で冷香と二人きりで話せる。そんな機会、普通ありえない。
が、大学の駐車場で待っていた冷香は明らかに不機嫌だった。もともと優しい顔つきではないけれど、今日はもう見るからに不愉快そうで、僕が車のドアを開けるその瞬間まで、何もない空間をぎろりと睨みつけていた。
僕は恐る恐る「おはよう」と声をかける。「わざわざごめん。すんません」
冷香も怒気を引っ込めて「おはよ」と言う。「ごめん。後ろに乗ってくれる?」
「あー、わかった」
僕は堂々と助手席に乗り込もうとしていたが、後部座席へ行くように言われてしまった。なるほど。これは猛志への配慮か。
助手席のドアを閉めて、改めて後部座席に乗り込むと「行こうか」と冷香が言う。
「お願いします」と僕は頭を下げる。今日は冷香のオーラの圧が強すぎて、普段のノリで話せない。
冷香のちょっと高そうな車が大学の敷地をあとにし、キャンプ場目指して町中を走り出す。
僕は隣の宇羽県から来て、こちらにアパートを借りて通学している。冷香はもっと遠方の地域からわざわざ上亥大学に入学してきたのだが、だからというわけでもないのかもしれないけれど車を持っている。ちなみに猛志は実家通いなので日常的に車を運転しており、今日みたいにみんなで出掛けるときは移動手段として大活躍する。
「はあ」と冷香がため息をつく。自然に出たのか、意図的に出したのか、ちょっと判断に迷うくらいデカいため息だった。引っ込めたかのように見えていた怒気が再び滲み出ている。
「…………」
僕は気付かなかったフリをして、後部座席の窓から町を眺める。不機嫌な冷香を見とめるまでは、この最高なシチュエーションにワクワクしていたんだが。
ただ、別に冷香を寝取ってやろうとか、そんなことまでは考えていなかった。猛志は友達だし、それに猛志と冷香はたぶんラブラブなはずなので、僕が介入する余地はないと思う。憧れていた冷香と二人きりでお喋りできるかも、ムフフ……くらいの期待感に過ぎなかった。それすら叶わなかったけれども。こんな展開だったらば、僕としても早々にキャンプ場へ行ってしまいたい。既に設営されつつあるテントにごろりと横になって休みたい。
重たい空気に心を潰しながらぼんやりしていると、冷香が口を開く。「森田くん、ムカつくんだけど」
「はい! ごめんなさい!」と僕はすぐ謝る。
「えー? あはは! 森田くんにムカついてるんじゃないよ」冷香が笑う。
あーよかった。僕は密かに安堵し脱力する。冷香がやっと笑ってくれた。それだけで寿命が少し延びた気がする。
「何がムカつくん?」と僕は訊いてみる。「ずっと機嫌悪いやろ?レカチ」
僕達は冷香のことをレカチと呼ぶ。普通に冷香と呼んでもいいんだろうけど、なんか、『冷香』っていう冷た~い感じが冷香の漂わせている雰囲気に似つかわしすぎて、ちょっとあまりにもぴったりすぎて、それが逆に恐くてみんな名前で呼ぶのを躊躇うのだ……と僕は勝手にそう思っているんだけど、実際どうなのかは知らない。少なくとも僕は『冷たい』という意味を内包してしまっている『冷香』呼びはなんとなく躊躇される。
「ごめんね」と冷香が謝ってくる。「嫌だよね。ごめんね? 森田くんには全然ムカついてないよ」
「そっか」僕は胸を撫で下ろしつつ、訊いてほしいんだろうなあと思いながら「猛志?」と確認してみる。
案の定「あいつ、おかしいんじゃない?」と冷香が声に鋭さを持たせて言う。「普通、自分の彼女を他の男の子連れてくるのに使う? 移動中の一時間くらいの間、こんなふうに二人きりになるんだよ? 普通嫌じゃない?」
ああ、それな。「やよな。ごめん」
「あ、いや、森田くんはいいんだって。森田くんは悪くないよ。おかしいのは猛志。あたしが森田くんと二人きりになってもいいのかな? いいんだろうね」
「…………」
まあなあ。僕が彼氏だったら絶対に嫌だ。他の男の運搬担当なんてさせたくないし、そもそもそういうお願いをすること自体無理だ。だって普通に考えて、彼女側も嫌だろ、他の男を乗せて一時間運転しなくちゃいけないなんて。それに僕は実際、冷香と二人きりでムフムフしていたわけだし、猛志はたしかに浅はかだ。あんまりそういうことを気にしない、疑いを持たないってのは猛志のいいところでもあるんだろうけれど、冷香のことぐらいはもう少し思慮深くしてほしい。
「中村くんも車持ってるでしょ? 中村くんに頼まない?普通」
「そうやねえ」と僕は曖昧に頷く。中村聡史も車持ち。「早く準備したいから聡史を連れてって、レカチを俺の方に回したんじゃない? レカチは女の子やから、テント設営とかには不向きやん?」
「じゃああたしの方が男を運ぶのに向いてるってこと!?」
あああ、恐い。「猛志はそう考えたんじゃないかなあってこと。俺も、レカチに俺の運搬をさせるのはありえんと思うよ? 俺が彼氏やったらね」
「そうでしょ? 嫌だよねえ?」
「嫌やね」それはマジで。「一時間とはいえ、その間に何が起こるかわからんし……たぶんなんも起こらんけど、そういう想像するだけでも嫌やよな」
「で、あたし側からすると、そういう想像しててもなお、あたしに運転させるの?って感じになるし。信用されてるって言えば聞こえはいいけど、愛が足りないって言えば、足りないよね?」
「まあ。俺はレカチ派やなあ」
猛志は僕と冷香を信用しきってくれていて、僕と冷香がここぞとばかりに何かするだなんて思ってもいないんだろう。それを思うと、あんまり猛志だけを悪者にするのも可哀想なのだが、少なくとも今は冷香に合わせておいた方がいい。キャンプ場に到着するまでに冷香の機嫌をリフレッシュさせたい。幸い、僕は嘘偽りなく冷香側の考え方をする人間なので、同調するのは容易い。
「はあ、ムカつく」とまた冷香は嘆息する。「無神経なんだよね、猛志。今日だって、別にそんなさっさと準備しなくたっていいじゃん。みんなでゆっくりやればそれも楽しいでしょ。三十分遅れるくらいなんだよ。森田くんのことも待っててあげて、みんなで行けばいいのにさ。感じ悪」
「熱心なんやよな、猛志は。やると決めたらやる、したいと思ったらしたいんや」
「あたしに対しても熱心になってくれないかな」
「うーん……でも熱心やろ? 基本的にはラブラブなんじゃないん?」
「別に? ラブラブじゃないよ。ラブラブとかいって、あたしと猛志がラブラブなの想像できないんだけど。気持ち悪い」
「そんな感じ?」
「感じ。森田くんはミホチとラブラブなんでしょ? いいなあ」
「意外とラブラブな方が好きなん?」
「意外とってなんだよ」冷香は笑う。「あたしだってラブラブな方がいいよ。なんだと思ってるの?あたしのこと」
「いや、ベタベタするのはあんまり好きじゃないんかなあ、とか」
「ラブラブには憧れるって。女の子だもん。っていうかラブラブだったら猛志はあたしを森田くん係にしないでしょ、たぶん。もうその時点でわかるよね、あたしと猛志の考え方の差が」
「ホントにすまんね、レカチ。俺が書類を提出せんかったばっかりに」
「あは。いやいや森田くんはいいんだって。そんなのしょうがないじゃん」
「いや、俺が真面目な学生で書類を期日までにきちんと提出しとれば、二人はケンカせんくて済んだのに」
「あはははは。いいのいいの。そこは争点じゃないから。あたしと猛志の問題は、森田くんが書類を提出してもしなくてもいずれ浮き彫りになってただろうし。むしろ、森田くんのおかげで早めに気付けたって感じ?」
「……別れんよな?猛志と」
なんか、ん? もしかして破局に向かう流れ?と僕は心配になる。猛志と冷香が別れたら、僕はまあ猛志のグループに残ることになるだろうから、冷香との縁の方が切れると思うんだけど、それはいささか寂しい。僕は冷香とも猛志と同じくらいの期間を友達として過ごしてきているのだ。
「別れんけど」と返してから、「あ、つられて訛っちゃった」と言って冷香が笑う。「猛志に対する『好き』の気持ちはあるしね。なかなか上手くいかないんだけど、好きなのは好きなんだよねえ。なんでだろ? 考え方も違うのにね」
「付き合っとるっていう認識が『好き』を増幅させとるんじゃない? 情が生まれとるっていうか」いや、こんなこと言わない方がいいぞ?と僕は途中で気付くが、口に出してしまった以上最後まで言う。「自分が付き合っとる相手がこんな程度なわけない、って思いたい気持ちがレカチをとどまらせとって、そのとどまらざるを得ん如何ともしがたい気持ちが『好き』に変換されとるとか?」
自分で言ってて自分で引く。つまり、冷香は本来ならば猛志に愛想を尽かしているはずなのだが、冷香は自分自身で猛志を選んだ自負があるから猛志の実際の体たらくに失望したとしてもそれを認めるわけにはいかなくて投資を続けなければならない状態に陥っている。投資の『資』はこの場合『好き』の気持ちだけど、なくなってしまっては投資を続けられないので仮想の『好き』を生産するしかなくなっている……と僕は言ったのだ。これが無意識でおこなわれているのだと。
あんまり言うべきでない言葉だったかもしれない。しかもタチが悪いのは、僕は別にそこまで本気でそれを主張したいわけじゃないってこと。普段の僕はそんなことなんて全然考えていなくて、今、冷香と喋っていてなんとなく思いついた話をなんとなくしてしまっただけなのだ。これは罪深い。冷香がマジに受け取らないことを祈るばかりだ。
しかし冷香は「なんであたし、猛志と付き合ったんだっけ?」とやっぱり言う。
それは僕も興味があったので「どういう感じで付き合い始めたん?」と話の核心を逸らしつつ尋ねる。
「いや、普通だよ? みんなでごはん食べに行ったあと、解散したら、あたしのことを猛志が追いかけてきて『好きだから付き合いたい』って。それだけ。森田くんもミホチもいたよ?そのごはんのとき」
「へえ」普通だ。予想通り、劇的なエピソードもない。「で、レカチはオッケーしたんか」
「まあ、うん」と冷香は釈然としなさそうに頷く。「なんかね、追いかけてきてくれたのが嬉しくて、あたしも『いいよ』って。いや、いま考えると意味わかんないよね。バカみたいだ」
たしかにしょうもない。「でも、俺が追いかけていってもオッケーではなかったんやろ? 猛志やったからオッケーやったんじゃないん?」
「え」ずっと進行方向を見て運転していた冷香が初めてこちらを一瞥する。「え、やばいな、あたし。どうかな。そんなこと言われたら、わかんなくなっちゃう」
「けっこう大雑把……?」
「こわ。なんか、あのタイミングだったら、どの男友達から告白されててもオッケーだったかもあたし。走って追いかけてきてさえくれれば」
「ええ……?」それを聞かされると、僕としてはなんだか特殊な心境にさせられてしまうな。「そんな気まぐれな……」
「あは。でもさ、おんなじくらい気が合う友達で、おんなじくらいのレベルの顔で、頭のよさとかもそんなに差がなかったら、実際どれでもよくない? いや、悪く言うとだよ? 敢えて大袈裟に言ってるけど、でもそういう選択肢しかないんだったら、『好き』って言ってくれた相手を選んじゃうな、あたしは」
「まあ、恋愛なんて仲間内でするしかないもんな」
で、そこの選択肢にあまり差がなかったら、そりゃ自分を好きだと言ってくれる相手と優先して付き合うよな。仲間内ではなく外に目を向けてみるという方法もあるけれど、労力は段違いだろうし。
「だけど」と冷香は言う。「おんなじように見えてもやっぱり違うわけだ。それは深く付き合ってみないとわからない。……そりゃそうだよね。人間だもんね」
「猛志がああいう性格なのはさすがに付き合わんくてもわかるやろうけど……」
「や、わかる部分はわかってたよ? でも彼女に対してこんなことをさせてくるような奴だとはわかんなかったの。愛情深い人だと思ったの」
「まあ愛情の捉え方自体に差があるんかもしれんね、この場合」
猛志はただただ信頼しているし、冷香はそうじゃなくてもっと気配りをしてほしがっている。
「あのとき、森田くんが追いかけてきてくれてたらよかったのに」
「ちょ、それは言ったらダメやろ」
「なんで?」
「なんでって……」
いろいろダメだろ。いや、さっきの冷香の話を聞いていて、僕だって、ああ自分が追いかけていたらなあとちょっと思ったけど、僕も冷香も別々に恋人がいる今、そういうもしもの話はしちゃいけない。それは毒だ。
「森田くん、あたしのことちょっと好きだった?」
「はあ? 何を言うとるんやって」
「正直に言っていいよ。大丈夫だから」
「別に。レカチは友達や。変な気持ちは一切ないよ」
「嘘つき。猛志が言ってたよ。森田くんもあたしのこと好きっぽかったんだ、って。だから負けないように先に告白したんだって」
「…………」ち。言うなよ、んなこと。
「森田くんだったらよかったのに」と冷香は繰り返す。「なに負けてるんだよ、森田くん」
「猛志には勝てんて」
冷香の車がレイクサイドを走り始める。上北滋湖。この湖の脇を走り、その先の山道を上ったらキャンプ場に到着できる。核心的な話を逸らそうとしたんだけど上手くいかず、僕は為す術なく黙る。黙って湖を眺める。水はあまり綺麗ではないが、休日なのもあって釣り人がたくさん遊びに訪れている。
釣り人が乗ってきたらしき大仰なワゴン車を観察していると「助手席来る?」と冷香に言われる。
「え、いいよ」と僕は遠慮する。「もうそろそろ着くやろ」
でも『いいよ』を『yes』と受け取ったのか、冷香は車道と湖の間の空間に停車し「はい」と言う。
「え、違うって。俺、後ろでいいよ」
「後ろにいられると、森田くんの表情が見えないから。話しづらい」
「もう着くやん」
「まだ三十分くらいかかるよ? 山上らないといけないもん」
「……レカチが後ろに乗れって言うたんやん」
「ごめんごめん。前乗って」
「猛志が気にするかもしれんよ?」
「そんなの気にしないよ。気にするような人だったら中村くんに頼むでしょ、森田くんのことは」
「まあ」
わざわざ冷香に僕のことを頼んでおいて、僕が助手席に乗っていたらへそを曲げるというのもたしかに情緒不安定すぎるか。気にすべき点は他にある。
僕が仕方なく助手席に乗り込むと冷香のスマホが鳴る。受信したメッセージを確認し、冷香が目を細める。「……油買ってこいだって」
「猛志から?」
「うん。油を忘れたから来るときに買ってきてほしいって。何が油だよ。もうここから先、スーパーなんてないでしょ」
「コンビニに売っとらんかな」
「コンビニあったっけ?」
「わからん……」
「はあ」と冷香は極大ため息を漏らし「二人でどっか遊びに行かない?」と言ってくる。「あたしもうキャンプ行きたくないし猛志にも会いたくない」
「いや、キャンプ場行かんかったらバレてまうやん」
「浮気してることが?」
「…………」
『浮気』という言葉の生々しさに僕はドキリとする。もしも今から冷香とUターンして遊びに行ったら、それは浮気になるのだ。猛志が傷つくだけでなく、僕の彼女も同じくダメージを負う。そら恐ろしい話だ。僕はスマホでマップを調べ、「やっぱりこの先にまだコンビニあるわ」となんとか言う。「そこで油買おうさ」
「ふうん」と鼻を鳴らされる。「森田くんはあたしと遊ぶの嫌なんだ」
「いや、キャンプの予定が入っとるし。行かんかったらマジで何言われるかわからんぞ。俺の彼女も怒るやろうし」
「そりゃ怒るだろうね」と冷香は笑う。「だから、私達は今のグループから抜けるの。駆け落ちすんの。猛志やらミホチから何を言われても恨まれても憎まれても知らん顔してこれから二人で過ごすの。できる?」
「できんやろ」と僕はすぐ返す。
「できんよね」と冷香も訛りながら頷く。「今のは冗談だよ。でもキャンプしたくないのも猛志に会いたくないのも本音」
「それはせっかくなんやから、今夜にでも二人で話し合ったら?」
「何を?」
「レカチが望んどること、ちゃんと猛志に伝えねや」
「そうだねえ。うーん……まずレカチって呼ばれるのがすごい嫌。森田くんにじゃないよ? 猛志が、付き合ってるのに未だにレカチって呼んでくるのがマジで嫌」
「あは」と僕は思わず笑ってしまう。そこから? 「二人きりのときは名前で呼んどるんかと思っとった」
「呼ばないよ。レカチだよ」
「ははは」
「最低だよ。エッチのときもレカチだからね」
「ふっははは。その話はやめれ。俺にもいろいろ効く」
猛志と冷香がそういうことをしている場面を思い浮かべたくないし、ないけど、最中にもレカチレカチ言ってるんだとしたら本気でウケる。次に猛志を見たとき、思い出して爆笑してしまいそうだ。
「ねえ」冷香が道の先を指差す。「あっち曲がって、山側とは反対方向に細い道を行くとホテルがあるんだよ。行かない?」
「行かない」
「油買いに戻ったことにすれば時間に矛盾は出ないよ」
「え、今回はマジで言っとる?」
「……うん。マジかも」
「俺とそういうことしたいん?」
「したいかも。わかんないけど」
今度は僕が嘆息する。「俺を腹いせに使わんといてや。なんだかんだ猛志のことが好きなクセに。あいつとの鍔迫り合いに俺を利用すんな」
冷香は唇をムッとさせるけど、事実だったようで「ごめん」とうつむく。「……間違えたなあ」
「何を?」
「さあね。いろいろだよ、いろいろ」
「ふうん」
僕の誘い方をか? しかし、いくら僕が冷香にかつて思いを寄せていたとしても、こんなタイミングで今さら攻め込んだりはしないだろう。例え、どんな誘い方をされたとしても。「猛志と話し合いねや。まずは呼び方の問題から。そんで、他のことも順番に」
「今夜は無理そうじゃない? どうせみんな、お酒飲んで騒いで終わりでしょ」
「どうやろな」僕はそれから、思いついて言う。「猛志もレカチのことイメージで捉えすぎとって、勘違いしとるんかもしれん。俺も今日、なんかレカチってこんなんやったっけ?って思って新鮮やったもん。レカチは女の子らしいし、繊細やし、意外と可愛がってもらいたがりなんやわ。俺、一年以上友達やけど、そんなんわからんかったもん。猛志もそうなんかもしれん。そこら辺意識して話し合ってみねや」
「うーん」冷香は目をしばしばさせる。何か言いたげだが言わず、「はい」と、いい返事だけをする。
僕と冷香はコンビニに寄り、かろうじて一本だけ残っていたオリーブオイルを買い、ついでに飲み物も買って、少しだけ駐車場で休憩した。でも一日はまだ始まったばかりで、本来楽しいのはここからなのだ。冷香を横目で窺うと、まあ少なくとも不機嫌ではなさそうで、僕としては一矢報いたという感じだった。一矢報いた? いや、一矢報いたのだ。