二人の未来をあきらめない
希望
側で誰かの話す声が聞こえる。
(陽さん?…違う…)
目を開けると見慣れない白い天井。ボーっと暫く見つめる。
(ここは……、病院…)
体に意識をもどし動こうとすると節々に鈍い痛みを感じる。ゆっくりと声のする方へ顔を向けると父と母がいる。父が私に気付くと
「殊!」
背を向けていた母が振り向き
「殊、殊、目が覚めたのね?」
二人が私に近寄り顔を覗きこむ。
「お母さん…」
「殊、大丈夫?体、何処か痛いとこない?」
「お母さん…陽さんは?」
二人が顔を見合わせる。母が唇をかみしめながら首を横に振る。父は私から顔をそらす。
涙が溢れてきた。母が私の手を強く握る。私も強く握り返した。声をあげて泣いた。
(陽さん、陽さん…)
濁流に流されていたところを救助隊に助けられ病院に運ばれたという。冷たい水の中にいたため低体温症になったが、他には数か所の軽い打撲と擦過傷ぐらいで済んだ。だが経験した事からのショックからか丸二日間意識は戻らなかったという。
濁流に呑まれる中、何かが流れてきて彼に言われるまま必死にしがみつき攀じ登ったのは覚えている。
その後、彼が私に向かって叫んでいた。私と彼はどんどん離れていって…その後は覚えていない。
彼の行方はわからないと言われた。
顔を手で覆い咽び泣く私を母は抱きしめた。
次の日、念のためにと全身のCT検査を行ったが結果は問題なしだったため翌日退院と決まった。
「殊、落ち着くまで一緒に家で暮らそう」
父からそう言われたが何も答えなかった。
幸いにも二人が住んでいたマンションの部屋は三階だったから被害は免れたが一階が水没したためマンションのライフラインに関わる設備がやられてしまっているという。
だが今の私にはそんな事はどうでもよかった。
(陽さん…陽さん、…どこにいるの…)
翌日、母親に言われるままに退院の準備をした。ただ何も考えられず手だけが動いていた。父親は退院の手続きをしている。外を見ると日差しが病院の庭の木の間から差し込んでいる。空は蒼い。
あの日が嘘の様だった。同じ空なのにあんな雨が…。
(夢?夢なら覚めてほしい…)
最後のあの濁流の中で彼が叫んだ言葉が音にならない。聞こえない。口の動きだけがわかる。
(私の名前を何度も叫んでいた…)
目をつむり彼の最後の言葉を思い返す。
(「殊!殊……」
あの時一瞬陽さんが笑ったように見えた。
そんなはずないよね。でも何だかあの時は…。)
再びめをつむりあの時を私から離れていく彼の事を思い出していた。
「生きて…」
側にいた母が
「えっ?何?殊、何か言った?」
(そうだ、陽さんは私に『生きて』と言ったんだ)
涙が溢れ、手元にぽたぽたと零れる。
「あっう、陽さん、陽さん…」
泣き崩れる私を母が強く抱きしめた。
父の運転する車で実家に戻った。
(本当ならあの日陽さんと戻ってくるはずだった…。)
又、涙が溢れてくる。横にすわっている母が肩を抱いてくる。
もう何度泣き、何度母に抱きしめられただろうか?
ガレージに車を入れている時に携帯の音が鳴った。
「殊の携帯じゃない?」
私が反応しないため母があきらめて
「バッグ開けるわよ」
私のバッグの中から携帯を取り出した。
「知らない人からの着信だわね。どうする?」
母が私に聞いてくる。
私は何も反応しない。
「僕が出よう」
父が携帯を受け取り出る
「はい……はい、そうです。高村殊の携帯です…。ああ私は父親の押上啓二と言います。ああそうです…。えっすみません、もう一度いいですか…高村陽は殊の夫ですが…えっ、はい!陽君が」
(えっ陽さん?)
「殊!陽君が見つかったぞ!中央済生会病院にいる!」
「お父さん、ほんとに?ほんとに陽さんなの?」
「どんな様子かはわからないが確かに陽君らしい」
彼が救助されて県内の病院に入院しているという電話だった。あの日から三日も経ってからの連絡になったのは彼の意識がまだ戻っていないため身元がわからず、調べるのに時間が掛かったという。
中央済生会病院は実家から車で30分ほどの所にあり、私が入院していた病院とは逆方向にある。
家には寄らずそのまま向かった。
「殊良かったねえ。良かった、良かった」
母が私の肩を抱きながら言う。私は再び涙が溢れてきた。
(陽さん……あぁ神様ありがとうございます)
病院の受付で「高村陽」と告げると一階のICUにいるといわれた。
ICUはガラス張りで廊下から中が見られるようになっている。中の年配の看護師が私達に気づき出てきた。
「高村陽さんのご家族の方ですか?」
「はい、妻です!」
「奥から二番目のベッドにいらっしゃるのがご主人です。」
私は思わずガラス窓に擦りより彼を見る。
「あの、側にいっても?」
「ええ、大丈夫ですよ、でもご主人はまだ意識戻っていません」
「はい、でも側に…側に行かせてください」
父と母と一緒にICUに入った。
彼は静かに眠っていた。顔には特に目立った傷は無い。
「陽さん」
名前を呼びながら彼の手を握った。
(温かい…)
「良かった…本当に良かった」
父親が涙声で呟いた。
喜びに浸っている側から
「高村さん、着てすぐに申し訳ないのですが担当医の先生から今のご主人の状態を説明したいとのことなのでカンファレンスルームまで来てもらえますか?」
年配の看護師から言われた。
「……はい」
少しでも彼の手を握っていたかったが彼の状態も早く知りたかった。
三人でカンファレンスルームで待った。
二十分程して40代位の男性医師が入って来た。
「お待たせしました。申し訳ありません。今回の災害で傷病者が増えてしまって…、えっと、高村陽さんの奥様ですね。担当の白井と申します。」
「はい、妻の高村殊です。宜しくお願い致します。それから私の両親です。」
「高村さんの…ご主人のご両親は?」
「主人の両親は既に他界しております」
「ああそうですか…。」
「先生、陽さ…主人は…?」
「えっと、まず…ご主人は搬送されて来た時から意識はありませんでした。全身検査をしましたが首から下は部分的には打撲や軽い傷はありましたが特に問題はありません。ただ、流されている時に脳が何らかのダメージを負ったことで大脳が機能しなくなっていました。ですが生命を維持する脳幹は機能しつづけている状態です。」
医師は机のファイルから脳の名称などがプリントされている紙を指さしながら説明をしている。
(大脳?脳幹…?)
「あの、それって…」
「今この時点でハッキリ診断することはできないので暫くは経過観察となります。」
訊こうとしたことを遮られた気がした。嫌な予感がした。
(まさか…)
「あの、このままの状態だと、あの、もしかして…」
「奥さん、とにかく彼に、ご主人に声を掛けてあげてください。彼にとって今一番大切な存在があなたなら、彼が、ご主人が一番聞きたいのはあなたの声でしょうから。」
「……はい」
病院の説明とはこんなものなのだろうか?それともあの担当医だけのことなのだろうか?
父と母も同じことを感じたようだったが、感情に任せて言葉を発することは無かった。父も母も私と同じ予感を抱いたのかもしれない。
夜以外はずっと付き添った。 看護師からも出来るだけ刺激を与えるように言われ毎日声を掛け手を握り、彼の好きだった音楽を掛け、思いつく限りなんでもやった。排泄の世話や、身体拭きも介助の人達を手伝った。暫くすると一人でもできる事が増えた。本心を言えば他人にかれの体を触られると心がざわついた。意識は無いが身体の傷ももう殆ど見当たらない程だったから彼の身体を他人の目に晒したくなかった。
「陽さん」手を握り声を掛ける。
顔をじっと見ていると今にも目を開けそうな気がしてくる。でも彼の意識は戻らなかった。
三か月経った。医学的に意識不明の状態が三か月継続すると蔓延性意識障害と認定される。
彼は「植物状態」と認定された。
彼を初めて病院で見た時は心のどこかにあった。予感は現実になってしまった。
認定され、医師から今後の事の説明を受けた。
「植物状態になった人の大半は、原因となった脳外傷から6ヶ月以内に死に至ります。残りの人の大半は2~5年程の生存確率です。勿論、中には奇跡的に回復を遂げ社会復帰を遂げた方もいます。まあ、それは本当にま……………………」
(6か月?もう3ヶ月過ぎている…)
「それで、これからですがこのまま入院されるか、ご自宅で看護をされるかご家族で検討されて決めていただく事になります。この後、看護師から入院と在宅の違い等の説明を受けてください。選択する参考になると思います。もし在宅医療を選択することになさったら病院にはケースワーカーがいますので相談に乗ることが出来ますので、それも看護師から説明あると思います。」
看護師から在宅と入院の違いの説明を受けた。だが耳に言葉の音は入ってきたが何を言っているのか何もわからなかった。頭が拒否していた。
『6か月で死亡』
医師や看護師にとって多くの入院患者の中の一人の話なのだろう。残酷な話を淡々と説明された。
『6か月で死亡』
病室まで父も母も無言だった。
部屋に入り陽さんの側に寄る。顔を覗き込む。穏やかな息使いだけが聞こえる。
(後、3ヶ月?)
彼の顔を見つめたまま、後ろに立ちすくんでいる父と母に
「家に、家で看たい…」
「えっ?」
私は二人の方に向き直り
「お父さん、お母さん、陽さんを連れて帰りたい。家で看たいの!一緒に過ごしたい…」
突然の娘の訴えに、二人は驚いたようだが、父は何も言わず頷いてくれた。初めは驚いた表情だった母は涙を浮かべながら
「うん、そうだね、そうしよう、殊。陽さん連れて帰ろう」
「ありがとう…ありがとうございます……」
在宅で看る事がどれほど両親へ負担を掛けるかは想像もしていなかった。ただただ彼を連れて帰りたかった。もし、後3ヶ月しかないと言うなら尚更片時もそばを離れたくなかった。
次の日から在宅医療への準備が始まった。ケースワーカーに相談し彼の障害等級の認定を受けた。認定が下り、在宅で看るために必要なサービスを申請した。実家は一階の和室を洋室に改装し医療ベッド、その他必要なものを設置した。部屋は南向きだから日中は陽ざしが入る。窓を開ければ風も通る。ベッドの側に自分用の簡易ベッドを置いた。ベッドと医療器材などで12畳の部屋がアッという間に埋まった。部屋の改装等々で経済的にも両親に負担を掛けた。退院してきたら、看護と介護の面でサービスを受ける。人の出入りも多くなる、サービスを受けれない時間帯などはどうしても家族で看なければならない。両親にお願いすることもきっとある。他人が出入りすることは精神的にも疲れるだろうし、若くはない二人には体力的にも負担がかかるだろう。でも、それでも家に連れて帰りたかった。彼から小さい頃、一人で留守番をし、夜も一人で眠る事があり淋しさと不安をずっと抱えていたと聞いたことがあった。だから、なおさら家に連れて帰りたかった。淋しい思いをさせたくなかった。これ以上夜を一人でいさせたくなかった。
退院を翌日に迎えた夜早めに布団に入った。明日からは二人の寝室になるこの部屋に陽さんが帰ってくると思うと少し興奮気味で暫く寝付けなかった。それでもいつのまにか眠りに落ちていたのだろうか、夜中にはっと目が覚めた。
その瞬間手がお腹にあった。
「いる。」
私とはべつの「命」をお腹に感じたのだ。
(……妊娠?あっ、生理、そういえば来てない…えっ、いつから?)
あの日から、ずっと陽さんの事だけの毎日だったから自分の体の事など気に掛けもしなかった。
生理の遅れている事も気がつかなかった。
(妊娠している)
自分の身体の中にもう一つの命が存在している。
(ああ、陽さん、私の中に子供が、赤ちゃんがいるよ。)
布団のなかで自分の身体を抱きしめた。新しい命を与えられたことに心を震わせた。興奮してその夜は一睡もできなかった。
朝、両親に妊娠しているかもしれないと伝えた。
陽さんを連れて帰りたいと言った時よりも驚いた顔をした両親がいた。
もっと、喜んでくれるかと思ったが期待していた反応ではなかった。本来なら孫が出来ると聞けば手放しで喜びたいところだろうけど、今のこの状況では複雑なところなのかもしれない。両親の表情がそれを正直に現していた。でも、
「驚く事がずっと続いていたから、なんかごめんね。そう、良かったね。家族が増えるね。」
母が手放しに喜んでいない事を隠すように言った。
「今日はもちろん彼が戻ってくるから、あれだから…落ち着いたら近いうちに病院に行ってくる」
「そうね、出来るだけ早い方がいいわよ」
私は頷いた。
彼が退院して一週間ほどして病院を受診した。
退院してからの日々は慣れない事の連続で一日がアッという間に過ぎた。病院で看護師たちの行うことを見ていたつもりで自分にもできるだろうと高を括っていた部分があった。だが、実際ずっとそばにいての看る事は想像をはるかに超えていた。介護ヘルパーさんには一日三回のおむつ交換、週に三回の清拭等をお願いしていたが、おむつの交換や、身体拭きが必要な時は自分で行った。何よりも床ずれができることが心配だった。同じ場所の皮膚への圧迫を防ぐため身体の向きを変えなければいけない。そのため三時間ごとに向きを変える事を私が行った。いくら、痩せてしまったとは言え、175cmほどあった成人男性の身体を動かしたり、支えたりは体力的にもきつかった。まして、眠ったままの為に本人の力を借りる事が出来ないのが負担を増した。特に流産しやすい期間は体のへの負担を避けるために費用は掛かったが、自費で介護サービスを増やしたり、出来るだけ父や母に手伝ってもらった。体力的にかなり辛かったが彼の身体に触れて体温を感じると喜びと愛おしさ感じた。
(このまま、目を覚ます事なく死んでしまうのだろうか?こんなに穏やかな顔をしているのに……)
苦しそうな表情ではないだけ救われる思いもある。
(陽さん、今どこにいるの?そこに私はいるの?)
退院からふた月近くになる頃、通院のため彼を母に任せて出かけた。この日は看護師も来てくれるので来てくれる時間に合わせた。病院が空いていたため早く済み、家に戻ると彼の部屋から話し声が聞こえた。私が帰ってきたことには気が付いていないようだった。
「高村さん、もう後少しで6か月ですよね。」
「そうね」
「奥さんも今どんな気持ちで看てらっしゃるんでしょうかね。子供も出来ちゃって、自分の夫がもう少しで死」
「余計な事いわなくていいから、早く片付けて。」
「はーい」
体が怒りでわなわなと震えるのがわかった。
「あら、殊帰ってたの?」
母が廊下で立ちすくむ私に声を掛けてきた。
部屋にいる看護師二人も私に気づき
「こんにちは」と声をかけてきた。私は無言で会釈をした。私の顔がこわばっているのが看護師にもわかったのだろう。いつもと変わりは無いと彼の状態説明をしてそそくさと帰ろうとした。
「…あの、すみません」
自分でも声が震えているのがわかった。
私は年配の看護師に声を掛けた。急に呼び止められた事に驚いているようだったが、直ぐに察したのか若い方の看護師に先に車に戻るように伝えた。若い看護師は怪訝な表情でしぶしぶと玄関を出ていった。
その日を最後にその若い看護師は来なくなった。最初から気に入らなかった。彼に対する扱いもどこか雑だった事、彼が意識が無いとは言え不愉快な言葉を軽率に言ったり、そして今回あの言葉。さすがに許せなかった。年配の看護師は感情のままに不満を伝える私を前にただ黙って聞き、
「申し訳ありませんでした。教育不足でした。」
と謝ってくれたが、
(えっ、これって教育?人間性の問題なんじゃ……あんな人が医療に関わること自体おかしい)
納得がいかなかった。だが、自分の思いをぶつけた事で結果的にあの若い看護師が来なくなった事はホットした。
今まで、自分の人生で感情に任せて怒りを訴えたことなんかなかった。だが、彼が眠ったままになってからというもの、自分の中で様々な感情が出てくる。それは時として激しい怒りだったり、どうしようもないほどの切なさ、悲しみだったり、嫉妬だったり、そうかと思えば些細な事で嬉しいと感じたり、自分の中に認めたくない醜い部分に直面すると自分に呆れて笑ってしまうことさえあった。
(こんな私を知ったら陽さんに嫌われてしまうよね…きっと)
「でも、嫌われてもいい!あなたが目を覚ましてくれるのなら…陽さん…」
(もうすぐ、六か月になる……。)
彼の状態は変わらない。静かに眠っている。
彼の状態が「静」なら、お腹の子供はまさしく「動」だった。七か月を迎えてからは動きをはっきりと感じるようになった。
この時期に入れば性別を教えてもらえると言われたが敢えて聞かなかった。母親からは
「どうして?」
と聞かれたが、
(なぜだろう?)
自分でもわからなかった。両親としては気になるみたいだったが、「生まれてくる日の楽しみになる」かと言ってくれた。
産婦人科を受診し妊娠4か月と伝えられた夜、彼の横に添い寝して彼の手を私のお腹にあて囁いた。
「陽さん、ここにあなたの赤ちゃんがいます。4か月ですって」
私のお腹に当てた彼の手を強く握り
「予定日は6月18日……赤ちゃん、生まれたら必ず抱いてもらうから……ね。陽さん、必ず……」
あの夜、一方通行の約束をした。
期限と思っていた「6か月」が過ぎた。
(六か月を過ぎたからと言って助かる、目が覚めるということではなく、逆にいつその日が来るかもしれないのだ)
目が覚めない限りいつ彼が死んでしまうのかもわからないのだ。「生」か「死」なのだ。その間は無い。そう思うと暗闇に一気に落されるようだった。この瞬間にも息が止まるかも、心臓が止まるかも。この瞬間に目が覚めるかも。そのどちらかなんだ。こんな状態にこの先私は耐えられるのだろうか?いつもいつも息をしているのかばかり確かめる毎日……。
彼のベッドに突っ伏しているといきなりお腹に衝撃があった。
「あっ!痛っ」
おなかの中の子が私のお腹を蹴ったのだ。蹴られた部分を触ってみると凹っと出ている。手でなでる。
「びっくりした……」
彼の事を考えると底なしの沼に落ちていき掛けていた。そんな時にあの衝撃だった。
「ごめん、ごめん。ありがとね」
お腹をさすりながら謝る。
何だか、本当に「頑張れ」と言われた気がした。
(そうだ、ここで諦めてなんかいられない)
あの雨の日、彼が私から離れながら私に向かって
「生きて!」
と叫んだ。その言葉を今私は彼に言う
「生きて!」