087 エクストラ・テレストリアル
記憶というのは、やっかいなものだ。
正しいのか、間違っているのか、覚えているのか、忘れているのか、自分では判断つかない。
勘違い、思い違い、記憶違い。
言い方はさまざまあるが、多少の整合性すら無視して、勝手に改ざんしてしまうのだろう。
たとえば、俺がなぜラスベガスから日本行きの飛行機に乗ったのか。
最近まで、それがおかしいことにすら、気づかなかった。
「私の名を知る者は、それほど多くないが……人よ、なぜ知っている?」
ギュラルラルゥは、流暢な英語で話しかけてきた。その喉と舌はどうなっているのか。
ジャージー・デビルの外見を持つこのギュラルラルゥのことは、俺はよく知っている。
だが俺は、そのことをすっかり忘れてしまった。違う! 忘れさせられてしまったのだ。
「2029年のあの日、俺はお前……ギュラルラルゥに会った。そして……くそっ、俺を信用しなかったな!」
「やはり分からん。私はもう数十年、人と会っていないのだから」
ギュラルラルゥは首を傾け、眉間にシワを寄せて、本気で困惑している。
こういう仕草はなんとも人間くさい。
「俺は知ってるぞ。たとえば紫外線が有毒であるとか、未知のウイルスを作り出せるとか……俺の記憶を消したのも、プログレッシオの円盤で作ったウイルスのせいだな!」
ギュラルラルゥと会ったことで、俺は多くのことを思い出した。
やはり記憶なんてものは、本当にアテにならない。
ギュラルラルゥの身体は、俺たち人間よりよほど優れている。
寒さ、暑さに強いし、衝撃や刺突などにも耐性を持つ。
毒も効きづらいだろう。だがなぜか、太陽光が発する紫外線だけは弱いらしい。
俺たちの日焼けなんて目じゃないほど、皮膚の組織が破壊されるのだ。
それゆえ、こうして地下に隠れて生活している。
「たしかにこの場所を忘れてほしいときもあるので、記憶を消すウイルスは作成したが……ふむ。もしかすると、近い将来、研究中のウイルスが完成するのかな?」
さすが俺たち人類より高い知能を持つ『宇宙人』だ。
ほぼ正解に辿りついている。
「そうだ。いまからおよそ三十年後、亜門清秋という日本人が、ここを訪れる」
「日本……同胞と接触した者だろうか」
「ああ、お前たちエーイェン人は、江戸時代の末期……正確には西暦1782年だな。そのとき、地球へやってきた。いや、墜落したと言った方が正しいか? 太平洋に降下中、三つのグループに分かれることが決まった。そうだな?」
「……その通りだ。ミスと怠惰、そして見解の相違から、仲間割れをおこした。幸い、移動できる乗り物は三つあったため、その意見はすんなりと受け入れられた」
「水陸両用のムーバーだな。水に浮くのが、それしかなかったと聞いている。三つのグループは、東と西、そして北に向かったわけだ」
「南は陸地がなかったのだ。ゆえに選択肢は、その三つしかなかった」
「東に向かったお前たちはアメリカ大陸に上陸した。他の二グループについては知らないだろう?」
「知らない。仲違いして分かれた経緯もあるが、もともと群れる習性はない。これまで連絡する必要を感じなかった」
「西に向かったグループは中国大陸に上陸した。少し内陸の温州という地で、地下に潜った。この時代では、すでに死に絶えていたらしい。清秋たちはそこからプログレッシオの円盤を回収したんだ。ほとんどエネルギーが残されていなかったと、お前から聞いた」
「ふむ?」
「この時代でも、おそらく亜門清秋が回収しに行ったはずだ。くそっ、ヒシマエ重工の中国工場の認可が止まったのは、そのせいだったんだ!」
2029年に俺がギュラルラルゥから聞いた話を1991年になって、俺がギュラルラルゥにしているのは、なんとも妙な話だ。
清秋たちが『神鏡』と呼んでいるそれは、『プログレッシオの円盤』と同じもの。
奴らがここに来たのも、それを回収するため。
プログレッシオは、ラテン語で「進歩、前進」を意味する言葉。
ギュラルラルゥたちは、ヨーロッパからやってきた移民たちと接触した後で、そう呼ぶようにしたのだろう。
ここでひとつ、知識を整理しておきたい。
目の前にいるジャージー・デビルの外見をしたギュラルラルゥは、地球の外からやってきた宇宙人だ。
俺たちを地球人と呼ぶならば、彼らはエーイェン人となる。
清秋たちは、神人と呼んでいるが、同じものだ。
彼らエーイェン人は、西暦1782年、日本だと天明の時代にやってきた。
宇宙空間を航行中にミスがミスを呼び、宇宙船を地球に不時着せざるを得なかったらしい。
地球に来たのは、宇宙船を修理して再び宇宙へ飛び立つつもりだったから。
だが、大気圏突入の際に、宇宙船が制御不能に陥った。
まさかと思っただろう。だが、落下を止めることは不可能。
これにより太平洋に降下することになってしまった。
当然、宇宙船は浮くはずもなく、海底に沈む。
そのわずかな間に、エーイェン人は三台のムーバーに乗り込み、東と西、そして北へと向かった。
「残念だが、北に向かったグループも死滅している。日本の静岡県に上陸して、そのまま北上。山梨県の山中の地下でずっと住んでいたらしい。全滅した原因は、プログレッシオの円盤が持つエネルギーを使い切ったこと」
「なるほど、それは予想できることだ。西と北は同志が多かった。それに帰還を諦めなかったのだろう。いろいろ試していれば、いずれエネルギーは底をつく。いまはここも、私一人だ」
「やはり一人なのか? 2029年のとき、俺がここに来たときも一人だったが……ずっと一人なのか」
「そうだ。私たちは個で完結する。二十年ほど部屋で研究しているうちに、同志たちは死んでいた」
「エーイェン人は、俺たちとくらべてかなり長く生きると聞いている。だが知らないうちに死んでいたという感覚は理解できないな」
「人に置き換えるならば、ここにいた同志は近所の住人みたいなものだ。同じ地域に住んでいても、気がついたら死んでいたなんてこともあるだろう?」
「……そう言われれば、そうだが」
「それよりも、これから数十年の間で私の研究は完成したのか、それが知りたい」
「ああ、完成したぞ。俺がその被験者になったんだからな。だがお前は俺を信用しなかった。……もっとも俺だって、あのときは利己的に動いていたんだが」
ギュラルラルゥと俺は、互いに利害が一致し、ともに九星会の野望を阻止するために協定を結んだ。
だがその裏で、俺はギュラルラルゥを出し抜くつもりだった。
反対にギュラルラルゥは、俺が信用ならないと考えたのだろう。
まんまと騙された。
騙された俺は……1990年の進路面談の日に……戻ってしまったのだ。
くそっ、すべてが繋がったぜ。
なぜ俺があの暑い夏の日に倒れたのか。
それは出所直前……。
二章完結が近づいてきましたね!
本文で普通に会話していますが、『夢』の中の流れを簡単にまとめると……
・カリフォルニアで工場の受注に成功
・工場建設のため現地で活動
・ある程度の目処がついたので、報告がてら日本に帰国しようとする
・これで出世するだろうと予想
・帰国するため空港に行ったら、亜門清秋を発見
・弱みを握れるのではと考え、変装してあとをつけることに
・清秋は双子と合流し、飛行機でラスベガスへ。もちろん変装であとをつける
・清秋たちが空港からタクシーで移動。距離をあけてタクシーであとをつける
・スーパーで買い物(おそらく双子の水分補給とか)したあと目的地へ向かうのを見た
・あとをつけて、洞窟を開く仕組みを見た
・しばらく待ったが出てこないので、同じ方法で洞窟へ
・洞窟を進む途中、清秋たちが戻ってきたので脇道で隠れてやり過ごす
・清秋たちが来た方へ向かい、隠し扉の謎を解いて奥へ進む
・ジャージー・デビルっぽいなにかと遭遇
・先に清秋たちが来ていたので、話が早かった
こんな流れになっています。
現在、広げた風呂敷を畳んでいますので、次話も同じ流れになります。
いつも小説の中の時代をなるべく知ってもらいたくて、作者が覚えている当時の出来事をとりとめなく書いています。
前回、中国残留日本人孤児について書きました。
当時の日本と中国の『経済格差』や『人権意識』の差が浮き彫りになる話だったと思います。
その経済格差がよく現れているのが、『上海列車事故』だと思います。(分からない人はググってください)
80年代の日本はバブル期です。修学旅行先に海外へ行く高校が、それなりにありました。
公立、私立問わずです。
高知県のある高校が修学旅行で中国へ赴き、列車事故に巻き込まれました。
修学旅行生26名と教師1名が亡くなっています。
全体の死者数は29名ですので、亡くなった人のほとんどが修学旅行生でした。
しかも情報が錯綜して「死亡」と発表された生徒が「生きていた」に訂正されたりして、大混乱でした。
この当時でも、日本国内の交通事故保険で、人身事故の補償内容は『無制限』が一般的でした。
亡くなった場合、実際に支払われるのは、1~2億円でしょうか。
テレビで大きく取り上げられたこの事故ですが、日中の経済格差から賠償額がいくらになるのか、かなり注目が集まっていました。
あるコメンテーターが「中国で人が死ぬと、だいたい日本円で10万円くらい」と発言して周囲を驚かせていました。
中国人が中国で亡くなった場合、補償額があまりにも少ないわけです。
これは日中の摩擦になるのではと、かなり時間をさいてワイドショーでやっていたのを覚えています。
そんな中、中国側が「最大限譲歩しました」と言って出してきた金額が100万円くらい。
これは日中の経済格差がモロに出た感じです。
中国側もできるだけ金額を上乗せしたらしいですが、金額の隔たりに大反発。
ここから揉めに揉めます。
「日本政府が不足分を肩代わりすれば」という意見に、日本政府は「そんなことはしない」とキッパリ。
海外で亡くなった人に、いちいち日本政府が税金を使って補填していったら大変なことになりますので、それは当たり前です。
「学校が補填すべき」という意見に、学校側は「学校だって被害者だ。補償する義務はない」と突っぱねます。
たしかに修学旅行で亡くなったとはいえ、原因は列車事故ですから、学校が賠償金を支払う義務はありません。(※見舞金とかは別です)
「旅行会社が払うべきだ」という意見に、「これはツアー旅行ではなく、学校が企画した旅行なので、補償する義務はない」と返答します。
どうやら、普通の旅行企画だったようです。
この辺は学校側の不備ですね。
しかも学校側は下見を含めて、いろいろ確認が甘いところがあって、あとでいろいろ問題になります。
そんな感じで遺族は結構全方位(中国側、日本政府、学校、旅行会社)と揉めて、大変だったようです。
……で、事故の翌年(1989年)だったと思いますが、私は日本全国に散っている友人を訪ね歩く(泊まらせてもらう)一人旅を敢行していまして、くだんの学校を見てきました。
友人の車に乗せてもらって、私が「まっぷる」片手にナビしてたどり着いたところは……。
「――お坊ちゃん、お嬢ちゃん学校?」
立派な校舎の私立高校でした。
私は、小中高が公立で、大学は国立です。
教室にクーラーなしは当たり前。
窓ガラスは『コツ』と力で開け閉めするのがデフォで育っています。
木は剥げ、鉄は錆び、床や壁や天井は変色していて普通。
危ないところは入ってはいけないという学び舎で育ってきた私からすれば、なんとも恵まれた環境なわけです。
私の心の内の話ですが、同情心がどこかに吹っ飛んでいきました。(いい校舎は、本気で羨ましいです)
それはおいといて、この列車事故以降、中国への修学旅行が激減したと後日、テレビでやっていました。ツアー旅行も減りました。
なにかあったとき補償がないのは危険ですしね。
中国は、外貨獲得の良い機会だったのに、選択を誤ったために長期に亘って、損をしたのではないかと思ったりします。
余談ですが、当時私と同じ歳くらいの中国人留学生に聞いたところ、この事故のことは知らないようでした。
メディアが国有化されているので、1988年当時、中国国内で報道していなかったのかもしれません。
なんにせよ、これだけ近い距離にある両国ですが、当時の経済格差は、それくらいあったのです。
さらに余談。
漫画家の井上純一さんが、奥さん(月さん)のことをマンガにしていますが、その中で「子供のころは村長の家にしか電話がなくて、いまは全員が携帯電話を持っている」みたいなことを述懐するシーンがありました。
経済格差もすごいですが、成長度合いもすごいですね。
アフリカのマサイ族も、原始的生活から一気に携帯電話を持つ生活に変わったようですが、伝統が廃れるのは一瞬だろうなと、少し残念に思ったりします。




