078 夏休み前
今日は、一学期の最終日。
現在、教室では成績表が配られている。
それぞれの席で、悲喜こもごもが展開されている。
後方から「お小遣いがぁ~」と、名出さんの声が聞こえてきた。
おそらく親と、成績しだいで臨時のお小遣いをもらう約束だったのだろう。
名出さんはギリギリまで先延ばしにする性格のせいで、苦労のわりに効果が出ていない気がする。
「いいですか、夏休みだからといって、決して浮かれないでくださいね。日射病には気をつけて……」
担任の話が長々と続いている。
K高校のときは、特別な話はなかった。
小学生ではあるまいし、いまさら夏休みの過ごし方を指導されるほど、みな馬鹿ではない。
周囲を見回すと、何人かが真剣に頷いている。
そんなんで大丈夫かと心配していると、担任が俺の方を見ていた。
「大賀くん、分かりましたね?」
「もちろんですとも……いまさら、言われるまでもありません」
「本当ですね? 今度は連続殺人犯と一対一で戦ったりしないでくださいね」
「大丈夫です」
「その言葉、信じていいんですよね?」
「ええ、次もちゃんと勝ちます」
「…………」
この半年間、身体はしっかりと鍛えた。よほどの相手でない限り、後れはとらない。
そう思っていると、担任は憤懣と諦観と後悔と焦燥を合わせたような顔をしていた。
器用だなと思った。
「愁一。夏休みになったら、一緒に遊ぼうぜ」
放課後、吉兆院が話しかけてきた。
「時間があったらな」
「時間なんて、いつでもあるじゃないか。アルバイトや習い事しているわけじゃないんだろ?」
「米国に誘われている。しばらくかかるだろう」
「マジか。でも、なんでまた? 口ぶりからすると、前から計画してた感じでもないっぽいけど」
「通訳を頼まれている」
「ああ、そっか。愁一は英語ペラペラだもんな。そう言えば、同じ英語クラブなのに……」
「なによ!」
名出さんが頬を膨らませている。成績表をもらってから、すこぶる機嫌が悪い。
「いや、期末の英語……」
「なによ!」
「うん、まあ……がんばって?」
何かを察した吉兆院は「ちょっと、トイレへ」と、鞄を持って出ていった。
そのまま帰るのだろう。
吉兆院の性格からして、戻ってくるとは思えない。
「さて、その英語クラブに行くぞ」
「えっ?」
「今日は活動日だろ。いかないのか? いかないなら、一人で行くが」
「う、うん。そうだよね! 一緒にいこっ!」
一学期の最終日。英語クラブの活動がある。
名出さんはパァッと明るくなって、俺のあとについてきた。
「そっか、大賀くんは、カルフォルニアに行くんだ」
英語クラブの教室に到着した途端、名出さんは先ほどの吉兆院との会話を聞いてきた。
通訳兼助手として菱前老人についていくのだが、面倒なので知り合いの通訳として向かうと伝えてある。
「細かい話だが、『カリフォルニア』の方が正しい発音とされているぞ」
「ん? あたし、そう言ったよね?」
「大した違いではないが、さっきはカルフォルニアと言っていた」
「へ~、カルフォルニア……カリフォルニア。な、なるほど、ち、違うんだ?」
名出さんは首を傾げている。
カタカナ英語なので、あまり気にする必要はないのだが、ここは英語クラブだ。
知識として覚えておいた方がいい。
「ねえねえ、大賀くん。ネイティブの発音だと、いまのはどうなるの?」
部長がそう聞いてきた。
「向こうの発音ですか? 大分違いますよ。CaliforniaのCaは『キャ』が近いでしょう。liは『ラァ』でしょうか。『学ぶ』を意味するlearnと同じで、舌を丸めて上歯茎につけてください。そしてforですが、ここにアクセントがきます。読み方は『フォー』。niaはそのままですね」
「ということは、キャラァフォーニア?」
「それがかなり近いです。逆に、日本語のようにハッキリ区別つけてカ、リ、フォ、ル、ニ、アと発音したら通じるか分かりません」
「そうなのよねえ……傘をパラソル、鉛筆をペンシルって言っても通じないし」
経験があるのか、部長がしみじみと呟いている。
「まったく通じないか、似ている別の単語と勘違いされることは、あると思いますよ。ちなみに雨傘はアンブレラで、日傘がパラソルです。語源はともに日傘らしいですけど」
「へえ……日傘が語源? 雨傘は昔なかったの?」
「雨傘については知りませんが、傘はもともと、外に出る国王のために差していたようです。つまり富の象徴。アンブレラは傘ではなく『影』を意味していたようですから日傘で間違いないですね」
富の象徴から広がった傘が、いつしか雨傘と日傘に分かれて、雨傘にアンブレラが使われはじめた。
そして、「太陽 (sole)」と「守る(parare)」を語源として、日傘をパラソルと言うようになったらしい。どうでもいい話だが。
夏休みに入って数日が過ぎた頃、吉兆院が家にやって来た。
「はい、これ餞別」
封筒に入った現金を差し出してくる。
「ありがたく受け取っておく。土産は何がいい?」
この時代、海外旅行は一般的になったが、いまだ餞別を贈り合う習慣は残っていた。
だいたい貰った金額の半分くらいを土産として返す。
「お土産かぁ……よく父ちゃんが、仕事の付き合いで行ってるし……あっ、向こうのお菓子とか食べたいかな。父ちゃんとか、絶対に買ってきてくれないし」
「おまえはいつもそうだな」
身体に悪そうなものをなぜ好むのか。
「だってほら、近所じゃ売ってないじゃん」
たしかにこの時代だと、外国の菓子を気軽に買うことはできない。
2000年も大分過ぎれば、ネット通販で普通に手に入るのだが、いまは輸入雑貨の店を一軒一軒回らないと現物すら見ることはできないだろう。
「分かった。シーズキャンディのチョコでも買ってこよう」
「おっ、期待して待ってるよ」
「カリフォルニア発祥だから、俺が行くところでも売っているはずだ」
この時代でも西海岸ならば、どこでも手に入ると思う。
「いや~、またあのチョコが食べられるのか。そういえばこの前、財閥のパーティに出席したけど、高級すぎてオレには合わなかったな」
ジャンクフードとコンビニ菓子ばかり食べている吉兆院ならばそうだろう。
「夏休みだからといって適当な食事ばかりだと、身体壊すぞ」
「学校の先生みたいなことを言うなよ……夏休みくらい、好きなもの食べてもいいじゃん」
「おまえは普段から好きなもの、食べているだろ」
「そんなことないよ。ポテトは野菜だし、ケチャップもトマトが原料だから野菜でいいよな」
「駄目に決まってるだろ」
相変わらず吉兆院は、何も分かっていない。
みなさま、暑中見舞い申し上げます。
二章は、愁一がアメリカにいる間(夏休みの途中)に終わります。
そして三章で、完結予定です。
書き始める前に、ラストまでの道筋はつくってありますので、上記で変動はないと思います。
「あとがき」では、物語に登場する90年代を思い出しながら語っています。
本編だけでいいという人は、ここから下は読み飛ばしてください。
今回は、90年代の男女のあり方について書きたいと思います。
男女交際している人は、令和に比べて、この頃の方が多かったと思います。
大学時代で4割強は、彼氏彼女がいた気がします。
当時、ネットはないので、よく集まっていた影響でしょうか。
さて、ここから非常に突っ込まれることを書きますが、スルーでお願いします。
私が高校・大学の頃、男性は女性の荷物を持つのが普通でした。役割分担ですね。
別に付き合っていなくてもです。
学校帰り、たまたま駅まで帰りが一緒になったら、普通に男性が鞄を「持つよ」、女性が「ありがと」で済んだんです。男性が自転車を引いて一緒に歩くことも。
大学でもそうです。合宿にいくときでも、大荷物を男性が持っていました。女性は普通に鞄を渡していました。
今なら、男性がそう申し出ても「いや、いいから」と女性が遠慮しますよね。
男性は、女性の帰りを送る、荷物を持つ、奢るか多く支払うのは普通のことでした。
それなら女性が一方的に得するのでは? と思うかもしれません。
女性は、飲み会のときにみんなにビールを注ぐ、お菓子などを大皿に盛る、ちょっとした片付けをするなどをしていました。役割分担ですね。
男女ともに、活躍の場があったのです。
これをいますると「ステレオタイプだ」と言い出すでしょうし、「男らしい、女らしいは差別用語だ」と憤慨するでしょう。
飲み会で女性が準備をはじめたら「女性がやるのはおかしいです」と拒否する人もいると思います。
というわけで、いまは『昔の話』をしているので、文句のある人はここから先を読まないでください。
いいですね? 「昔の人はおかしい」と思う人は、その時代に行って文句を言ってください。お願いします。
当時の男性は『気遣い上手』で、女性は『甘え上手』でした。双方とも余裕があったと思います。
令和の時代、男性が何かするよと言っても、女性は断るんですよね。たしかに一人でできることも多いですが、そこで我を張らなかったのが90年代でした。
だからでしょうか、仲のよいグループの男女が多くできたと思っています。
いまだに年賀状を交換している高校・大学時代の友人がいますが、男女比は同じくらいです。
ほぼ毎日、部室でコンパしていましたので、男女でコンビニまで買い物に行って、男性が重いものを持って帰ってくる。
女性が自販機で飲み物を買いに行くとなれば、必ず男性がついていきますし、結局部室で男女ともに雑魚寝(酔い潰れ)していましたので、仲が悪くなるはずがないのです。
家に帰る場合も、「だれが送るか」を考えることはあっても「送らない」という選択肢はありませんでした。
そうすると自然にカップルが誕生します。周囲に隠しているのを加味すると、もしかしたら50%に達していたかもしれません。
なぜ当時、男女仲良く、カップルも多かったのか考えてみました。
まず、家はつまらないので、部室かだれかの家に集合していました。
ステレオタイプの男女像そのままに行動していたので、互いの「いいところ」が見えていたと思います。
男性は包容力があり、女性は一歩引いていました。
でも男女ともに、感情はストレートに出していました。
恋愛がうまくいかないと、男女ともに傷つくんですよね。恋愛の傷を克服するのもまた青春でしたし、それが時代とうまく合致していたと思います。
当時は、ジェンダー思想のような小難しいことはだれも考えていませんでした。そういう時代だったんです。(※個人の感想です)




