046 言い合い
「昨日、愁一がおれん家に来たんだぜ」
翌日の学校で、吉兆院がドヤッていた。
「あ、あたしだって、大賀くんがお父さんと会ったもん。じ、事務所だけど……一緒にうどん食べたって言ってたし」
名出さんが対抗している……しているんだよな? うどんとか言っているけど。
「家でおれと愁一、それにじいちゃんの三人で話をしたんだ。スマイリーのピアノを弾いたんだぜ」
スタインウェイだ。「ス」しか合ってない。
あと吉兆院は、全然話を聞いてなかっただろ。
俺がそんなことを思っていると、勝ち誇った吉兆院が、「ねえ、いまどんな気持ち?」とやっている。
「クッ……ねえ、大賀くん。次はあたしん家、来るでしょ」
「なぜ?」
「だって、だって次はあたしの番だよね? カステラもいるし!」
目が血走っているが、そんなに悔しいのか
以前、名出さんがU字溝から拾ってきた犬は、いまだ飼い主が現れていない。
もしかすると、本当にこのまま名出さんが飼うことになるのかもしれない。
「そもそも家に行く順番ってなんだ?」
「みんなの家を回るんでしょ? ……あっ、そっか。次はあやめの家に行きたいのね」
「それは違う」
家を回るってなんだ。家庭訪問か? 俺は教師じゃないぞ。
しかもなぜ、わざわざ神宮司さんの家に行かなければならないのか。
俺が行ったら、彼女だって迷惑だろう。
そう思って神宮司さんを見たら、猫がフレーメン反応したような顔になっていた。
そんなに嫌なのか。さすがに落ち込むぞ。
「ねえ、あやめ。大賀くんともう約束してるの?」
人の話を聞かない名出さんは、彼女の腕を掴んで問いかけた。
神宮司さんは、困った顔で俺と名出さんを交互に見たあと……。
「約束はしてないけど……私の家に来るって、く、口封じですか?」
「口封じって、何だよ!」
「きゃっ!?」
なぜそんな不穏な発想をする。というか、俺に対する評価はどうなっているんだ。
一度きっちり、真意を問いただしたいところだ。
どうも彼女は、俺が高校一年生らしからぬと思っているフシがある。
『夢』の中で五十五歳まで生きた記憶があるから、純粋に15歳とはいえないが、外見は15歳そのものだ。
「そういえば……」
この前、菱前老人から料亭に誘われた。
実は吉兆院の祖父と会談したあと、「今後ともよしなに」と土産をもらっていた。
吉兆院家では方々にお中元を配るらしく、俺が貰ったのは、その訪問用にあつらえたものの一つ。
家に帰って開けてみたら、高級ブランデーだった。どうしろと?
手土産を渡し間違えたか、俺の年齢を勘違いしているのか、本気で悩んでしまった。
とにかく最近、15歳と思われないことが増えて、変な気分だ。
昼休み、教室の片隅で、名出さんと神宮司さんが騒いでいる。
女三人寄れば姦しいと言うが、あの一角は、二人でもうるさい。
わー、ぎゃーだけでなく、追いかけっこまではじまった。まるで小学生だ。
神宮司さんが逃げ、名出さんが追いかけている。
「おい、さすがに度を超しているぞ。静かにしろ」
こういうときは、年長者が注意した方がいい。この場合、精神的な年長者だが。
「ご、ごめんなさい」
「だって、あやめが裏切るんだもん!」
神宮司さんが謝り、名出さんは反論してきた。
「理由はどうでもいい。昼休みを静かに過ごしている人もいる。邪魔をするな」
「「……はい」」
今度は二人とも、素直になった。
これでいいだろうと席に戻ると、二人してヒジで脇腹をつつき合っていた。
「あやめが悪いんだからね!」
「ごめんって……でもやっぱり「にゃぁーっ!!」」
「琴衣さんも「うにゃっー!!」」
「……何をそんなに騒いでいるんだ? 原因は名出さんか?」
このままだと昼休み中、延々と騒がれそうだ。
「違うもん! いっせーのせで好きな人言い合おうって約束したのに、あやめが裏切るだもん」
名出さんがそう言うと、神宮司さんがそっぽを向いた。二人とも中学生か?
「なるほど。なら、神宮司さんも言うべきだな」
「えっ!?」
「名出さんの言うことが本当なら、ちゃんと言うべきだ。別に言わなくてもいいと思っているのなら、今後の付き合いは考え直した方がいい。決定的な場面で裏切るような相手と友人関係なんて結べない」
「そんな大げさなことじゃ……」
神宮司さんが狼狽えているが、裏切られた方は、一生そのダメージが残る。
いつか復讐してやろうと思うほど、追い詰められることもある。
恨み骨髄に徹すとは、よく言ったものだ。
「相手を騙したり、裏切ったりしてもいい。ただし、相手から同じ事をされても文句は言うなよ」
神宮司さんはしばし考えたあと「琴衣、ごめんね」と謝った。
「じゃ、あやめの好きな人、教えてよ」
なぜか名出さんが勝ち誇っている。いまの流れでドヤる要素はどこにあった?
「私の好きな人は……中●彬かな」
「へっ!?」
「あの渋くてダンディっぽいところが……好きなの」
意外な名前が出てきたせいか、名出さんが呆けている。「だれ?」と聞かなかったところを見ると、存在は知っているようだ。
この時代はまだ、トレードマークのマフラーをネジネジしていない。
少し前、妹が実写版『西遊記』の再放送を見ていたが、そのとき敵方として中●彬登場していた。
山賊に扮して、女性を攫っていた。その攫われた女性が、彼の奥さんだった。
撮影時に夫婦だったかは分からないが、ちょっと笑ってしまった。
「あやめ、あんなのがシュミなの? 全身緑色だよ」
どうやら名出さんも、あの回を見ていたらしい。
というのも、その山賊が堺●章扮する孫悟空にやられ、蛇の妖怪の姿に戻ってしまうのだが、そのとき全身が緑になっていた。
ただあれは役柄上のことであり、素の状態ではない。
「私のシュミはほっといてよ」
「そうよね、うふふ……あやめはきっと、ファザコンね」
名出さんがニマニマしている。
中●彬はおそらく四十代。たしかに神宮司さんの父親と同年代かもしれない。
「気が済んだのなら、もう静かにしてくれ」
「はーい」
名出さんが素直に頷く。
「しかし、好きな芸能人の名前を言い合うくらいであまり騒がないようにな」
「芸能人の名前を言い合ったわけじゃなくて……あーっ! あやめぇー!」
突如、名出さんが絶叫した。
神宮司さんの姿は、すでに教室にはなかった。
というわけでお話の前半は、吉兆院と名出さんの言い合い。
後半は、名出さんと神宮司さんの言い合いでした。
最近、1990年代当時の話を書いているのは、年代によってそれぞれイメージが違うと思ったからです。
ただ、あまり頻繁に書いてもあれですので、一応今回で最後に。
もし希望があれば再開します。
バブル期とバブル後の話をしましたが、前に書いた通り、バブル崩壊当時はまだそんな雰囲気はありませんでした。
個人的に「不況だな」と感じるようになったのは1990年代の末からです。
だいたい2010年くらいまではそんな感じでした。
不況感が民主党政権時代と重なっていますが、庶民の感覚なんていうものは、政策から何年も遅れてやってきますので。
2005年頃だったと思います。
近所で土地建物を失った人たちが数件、出ました。
「あそこの家、どうしたの?」と聞かれて「いろいろ可哀想なことがあって、出ていった」と答えると、周囲はだいたい納得してくれました。
投資が失敗して破産(リーマンショックが2008年)、会社が倒産、自営業で破綻とか、原因に事欠きませんでした。自殺者もかなり増えた記憶があります。
いまの30代くらいの人は、この頃を覚えていると思います。
物心ついてから不況だったという人は、20代後半とかではないでしょうか。
現在、youtubeで廃墟温泉とか、リゾートマンション問題とかを扱っている人たちがいますが、だいたいバブル後に倒産した建物を取り上げていると思います。
酷い時代だったと思います。
それでも体感的には、今ほど不況だったイメージがありません。
「それはなぜか?」と考えたところ、「世界の状況が違うのかも」と思い至りました。
みなさんは、「ユニセフ親善大使」と聞かれたらだれを思い浮かべますか?
多くは「黒柳徹子」、ごく一部で「アグネス・チャン」だと思います。
一定年齢以上だと、断然「オードリー・ヘプバーン」の名前が挙がるでしょう。
1990年頃にユニセフ親善大使をしていたのですが、当時の写真や映像がまだ、ネットには残っています。
アフリカは「貧困ビジネス」だと揶揄されることもありますが、当時、アフリカのリアルはどんな感じだったでしょうか。
「日本は幸せだ。世界の上澄みに住んでいる民族なんだ」と思えるほどでした。
逆にアフリカは、1990年代とは思えないほどでした。
アフリカほど極端ではないにしても、中国は自転車大国でしたし、東欧では牛が畑を耕し、リヤカーで野菜を運んでいました。
それくらい先進国と途上国の差は歴然としていたのです。
韓国も同じで、1988年に歴史的な出来事がおきました。
国家発足以来だと思いますが、軍事クーデター以外で政権が変わったのです。
盧泰愚大統領が選挙で勝ったとき、韓国にも民主化の風が吹いたとニュースでやっていました。
ちなみにその前の全斗煥、前の前の朴正煕はクーデターで政権を取っています。
おそらくですが、歴代の全大統領が殺されるか、刑務所に入っています。前大統領の文在寅が刑務所に入っていないくらいでしょう。
そもそも日本文化禁止の国でしたからね。
そんな感じですので、世界からみれば日本(もしくは日本人)は、恵まれていると感じていました。
1990年~2000年当時、国民があまり悲観していなかったのは、そういう部分があったのだと思います。
逆に今年(2023年)はどうでしょう。
途上国と先進国の格差は縮まり、日本の賃金は諸外国と比べても低いです。
アメリカでランチが2500円くらいと聞けば「高いな」と感じます。
1990年~2000年当時にくらべれば、経済は上向いていますが、日本は貧乏になったと言われています。
バブル崩壊後と今を比べたら、いまの方がよっぽどマシな経済状況です。
ですがいまは、悲観論が国全体を支配しているように見えます。
私とみなさんの世相感が同じか分かりません。
読者の年代によってこの物語の受け取り方も違うのだろうなと思います。
少なくともいま連載しているこの物語は、まだ日本人が光輝いていた時代を描いています。
まだ上も下もバブリーだった時代の彼らをお楽しみください。
これからもよろしくお願いします。




